
皆様からの賛同と拡散、change.orgへのご支援のおかげで7月26日現在 約6043名からの賛同が集まっています。
このオンライン署名活動を応援していただき、本当にありがとうございます。
引き続きよろしくお願い致します。
■ドナーファミリー(臓器提供者ご家族)山野英夫さん 賛同コメント■
私たちの活動に賛同してくださったドナーファミリーの山野さんより賛同コメントを頂戴しました。ご家族の臓器提供への経験や思いについてもお話してくださっています。
臓器提供の決断をされた方の参考意見のおひとつとしても、是非、ご覧いただけたらと思います。
※下記文章はご本人了承のもと一部改変編集しています。
※動画は記者会見用にご用意くださったものです。
-------------------------------------------------------------
<ドナーファミリー山野英夫さん 賛同コメント>
私は山野と申します。数年前、兄が交通事故にあいました。助からなかった兄の臓器提供を決断したことがご縁で、移植医療啓発の活動に参加するようになりました。そのまたご縁でこちらを書かせていただいております。
移植医療が世間で取り上げられる場合、その多くが移植を必要とする個人を救おうとする活動が多いように思います。例えば海外での移植を成功させるための、『〇〇ちゃんを救え』の募金活動のように。
その活動も大切なのですが、それと同じかそれ以上に国内で可能な治療法が行われず命を落としたり、移植先を海外に求めたりしなければならなかったりする、そんな現状そのものに光を当てた取り組みが、とても大切なのだと考えています。
及川さんは移植を受けられ、普通の日常生活を送っています。つまり、彼女は移植医療によって自身の命が既に救われた側におられます。でも、ご自身の体験を通して命を削りながら移植を待っている多くの方の存在に光を当て、彼らの命をつなぐ取り組みを立ち上げたということを聞き、私も全力で応援したいという思いになり、賛同コメントを書くことにしました。
まず、移植医療の現状について考えてみましょう。
命を削りながら臓器提供を待っている方には切実な問題ですが、我々の大多数は移植医療に関わることなく人生を過ごしています。その大多数の側にとって臓器移植って『どこかのかわいそうな誰かの話』つまりは自分とは関係のない世界という感じで、無関心のまま過ごしていくのかなと思っています。
その『かわいそうな誰か』についてですが、本当にかわいそうで済ませて良いのでしょうか。
確かに重い病になってしまったのはかわいそうかも知れません。でも「臓器移植」という治せる治療法があるのにも関わらず、国内での移植にはとても時間がかかり、移植を待ちながら力尽きて亡くなってしまう事例がたくさんあります。国外で移植をするには莫大な資金が必要になります。〇〇ちゃんを救えという活動にしても、高額な治療費を募金活動に頼らざるを得ない状況があります。そして資金が集まる前に亡くなってしまうケースも少なくありません。
これを単にかわいそうな出来事で済ませていいのでしょうか。
しかし、これが我が国の移植医療の現状なのです。
その大きな原因の1つとして提供される臓器が圧倒的に少ない事、つまりは我々大多数の国民が移植医療に無関心であることが挙げられます。
我々が移植医療について知った上で提供を拒否しているのならまだしも、大多数が移植医療について知識も関心もないという事が大きな問題だと思うのです。
マザー・テレサの言葉に「愛の反対は憎しみではない。無関心だ」というものがあります。つまり苦しむ者に関わりを持たずに傍観者であることが愛の対極にあると。まさにこの移植医療への無関心こそが移植医療推進に対する最大の障壁になっているのだと思います。そして、この無関心は我々国民大多数だけでなく、医療行政に関わっているお役人、更にはこの現状を積極的に伝えようとしているとは言い切れない報道関係者の方々の無関心も含まれているようにも感じられます。
その点からも今回、彼女達が移植医療について皆さんに広く知ってもらおう、1度じっくりと考えてもらおうという趣旨で立ち上げたプロジェクトには、大きな意味があると思います。
そして、このプロジェクトを広く伝えようとしてくださる皆さんには無関心の対極にある愛を感じています。
では、多くの人達に移植医療に関心を持ってもらうにはどうしたらいいでしょうか。
「どこかのかわいそうな誰かを救うため」といった観点から臓器提供を呼びかけるだけで多くの人々に響くのでしょうか?
多くの方に関心を持ってもらうためには『提供する側からみた臓器提供することの良さ』を感じてもらうことが大切だと思います。
提供する側からみた臓器移植の良さとは
例えば、皆さんはユニセフのマンスリープログラムをご存知でしょうか。ユニセフは世界中の子ども達の命を救う活動をしています。すごく尊い活動だけど、私は現地に行って子ども達を直接救うことはできません。でも、1日100円を託すことで世界の子ども達を救う活動に参加できているわけです。そして、その子や家族の笑顔を想像するだけで心が【ほっこり】する。この【ほっこり】という気持ちになれるのが募金する側から見た良さなのかなと思っています。
あなたが学校を卒業する時、部活などでもう使わなくなった道具があって、それを欲しいといってくれた後輩達に譲って。久々に母校に遊びに行った時、部活の後輩がその道具を大切に扱ってくれていたら、なんだか嬉しくなったりしませんか。自分はもうそこにはいないけど、託したものが彼らの手で活かされて、彼らの活動に少しでも役に立っている。これって素敵なことだと思います。
また、『終活』という言葉がありますが、これは自分の死に際してお葬式の形態だけでなく、自分が大切にしていた遺品などの形見分けの段取りについて、自分の意思を予め家族などに伝えておく活動のことです。
我々の寿命が尽きた時、大切なものを今、切実に必要としていて、後々大切に使ってくれる人に形見分けとして託す。相続人のいない方が自分の遺産を社会貢献活動をしている団体などに贈る日本財団の『遺贈寄付』というものがありますが、これをして亡くなられた方も自分の形見で笑顔になった人たちを雲の上から見て【ほっこり】されるのかなと勝手に思ったりしています。
受けられる方からすると切実な問題である臓器提供ですが、提供する側から見た良さとは、自分が亡くなった後に自分がこの世に残してきた臓器で笑顔になった人達を雲の上から見ながら【ほっこり】できること。そのために医療機関に自分の臓器を託す、そんな選択もありなのかなと思います。
臓器提供は『自分が生きた証として、臓器を誰かの笑顔のため』にと行う、見知らぬ誰かへの形見分け。私は最近そう思っています。
移植者の方の中には「自分達が今生きていられるのは誰かの死の上に成り立っている」と生きている事に後ろめたさを持っている方もいらっしゃると聞きます。でも、その誰かの死は臓器を提供するために死んだわけではないのです。不幸にして命を終えることになって、その時に本人ならびに家族の意思、見知らぬ誰かへの形見分けとして臓器を受け取ってもらったわけです。
今後の人生の相棒として共に生きていってくれると、ドナーファミリー、更には雲の上のドナーとしては嬉しいのですよ、きっと。
ドナーファミリーとして1番嬉しいのは「臓器提供を受けて今までできなかったことができるようになった」というお話しを聞けることです。
例えば、兄の腎臓を移植した男性から「何十年ぶりかに小便器の前に立つことができた」という話しを聞きました。人工透析をしてる人は尿が出ないので体の中の老廃物が外に出せない、それが相棒である体内の兄の腎臓が、その人のおしっこを頑張って作っていることを聞いて【ほっこり】した気分になれました。
続きはご本人が撮影してくださったこちらの動画をご覧ください。
(https://drive.google.com/file/d/1OimNBRddWkZD1hncmi7OHvM8Y49DvarG/view?usp=drive_link
署名ページにも動画へのリンクを追加しましたので何度でもご覧ください。
-------------------------------------------------------------
山野さん、臓器提供を決断されたご家族としての思い、そして患者の命を思ってくださるやさしさあふれるメッセージをいただきありがとうございます。
私たちが目指す『移植医療普及』とは移植医療について正しく知ったうえでそれぞれが決断した選択が尊重され、その結果救われる命が増えることです。
ドナーファミリーの方の中には様々な思い、葛藤を抱えられている方もいらっしゃいます。
今後のお知らせで他のドナーファミリーの方の声もお届けする予定です。
■メディア掲載のお知らせ■
発起人である生体肝移植経験者及川の記事が8月8日付 毎日新聞朝刊に掲載される予定です。よろしければご覧ください。(※8月1日から8日に変更になりました。紙面の都合で掲載日が変わる可能性があるそうで、掲載後に再度ご報告させていただきます)
引き続き、私たちの活動について取材してくださるメディアの方がいらっしゃいましたらよろしくお願い致します。
※取材依頼・お問い合わせはこちら(メールソフトが起動しない場合は isyoku2023@gmail.com までメールにてお問い合わせください)
こちらのお知らせも『シェアボタン』からSNS等でシェアしていただけたらありがたいです。
皆様のご協力を引き続きよろしくお願い致します。