

特別支援教育制度の見直しを求めます
署名活動の主旨
日本の公立の幼稚園や学校、教育行政は、常に障害児の家庭に対して、「障害がある人は、特別支援教育の枠組みに入らない場合、いじめや差別から十分に守れない。さあ、どうしますか?」という選択をつきつけます。
我が国が理想として描く"障碍者のたどる人生"は、まず「特別支援教育」として障害をもった児童だけを集めたクローズドな環境で教育を施された後、やがて成人し"障碍者"として社会に出ると「通常の社会」に放り出し支援者・理解者の善意に委ねる、というものです。
多くは、健常者の作った枠組みで運営される企業、事業所で働くか、生活介護施設や自宅で労働も教育も施されない生き方という2択が待っています。
あえていえば国が用意した「特別支援"社会"」は後者、満足な収入を得る手段もないまま施設や自宅に閉じ込めることを言います。
一方で「働きたい」と自己実現を望む障碍者に対していえば、国の用意したレールはまったく不親切としか言えません。
小学校入学以来9年ないし12年にわたり「健常者と日常生活を一緒に過ごす」環境から隔離する「特別支援教育の制度と環境」は、障碍者にとってとても残酷な教育制度ではありませんか?
また逆に「9年ないし12年間、日常的なコミュニケーションや協同体験がないまま、突然、障碍者の面倒をみてね」と振られる健常者にとっても、大変なことです。
特別支援教育じたいの目的やプロセス、構造を考えるにあたり、アプローチしやすくするために「障害児・障碍者」というカテゴリーを大きく、①身体障害、②神経発達障害(知的・発達・情緒)の2方面で、包括的に捉える必要があります。
ところが、実際にはIQという定量化された指標がある知的障害だけは、安易なカテゴライズで切り分けられがちで、障碍者視点での公平性の担保を考えるときに見落とされやすいのです。
狭義の「発達障害」に限ったノーマライゼーションの議論だけをすることが、本質的なインクルーシブの推進を、どれだけ疎外してしまったことか!
このような固定概念(主には医学モデル)に根差した文化・考え方は、世の中の様々な差別、あるいは不公平の課題に置き換えたとき、差別を正当化するロジックになり得ると考えます。
少子化、自殺率増加により基盤となる社会の姿が保てない時が近づきつつある中、
新しい可能性をもたらす"インクルーシブ社会"の実現に向け、根源的に「いわゆる既存社会で生きにくい特性を寛容的に理解しようとする力、その感性」を身に着けるためにも、まずは教育制度・教育環境の改革が必要です。
障害の種類や有無に関係なく、全ての子どもたちが同じ場所で学び合い、1つなぎの場所で共同体験を持ち、理解と工夫に行きつくために、何を議論し、どんな価値観のアップデートが必要か、一人でも多くの人たちと考えていきたいと思います。
障害のある人たちが、特別支援教育という枠組みだけに閉じ込められない、真のインクルーシブな社会を目指して、ぜひこの一歩を共に進めてください。賛同をお願いします。
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署名活動の主旨
日本の公立の幼稚園や学校、教育行政は、常に障害児の家庭に対して、「障害がある人は、特別支援教育の枠組みに入らない場合、いじめや差別から十分に守れない。さあ、どうしますか?」という選択をつきつけます。
我が国が理想として描く"障碍者のたどる人生"は、まず「特別支援教育」として障害をもった児童だけを集めたクローズドな環境で教育を施された後、やがて成人し"障碍者"として社会に出ると「通常の社会」に放り出し支援者・理解者の善意に委ねる、というものです。
多くは、健常者の作った枠組みで運営される企業、事業所で働くか、生活介護施設や自宅で労働も教育も施されない生き方という2択が待っています。
あえていえば国が用意した「特別支援"社会"」は後者、満足な収入を得る手段もないまま施設や自宅に閉じ込めることを言います。
一方で「働きたい」と自己実現を望む障碍者に対していえば、国の用意したレールはまったく不親切としか言えません。
小学校入学以来9年ないし12年にわたり「健常者と日常生活を一緒に過ごす」環境から隔離する「特別支援教育の制度と環境」は、障碍者にとってとても残酷な教育制度ではありませんか?
また逆に「9年ないし12年間、日常的なコミュニケーションや協同体験がないまま、突然、障碍者の面倒をみてね」と振られる健常者にとっても、大変なことです。
特別支援教育じたいの目的やプロセス、構造を考えるにあたり、アプローチしやすくするために「障害児・障碍者」というカテゴリーを大きく、①身体障害、②神経発達障害(知的・発達・情緒)の2方面で、包括的に捉える必要があります。
ところが、実際にはIQという定量化された指標がある知的障害だけは、安易なカテゴライズで切り分けられがちで、障碍者視点での公平性の担保を考えるときに見落とされやすいのです。
狭義の「発達障害」に限ったノーマライゼーションの議論だけをすることが、本質的なインクルーシブの推進を、どれだけ疎外してしまったことか!
このような固定概念(主には医学モデル)に根差した文化・考え方は、世の中の様々な差別、あるいは不公平の課題に置き換えたとき、差別を正当化するロジックになり得ると考えます。
少子化、自殺率増加により基盤となる社会の姿が保てない時が近づきつつある中、
新しい可能性をもたらす"インクルーシブ社会"の実現に向け、根源的に「いわゆる既存社会で生きにくい特性を寛容的に理解しようとする力、その感性」を身に着けるためにも、まずは教育制度・教育環境の改革が必要です。
障害の種類や有無に関係なく、全ての子どもたちが同じ場所で学び合い、1つなぎの場所で共同体験を持ち、理解と工夫に行きつくために、何を議論し、どんな価値観のアップデートが必要か、一人でも多くの人たちと考えていきたいと思います。
障害のある人たちが、特別支援教育という枠組みだけに閉じ込められない、真のインクルーシブな社会を目指して、ぜひこの一歩を共に進めてください。賛同をお願いします。
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2026年5月13日に作成されたオンライン署名
