
例えば朝ゴミを捨てにいこうと、ゴミ袋だけ持って玄関に鍵をかけたとき。
例えば自転車でショッピングモールに行って、駐輪券を発行したとき。
例えばセルフサービスのお店でお会計をして、お釣りを受け取ってからすぐお盆を両手に持ってその場を離れなければいけないとき。
その一瞬の隙間時間で鍵を落とし、駐輪券を失くし、財布をうまく扱えずパニックになるのが、うつのどん底のときのわたしでした。
ADHDを抱えた上で、うつによって精神的な気力まで奪われると、ほんのちょっとした動作すらうまくこなせなくなるのです。
しかし、そんな自分と付き合っていくために、ポケットのある服しか着ないと決めてからは、生活が劇的に楽になりました。
鍵も、駐輪券も、財布やお釣りも、とりあえずポケットに入れてしまって、あとからバッグに移すなりしてゆっくり対処すればいいのです。
ちょっとした動作の合間に、ちょっとしたものを入れるための、ちょっとした袋。そんな些細なテクノロジーが、うつの最も酷い時期を抜けだす助けをくれました。
わたしにとってポケットのある服を選択することは、自分自身を知り、より生きやすい人生を送るための主体性の象徴であり、まさにフェミニズム的なトピックでした。
しかし、アウターとボトムスはポケットのあるものしか買わないと決めてしまうと、わたしが好きなテイストのレディース服はずいぶん選択肢が少なくなりました。
まずワンピースとスカートは大半が脱落します。アウターも、オフィス向けを標榜するブランドすら、ジャケットにポケットがなかったり、メンズ服より数が少なかったりします。
オンラインショップでも実店舗でも、ポケットがあることを絶対条件に服探しを続けて10年近く、今はなんとかポケットのある服だけに囲まれた暮らしを実現しています。
クィアであるわたしにとって、装いはアイデンティティを表現する手段の一つでもあったので、服選びには人一倍リソースを注ぐことが可能だったからです。しかし本来、強いて労力を割かなくても、何気なく選んだ服に当たり前にポケットがあってほしいと思います。
鍵や、駐輪券や、財布や、スマホをしまえるちょっとした袋が服についていて助かるのはうつの人だけではないでしょう。
生活をよりよくしてくれるテクノロジーは、できるだけ多くの人たちに開かれていてほしい。
「ポケットあり」の選択肢が当たり前になってほしい。
服にポケットをつけることも、通販アプリで「ポケットあり」でソートできるようにすることも、形而上の問題ではなく技術の問題のはずです。
まずは技術の問題としてフラットに対処されることを望みます。
その上で、衣服という最も身近で普遍的なプロダクトの一つにすら、レディースに分類されるほうにだけ不便がある実態が認知され、背後にあるもっと大きな構造的不平等を解決する第一歩となることを願って、わたしはこの署名活動に携わっています。