種苗法改正案から様々な視点の食と命について考えさせられました。地球は本来、人が独占して翻弄して善いものではなく、鉱物や植物、動物が人を支えている事実を敬い、共存共栄ある自然界を取り戻していく必要があるように感じます。すべてが宿している命の尊厳を敬うには、企業が種から微生物までの権利を独占すべきでは無く、命の重さも共有する必要があります。
命有ることが当たり前では無いことが、人間が辿ってきた軌跡からも伺い知ることが出来ます。
昔は、生きられることが当たり前では無く、風邪一つひいても子どもたちの命が奪われました。その分、人が人を大切に思い、協力し合う生活があり、成長できることに感謝の思いが込められていました。なんとか七五三を迎えられる子や、そうでは無い子。
そこに生かされているという感謝の気持ちが芽生えました。
今の時代も本当は、命があって当たり前ではありません。医学や科学の進歩により対処できることが増え、命を繋ぐ術は増えましたが、命の尊さは今も昔も変わらないはずです。
植物の種一つにも命は宿り、懸命に人の命の為に尽くしています。それが科学の一部の力によって、遺伝子までもが手を加えられ、食の本来のあり方を変えられてしまっています。人間の価値観のズレがやがてあらゆる自然で健康的な事実を捻じ曲げ、見えないものを敬わずに、物質的な欲望の満足へと現実が進んでいます。
本来、スポーツマンシップとはフェアな精神を重んじる事から、新型コロナウイルスの感染が拡大している最中、多くの競技者が、心の中ではフェアなオリンピックでは無いと感じている事を信じたいと思います。
日本で放射能汚染も解決出来ていない現状にもかかわらず、オリンピック選手に汚染地域の食をもてなす予定すらあり、組織ありきのオリンピックは、もはや金にまみれた独断的ドグマと化しています。
人の不幸の上に成り立つ幸せはありません。
無駄な命は一つもなく、誰もが生まれた目的に沿った生き方をする権利をもっているはずです。
食を考えることは社会全体の現在浮かび上がっているあらゆる課題と向き合うことでもあり、命を守る実践を最優先に行うべきと考えます。
この事から、東京オリンピック開催に対しまして強く反対を致します。
加藤清吾