叶えられなかった「東京オリンピック開会式で世界中の人々と故西城秀樹の映像とヤングマンを歌う」と言う夢を、いつか笑って話せるわ、その時代のためにあなたの名前をここに残して下さい。
叶えられなかった「東京オリンピック開会式で世界中の人々と故西城秀樹の映像とヤングマンを歌う」と言う夢を、いつか笑って話せるわ、その時代のためにあなたの名前をここに残して下さい。
The Issue
2022年1月31日 —
皆さん、こんにちは。なにを今更とお思いになるかと思いますが、あえてこのキャンペーンを消さないのは、同じ夢を叶えたいと一緒に戦ってくれた皆さまと、“こんな時代があったねといつか笑って話したい” という願いを込めてキャンペーンは終わらずにこのままにしておきますので、この時代の記念として署名を残してください。運悪く新型コロナウィルスが蔓延し何もかも狂って世界中余裕すらも無くなったオリンピックの日に世界中の人々とヤングマンを合唱したかった。
どうか皆さん、まだまだ、いつになったら収まるのかコロナ、時間の空いた時に記念としてこちらに名前を残してください。
"Singing the image of the late Hideki Saijo and Young Man with people all over the world at the opening ceremony of the Tokyo Olympics" campaign. Please leave your name to here. We can laugh and talk about the dream that we couldn't fulfill for that era.
January 31, 2022 —
Hello everyone. You are wondering what I thinking about now, but the reason why I don't want to erase this campaign is that I want to laugh and talk with everyone who fought with me to make the same dream come true. With the wish, the campaign will not end and will be left as it is, so please leave a signature as a memorial to this era. Unfortunately, I wanted to sing Youngman with people all over the world on the day of the Olympic Games, when the new coronavirus spread and everything went crazy and I couldn't even afford it all over the world.
Please, everyone, leave your name here as a memorial when you have time, Corona, when it will fit.
2020年7月16日
署名キャンペーン延長について
7月15日 2020年
とうとう2020年になってしまいましたが、残念ながら今年はコロナウィルスの世界的に万延してしまい人類絶滅しても過言ではない事態となっています。秀樹ファンはまだまだ秀樹を応援したい方々で、新たに秀樹ファンになったという若い方も増えてきています。メディアも秀樹を取り上げ、特別企画の特集を組んだり、DVDも発売されるなどまだまだ西城秀樹は上昇気流に乗っていて西城秀樹ファンにとっては嬉しい限りです。
本来なら去年あたりにこのキャンペーンを終えていたはずですが、その後は秀樹への皆さんの思いを込めて記念に署名していただくよう2020 の開会式まで続けようと思っていました。ところが今回のコロナ騒ぎでオリンピックどころではなくなり2022年まで延長?2024まで?と先行きがわからなくなりました。皆さんのお名前はもう2度もプランナーの各8名に郵送済みです。それでもきっと皆さんが思っているように実現は難しいだろうと思います。まして西城秀樹ファンでない人達にとってはどうでも良い事だということだからです。でもこれは逆にチャンスなのではないでしょうか? 今、西城秀樹の素晴らしさが人々に広まりつつあるからです。今まで西城秀樹に興味がなかった人や、当時は生まれていなかった人も、今テレビやラジオやYouTube、雑誌などで目にする様になりロックンローラーとしての秀樹を観て、現在の日本の歌謡界がいかにレベルが低いか目覚めた方も多いからです。また気さくな性格でスーパースターと私生活のギャップにも魅力を感じられた方も大勢いるようです。
そういうことで署名はこのまま開けておき、来年か又は再来年に集まった署名をプランナーのVIPたちに再び送ろうと思います。後少しで2000人になりますが、できれば1万人の署名を私は希望しています。一部の人々ではなく多くの人々の賛同と嘆願がこの企画には必要です。このまま署名は続けますので皆様のご協力をお願いいたします。
「恵子オールズ」またの名をナイスバディの「ミソ」
そしてユーチューバーの「Miso Little Crow」より
西城秀樹アニメキャラクターが秀樹の歌に載せての笑い満載ショートアニメ。
野口五郎さんとの絡みも満載
実写アニメ混合、姪っ子のお墨つき、ヨロシクね。
��みんな登録クリックしてニューアニメのお知らせもらおう��
https://www.youtube.com/user/keikooldsgoldenbird
2019年3月
そろそろ、またはもうすでに東京オリンピック開会式のシナリオは決まってしまったかも知れません。署名をいつ終わらせるか、たくさんの方々からコメントを頂きました。
結果、署名自体はオリンピックまで続けますが、近々みなさんの署名とコメントを集計し、オリンピックプランナー8人に郵送します。10月頃、最初の700名の署名はすでに送りました。その後に集まった署名を含めた1000人以上の署名とコメントをもう一度集計し、プランナーに送ります。これが最後の郵送になりますが、その後も引き続き署名は活動したままです。
このページは多分このChangeというサイトがなくならない限り永久に残ります。それは過去にこう言った署名があったのだと言う記録になります。ですから私はあえてこのページを開いたままにしておきます。3月以降の署名はプランナー達には届きません。が、多くの人々がこの事を西城秀樹さんと共に夢見ていた、希望を持っていた事を残したい。
たとえ届かなくても、どうかあなたの名前をここに記し、ずっと残しておきましょう。
【日本の皆様へのお知らせとお願い】
日本人の方々で署名のやり方がイマイチわからない、
寄付金とは何? お金払わなくちゃいけないの?と戸惑う方が多いようですが、
お金を払う必要は一切ありません。この寄付は多くの人にこの署名を宣伝したい方が払う宣伝費です。5ドルにつき500人にメールが行きます。メールは世界中に行きますが、これは日本人対象なので寄付は全く必要ありません。
英語の表示で意味わからんという方は、このページの1番下へ行ってみて下さい。
そこに言語を選択するツールがあるので日本語に変えてください。
また署名活動を不安に思う方がたくさんいらっしゃいます。それは署名の際、Eメールや所在地など書く場合もあり、そういった個人情報が盗まれたり見られたりするのではないかと思われている方が多くいらっしゃいます。でもこのChange.orgはアメリカで最大の署名サイトで長い間多くの人々が利用してきました。ここから勝利した署名は数え切れません。例を言いますと、以前日本の捕鯨にストップがかけられたのは、ここからの署名が捕鯨委員会に送られたからです。またアメリカのリングリングサーカスの象を解放したのも皆の署名の力でした。あなたの個人情報は決して漏れません。ヒデキさんはやり残した事をたくさん抱えながら無念にも亡くなられたと思います。どうか故西城秀樹さんを東京オリンピックにで歌わせてあげましょう!
☆西城秀樹は東京オリンピック2020でYMCAを歌うことが夢だった☆
西城秀樹は大阪球場で日本初のスタジアムコンサートを開き、その後ソウルオリンピックの前夜祭では趙容弼(チョー ヨンピル)などと共演、1983年には大阪球場で10回目の「BIG GAME '83 HIDEKI FINAL IN STADIUM」で全力で歌いきった。球場のハーフタイムショーやミュージカル、ドラマ、映画、海外アーチストとのコラボ、CM、ライブなど時には倒れてしまう程、力一杯努めて来た。
しかし2度の脳梗塞で長い間後遺症と戦うためにリハビリテーションを続けていた。晩年、もういちど思いっきり歌いたいと1日3時間の過酷なリハビリを続けたが回復せず突然の心不全で入院しそのまま帰らぬ人となってしまった。
彼は東京オリンピック2020でヤングマンを歌うのが夢だと語っていたそうだ。会場と一体になってYMCAのアクションをしたかったのだろう。彼の頭の中ではオリンピック会場いっぱいの多国籍の観衆と一体になって歌っている自分を想像して高揚していたに違いない。その為に毎日リハビリに励んでいたのかも知れない。結局それは叶わぬ夢で終ってしまったが、私達はその夢を叶えてあげたい。
昭和からずっと人々に幸せと力と勇気を与えて来た西城秀樹。その人柄は信じられないほど純粋で曇りがなく透明な人だった。芸能人だから自分は特別な存在だと威張らず、一般人と自分の間に境界線を作らなかった。芸能人もサラリーマンも職種が違うだけで、他に何の変わりもないのだと、だから誰と会っても素直なありのままの西城秀樹でいた。そんな西城秀樹だから歌は彼の人生全てであり、たとえ体調が悪くても歌いたい気持ちは西城秀樹そのものなのだ。
東京オリンピックで歌いたかったという願いが叶わず、逝かざるを得ないその無念な気持ちが今ファンの心に届き始めたのだと思う。どうか歌に捧げた人生と人々にたくさんの喜びを与えてくれた西城秀樹を讃えて、彼の夢を実現させてあげて下さい。西城秀樹の最後のコンサート東京オリンピック2020。唯一世界と肩を並べることの出来る日本のスーパースター西城秀樹を世界中の視線の中で映像と曲で彼の夢を叶えてあげて下さい。お願いします。
西城秀樹ファン 代表 ケイコ・T オールズ
Japanese singer-actor Hideki Saijo passed away in a hospital in Yokohama,
His dream was to sing at the Tokyo Olympic Games
Japan on May 16 at 11.53pm. The cause of death was acute heart failure. He was 63. According to his agency, the singer was hospitalised on April 25 after he fell unconscious when he was in the company of his family members. The J-pop icon, whose birth name is Tatsuo Kimoto, was born in Hiroshima, Japan on April 13, 1955.
He made his debut in 1972 when he was 16 and became a pin-up star in Japan and most of Asia with the hit Young Man, the Japanese version of Village People’s 1978 disco song Y.M.C.A. Unlike the original camp version, the Japanese hit was actually intended to inspire young men. Another of his popular cover song was Spanish singer Enrique Iglesias’ 1999 Latin dance pop hit Bailamos (Let’s Dance).
Together with fellow Japanese singers Hiromi Go and Goro Noguchi, Saijo was dubbed Shin Gosanke (The New Select Three). Saijo was close friends to Asia’s biggest stars such as Leslie Cheung and Anita Mui, both of whom died in 2003.
Apart from a successful singing career, Saijo also dabbled in acting starring in films like Ai To Makoto (Love And Sincerity) and dramas like Terauchi Kantaro Ikka (Triple Generation Family), and took part in various television shows ranging from gardening to cooking.
He was a regular gym-goer and enjoyed saunas and led an active lifestyle. Unfortunately, his health took a turn for the worse after he suffered two brain strokes, first in June 2003 when he was 48, and the second stroke hit eight years later in December 2011.
His speech was slurred and the right side of his body was paralysed, but he continued to work hard on rehabilitation and continued to perform on stage. Last year, he released a DVD and staged his Hideki Saijo 45th Anniversary Concert 2016 with shows in Osaka, Tokyo and Kanagawa to commemorate his years in showbiz.
He got married to Miki Makihara in 2001, and they have one daughter and two sons.
Providing materials at https://www.star2.com/entertainment/2018/05/18/j-pop-superstar-hideki-saijo-dies-aged-63/#mFbzPp3vo3VoSZ4v.99
Keiko Olds

1,623
The Issue
2022年1月31日 —
皆さん、こんにちは。なにを今更とお思いになるかと思いますが、あえてこのキャンペーンを消さないのは、同じ夢を叶えたいと一緒に戦ってくれた皆さまと、“こんな時代があったねといつか笑って話したい” という願いを込めてキャンペーンは終わらずにこのままにしておきますので、この時代の記念として署名を残してください。運悪く新型コロナウィルスが蔓延し何もかも狂って世界中余裕すらも無くなったオリンピックの日に世界中の人々とヤングマンを合唱したかった。
どうか皆さん、まだまだ、いつになったら収まるのかコロナ、時間の空いた時に記念としてこちらに名前を残してください。
"Singing the image of the late Hideki Saijo and Young Man with people all over the world at the opening ceremony of the Tokyo Olympics" campaign. Please leave your name to here. We can laugh and talk about the dream that we couldn't fulfill for that era.
January 31, 2022 —
Hello everyone. You are wondering what I thinking about now, but the reason why I don't want to erase this campaign is that I want to laugh and talk with everyone who fought with me to make the same dream come true. With the wish, the campaign will not end and will be left as it is, so please leave a signature as a memorial to this era. Unfortunately, I wanted to sing Youngman with people all over the world on the day of the Olympic Games, when the new coronavirus spread and everything went crazy and I couldn't even afford it all over the world.
Please, everyone, leave your name here as a memorial when you have time, Corona, when it will fit.
2020年7月16日
署名キャンペーン延長について
7月15日 2020年
とうとう2020年になってしまいましたが、残念ながら今年はコロナウィルスの世界的に万延してしまい人類絶滅しても過言ではない事態となっています。秀樹ファンはまだまだ秀樹を応援したい方々で、新たに秀樹ファンになったという若い方も増えてきています。メディアも秀樹を取り上げ、特別企画の特集を組んだり、DVDも発売されるなどまだまだ西城秀樹は上昇気流に乗っていて西城秀樹ファンにとっては嬉しい限りです。
本来なら去年あたりにこのキャンペーンを終えていたはずですが、その後は秀樹への皆さんの思いを込めて記念に署名していただくよう2020 の開会式まで続けようと思っていました。ところが今回のコロナ騒ぎでオリンピックどころではなくなり2022年まで延長?2024まで?と先行きがわからなくなりました。皆さんのお名前はもう2度もプランナーの各8名に郵送済みです。それでもきっと皆さんが思っているように実現は難しいだろうと思います。まして西城秀樹ファンでない人達にとってはどうでも良い事だということだからです。でもこれは逆にチャンスなのではないでしょうか? 今、西城秀樹の素晴らしさが人々に広まりつつあるからです。今まで西城秀樹に興味がなかった人や、当時は生まれていなかった人も、今テレビやラジオやYouTube、雑誌などで目にする様になりロックンローラーとしての秀樹を観て、現在の日本の歌謡界がいかにレベルが低いか目覚めた方も多いからです。また気さくな性格でスーパースターと私生活のギャップにも魅力を感じられた方も大勢いるようです。
そういうことで署名はこのまま開けておき、来年か又は再来年に集まった署名をプランナーのVIPたちに再び送ろうと思います。後少しで2000人になりますが、できれば1万人の署名を私は希望しています。一部の人々ではなく多くの人々の賛同と嘆願がこの企画には必要です。このまま署名は続けますので皆様のご協力をお願いいたします。
「恵子オールズ」またの名をナイスバディの「ミソ」
そしてユーチューバーの「Miso Little Crow」より
西城秀樹アニメキャラクターが秀樹の歌に載せての笑い満載ショートアニメ。
野口五郎さんとの絡みも満載
実写アニメ混合、姪っ子のお墨つき、ヨロシクね。
��みんな登録クリックしてニューアニメのお知らせもらおう��
https://www.youtube.com/user/keikooldsgoldenbird
2019年3月
そろそろ、またはもうすでに東京オリンピック開会式のシナリオは決まってしまったかも知れません。署名をいつ終わらせるか、たくさんの方々からコメントを頂きました。
結果、署名自体はオリンピックまで続けますが、近々みなさんの署名とコメントを集計し、オリンピックプランナー8人に郵送します。10月頃、最初の700名の署名はすでに送りました。その後に集まった署名を含めた1000人以上の署名とコメントをもう一度集計し、プランナーに送ります。これが最後の郵送になりますが、その後も引き続き署名は活動したままです。
このページは多分このChangeというサイトがなくならない限り永久に残ります。それは過去にこう言った署名があったのだと言う記録になります。ですから私はあえてこのページを開いたままにしておきます。3月以降の署名はプランナー達には届きません。が、多くの人々がこの事を西城秀樹さんと共に夢見ていた、希望を持っていた事を残したい。
たとえ届かなくても、どうかあなたの名前をここに記し、ずっと残しておきましょう。
【日本の皆様へのお知らせとお願い】
日本人の方々で署名のやり方がイマイチわからない、
寄付金とは何? お金払わなくちゃいけないの?と戸惑う方が多いようですが、
お金を払う必要は一切ありません。この寄付は多くの人にこの署名を宣伝したい方が払う宣伝費です。5ドルにつき500人にメールが行きます。メールは世界中に行きますが、これは日本人対象なので寄付は全く必要ありません。
英語の表示で意味わからんという方は、このページの1番下へ行ってみて下さい。
そこに言語を選択するツールがあるので日本語に変えてください。
また署名活動を不安に思う方がたくさんいらっしゃいます。それは署名の際、Eメールや所在地など書く場合もあり、そういった個人情報が盗まれたり見られたりするのではないかと思われている方が多くいらっしゃいます。でもこのChange.orgはアメリカで最大の署名サイトで長い間多くの人々が利用してきました。ここから勝利した署名は数え切れません。例を言いますと、以前日本の捕鯨にストップがかけられたのは、ここからの署名が捕鯨委員会に送られたからです。またアメリカのリングリングサーカスの象を解放したのも皆の署名の力でした。あなたの個人情報は決して漏れません。ヒデキさんはやり残した事をたくさん抱えながら無念にも亡くなられたと思います。どうか故西城秀樹さんを東京オリンピックにで歌わせてあげましょう!
☆西城秀樹は東京オリンピック2020でYMCAを歌うことが夢だった☆
西城秀樹は大阪球場で日本初のスタジアムコンサートを開き、その後ソウルオリンピックの前夜祭では趙容弼(チョー ヨンピル)などと共演、1983年には大阪球場で10回目の「BIG GAME '83 HIDEKI FINAL IN STADIUM」で全力で歌いきった。球場のハーフタイムショーやミュージカル、ドラマ、映画、海外アーチストとのコラボ、CM、ライブなど時には倒れてしまう程、力一杯努めて来た。
しかし2度の脳梗塞で長い間後遺症と戦うためにリハビリテーションを続けていた。晩年、もういちど思いっきり歌いたいと1日3時間の過酷なリハビリを続けたが回復せず突然の心不全で入院しそのまま帰らぬ人となってしまった。
彼は東京オリンピック2020でヤングマンを歌うのが夢だと語っていたそうだ。会場と一体になってYMCAのアクションをしたかったのだろう。彼の頭の中ではオリンピック会場いっぱいの多国籍の観衆と一体になって歌っている自分を想像して高揚していたに違いない。その為に毎日リハビリに励んでいたのかも知れない。結局それは叶わぬ夢で終ってしまったが、私達はその夢を叶えてあげたい。
昭和からずっと人々に幸せと力と勇気を与えて来た西城秀樹。その人柄は信じられないほど純粋で曇りがなく透明な人だった。芸能人だから自分は特別な存在だと威張らず、一般人と自分の間に境界線を作らなかった。芸能人もサラリーマンも職種が違うだけで、他に何の変わりもないのだと、だから誰と会っても素直なありのままの西城秀樹でいた。そんな西城秀樹だから歌は彼の人生全てであり、たとえ体調が悪くても歌いたい気持ちは西城秀樹そのものなのだ。
東京オリンピックで歌いたかったという願いが叶わず、逝かざるを得ないその無念な気持ちが今ファンの心に届き始めたのだと思う。どうか歌に捧げた人生と人々にたくさんの喜びを与えてくれた西城秀樹を讃えて、彼の夢を実現させてあげて下さい。西城秀樹の最後のコンサート東京オリンピック2020。唯一世界と肩を並べることの出来る日本のスーパースター西城秀樹を世界中の視線の中で映像と曲で彼の夢を叶えてあげて下さい。お願いします。
西城秀樹ファン 代表 ケイコ・T オールズ
Japanese singer-actor Hideki Saijo passed away in a hospital in Yokohama,
His dream was to sing at the Tokyo Olympic Games
Japan on May 16 at 11.53pm. The cause of death was acute heart failure. He was 63. According to his agency, the singer was hospitalised on April 25 after he fell unconscious when he was in the company of his family members. The J-pop icon, whose birth name is Tatsuo Kimoto, was born in Hiroshima, Japan on April 13, 1955.
He made his debut in 1972 when he was 16 and became a pin-up star in Japan and most of Asia with the hit Young Man, the Japanese version of Village People’s 1978 disco song Y.M.C.A. Unlike the original camp version, the Japanese hit was actually intended to inspire young men. Another of his popular cover song was Spanish singer Enrique Iglesias’ 1999 Latin dance pop hit Bailamos (Let’s Dance).
Together with fellow Japanese singers Hiromi Go and Goro Noguchi, Saijo was dubbed Shin Gosanke (The New Select Three). Saijo was close friends to Asia’s biggest stars such as Leslie Cheung and Anita Mui, both of whom died in 2003.
Apart from a successful singing career, Saijo also dabbled in acting starring in films like Ai To Makoto (Love And Sincerity) and dramas like Terauchi Kantaro Ikka (Triple Generation Family), and took part in various television shows ranging from gardening to cooking.
He was a regular gym-goer and enjoyed saunas and led an active lifestyle. Unfortunately, his health took a turn for the worse after he suffered two brain strokes, first in June 2003 when he was 48, and the second stroke hit eight years later in December 2011.
His speech was slurred and the right side of his body was paralysed, but he continued to work hard on rehabilitation and continued to perform on stage. Last year, he released a DVD and staged his Hideki Saijo 45th Anniversary Concert 2016 with shows in Osaka, Tokyo and Kanagawa to commemorate his years in showbiz.
He got married to Miki Makihara in 2001, and they have one daughter and two sons.
Providing materials at https://www.star2.com/entertainment/2018/05/18/j-pop-superstar-hideki-saijo-dies-aged-63/#mFbzPp3vo3VoSZ4v.99
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Petition created on July 3, 2018