Обновление к петиции未来に遺したい日本の精神。 新渡戸記念館を廃館・取り壊しにしないで!十和田市が新渡戸記念館を市内観光看板から削除しました
A N青森県, Япония
7 апр. 2016 г.
平成28年3月25日十和田市は、十和田市観光案内看板から「新渡戸記念館」を削除しました。係争中で新渡戸記念館の廃館取り壊しは確定していないにもかかわらず、既成事実として新渡戸記念館は無いものとしています。館名称の削除をはじめとする看板の改変には、市予算から300万円が支出されました。 市担当課に確認したところ「市の施設である新渡戸記念館は無く、現状と違う状態なので削除する必要があった」と説明しましたが、新渡戸記念館は実際には無くなってはいません。更に、当初市は、太素塚にある看板の地図から新渡戸記念館だけでなく、新渡戸三代の墓所、銅像、開拓功労者たちをまつる顕彰堂、多目的トイレや駐車場すら全て削除してまっさらにし、「太素塚」とだけ表示しようとしていました。 3月22日業者が張り替え作業を行っているところに、たまたま居合わせたボランティアが張り替え用の地図を見て気づき、作業を待ってもらい、担当課に不適切な改変内容であることを電話で何度も説明しました。それにより、3日後、かろうじて記念館名称の削除と、記念館解説部分の差し替えのみにすることができました。 しかし、新渡戸稲造博士がここ太素塚に新渡戸記念館所蔵資料を置いた意義も含め、説明が書かれていた解説文と記念館の写真は「市の施設を説明するためのスペースである」として、太素塚にも付近にも無いアートファニチャーの解説に差し替えられました。 新渡戸三代や開拓の先人をまつる墓所・太素塚には今も観光客が日々訪れています。記念館が耐震診断の問題で係争中でも、歴史的意義は何ら変わるものでは無いので、せめて「史跡 太素塚」の解説文に差し替えるべきではないですかと話しましたが「市の施設ではない」と全く聞き入れられませんでした。市税を使って作る看板に対し、どんな内容が市民や観光客にとって良いのか、充分考えられた結果なのでしょうか。 新渡戸稲造博士は、祖父の墓であり、地域の人々の心のよりどころとなっている太素塚であるからこそ、蔵書や新渡戸家の大切な文化財を置こうと考え、大正14年(1925)記念館の前身「新渡戸文庫」が誕生しました。稲造博士自らが設立に尽力した全国唯一の博物館として、設立の経緯や稲造博士が定めた「博覧啓蒙」の理念を大切に、今後も粘り強く活動を続けていきたいと思います。 皆様の更なる情報拡散と、署名活動へのご支援ご協力をお願い致します。
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