

9月4日から強行開始された、第二花壇周辺の工事で、花壇の傍らに並ぶベンチが全て撤去されます!
ベンチは「思い出ベンチ」といい、東京都建設局が平成15年(2003年)に始め現在まで続く事業で、一般市民からの寄付で設置されます。
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jigyo/park/tokyo_kouen/omoide/index.html
1期15万円ないし20万円を寄付して、希望するメッセージをプレートに刻み、ベンチの背に埋め込まれます。
それぞれのメッセージは、軽快なものや短いものから、一世一代の思いを刻むものもあります。人生そのものを映していると感じます。メッセージを読み歩くと、その人の一生を描いた小説に触れた気分になります。
その珠玉のメッセージを、元管理所長の高橋裕一さんが、工事の直前に書き写してくれました。
いくつか紹介しましょう。
最も多いのは、家族や恋人に向けた言葉です。
「神田明神氏子で公園と同年生まれの関千代母さんへ 心地よい椅子を用意しましたよ あなたの三人娘栄子・敏江・光恵より 2003.7」
「憶えていますか 子供のころを。お母さんのお膝の上で遊んだ事を こおりやま 新沢 綾緒 2003.7」
「初孫誕生記念 息子の家にのうぜんかずら朱くゆれ 見守りており女孫の生れて 深川三二子 2003.7」
「私の愛を、母と亡き父、そして将来の妻と子供達に捧げる。 阿由葉千秋 2003.7」
日比谷公園がビジネス街にあるからでしょう、仕事への思いも認められています。
「日比谷公園とともに58年 時事通信社(1945~) 時事通信社社友会 2003.7」
「この地に勤めて 40年余 ありがとう日比谷公園!! おかだ いさお・もと子 2005.7」
歴史の証言も刻まれています。
「戦争中の木曜日 私は海軍省、義文さんは大学から、そして別れ、私の心に日比谷公園を残して 降笠克美 2003.7」
この一文は先日『北海道新聞』のコラムにも取り上げられましたね。
「大正12年(1923)9月1日関東大震災発生 直後軍楽隊の慰問があり、11年後米国映画メリーウイドウと知った、母と聴いた。ベンチ 青砥 2004.6」
これらを一瞥しただけで、日比谷公園がどのような存在か、よくわかります。日比谷公園の最大の特徴は、歴史の軸に沿って市民が思いをつないできたことです。
9月13日の都議会環境建設委員会の陳情審査で、漢人あきこ委員が、これらのベンチを邪魔だからただ撤去するのではなく、プレートを園内に掲示するなど、寄付者に敬意を示すやり方はないのか?と問題提起しました。
新しい公園は「バリアフリーで周辺ともつながる」のを目指すと、どこにでもある、まるでショッピングモールの宣伝のような謳い文句です。ベンチを撤去した後のスペースには、キッチンカーを並べるそうです。
歴史の証言者を追い出して、刹那的な物売りの場所にしようというのです。
日比谷公園の唯一無二の価値、この国の歴史と共に語られる存在意義を、今一度考えるべきです。
本来なら、持ち主たる東京都が強調するべきところを、一都民として叫びます。
日比谷公園を低俗なイベント会場にするのは止めて下さい!