อัพเดทล่าสุดเกี่ยวแคมเปญรณรงค์いのちのバトンがつなげられる日本の移植医療システム整備と普及を!【移植医療普及のためのオンライン署名】渡航移植について①渡航小児心臓移植者家族の経験談
及川 幸子ญี่ปุ่น
25 เม.ย. 2024

皆様からの賛同と拡散、change.orgへのご支援のおかげで4月26日現在 20,338名からの賛同をいただいております。


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引き続き宜しくお願いしたします。

 

 

今回のお知らせは「渡航移植について」発起人でもある渡航小児心臓移植者家族の佐々木さん夫妻のおはなしをご紹介します。

 

以前のお知らせ「小児の心臓移植待機」についてご紹介した際にも、佐々木さんのご経験から解説をしていただきました。
渡航移植に至るまで、国内で付き添い入院や移植待機を経験された後に渡航移植を決断され、海外からの移植患者を受け入れているアメリカで渡航移植をされました。
是非、こちらのお知らせと合わせて読んでいただけたらと思います。

小児心臓移植待機と家族の負担~小児移植待機者の方の声~ https://chng.it/wKMp9CLP

 


■渡航小児心臓移植者家族佐々木さんの経験談■

娘は近所の総合病院で誕生しました。生まれてすぐ心雑音があるという事でNICUに入院となりました。その後、左室心筋緻密化障害が見つかりました。
手術はできず投薬治療しかできないこと、いずれ心臓移植が必要になる確率が高いと主治医から説明を受けました。すぐに投薬治療を開始し、定期的に診察を受けていました。

生後2ヶ月でRSウイルスに感染しましたが、奇跡的に心不全は悪化しませんでした。1日中頭に汗をかいていて、手足は冷たく、息が苦しいのかミルクも短時間で少量しか飲めず、飲んでも吐くという状態で心配でしたが、主治医に大丈夫だよと言われるのでそんなものかと気にしないようにしていました。

このまま小康状態を保ったまま育ってくれると思っていたのですが、状況が変わったのが1歳のお誕生日前でした。この頃から何度も入退院を繰り返し、どんどん心臓の状態が悪くなりました。子供病院の紹介状をもらい受診した所、そのまま緊急入院になりました。心エコーをしてくれた医師の表情がどんどん険しくなり、私も不安になりました。日に日に増えていく強心剤の量と反比例して、どんどん娘は喋らず動かなくなりました。

入院して数週間で、治療の限界を告げられました。このままで最期を迎えるのか、心臓移植をするために小児用補助人工心臓(以下小児用VADと表記)をつけ国内で移植を待機するのか、渡航移植をするのか決断を迫られました。数日しか猶予がなく、毎日泣きながら夫婦で話し合いを重ねました。当時は平均待機年数もでない程、小児の心臓移植が全く無く、何年かかるか分からない国内での移植を待っている間に、既にギリギリだったきょうだいの心が壊れてしまうので、補助人工心臓をつけるならば渡航移植を目指す決断をしました。
その後、大学病院へ転院し小児用補助人工心臓をつける手術をしました。術後の経過が悪く中々ICUから出られませんでしたが、一般病棟に移った娘は食欲旺盛でよく笑いおしゃべりをするようになりました。

転院と同時に渡航移植をするための募金活動が始まり、多くの方の善意によって渡米ができました。渡米後は夫婦共に英語ができなかったため、とても苦労しました。
渡米時はボランティアさんが日本食を病院に差し入れしてくれたり、一緒に買い物に付き合ってくれたりと、心強いサポートをたくさんしてもらいました。また、現地のママ友サークルも私達をとても気遣ってくれました。渡米後も様々なトラブルがありました。感染症にかかったり補助人工心臓のポンプが故障しました。

渡米後6ヶ月で娘は移植をしました。早朝に医師がきて、ドナーが見つかったこと、お昼に手術に入ることを話しました。その後、病棟の看護師さんが代わる代わる泣きながら抱きしめてくれ、私も色々な感情で心の中がぐちゃぐちゃで一緒にずっと泣いていました。

退院後は、病院近くのアパートで生活をしました。病院側からは経過観察の為、できれば1年、最低6ヶ月は滞在してほしいと言われました。胸開けたのにそんなに早く飛行機乗るのも心配よと言われました。しかし、お金がないため娘の体調が大体安定した3ヶ月目で帰国しました。

帰国後はりんご病にかかり月1で輸血のために入院をしたり、2日に1回39度の発熱をして風邪をひき、片道2時間かけて病院に向かいそのまま入院という日々が1年半程続きました。りんご病が判明するまでは血液の病気かも知れないと言われ、全身に癌がないかCTをとったり、風邪の度に免疫抑制剤の血中濃度が不安定になり、緊急でステロイドを大量に点滴したりと毎日不安でした。移植コーディネーターからは「3年位経てば娘も強くなって風邪も引きにくくなるから頑張ろう」といつも励ましてもらいました。
移植3年目以降は今までが嘘のように本当にほとんど発熱をしなくなり、咳や鼻水が出ても踏ん張れるようになりました。免疫抑制剤の血中濃度も大きな波はなくなり、通院も月に1回くらいのペースで安定しました。

不安をあげればきりがありませんが、毎日楽しく、たまに友人関係に悩んでいる娘が、家にいて学校に行き友達と過ごしている、そんな普通の日常を過ごしている事に日々感謝をしています。

 

 

■佐々木さんの渡航移植経験について詳しくお聞きしました■

Q:渡航移植までどのような過程がありましたか?
A:渡航されるご家族の状況によって様々なパターンがあると思います。我が家のケースをお話しします。
娘が内科的治療の限界を迎えた時に「看取るか、小児用VADをつけて国内待機するか、小児用VADをつけて海外渡航するか、決めてください」と言われました。我が家は小児用VADをつけ渡航移植をする道を選びました。転院先でも小児用VADを装着する手術前の話し合いで、再度国内待機か海外移植か聞かれました。そして、私と夫の決意を確認後、主治医がアメリカの大学の医師と、娘の受け入れの可否についてメールでやり取りをしました。娘の状態などを確認後、受け入れ可能と決まりました。

その後、アメリカの大学のグローバルサービスと主治医がデポジットなど事務的なやり取りをし「指定した期日までに提示されたデポジットの金額を振り込めば受け入れます」という文章に親が署名をし、正式に受け入れ先が決まるという流れでした。
アメリカ側から中々コンスタントに返信がなく、やり取りを開始してから正式に受け入れが決まるまで約5ヶ月かかりました。正式に受け入れが決まらないと、募金活動を開始できません。当時は娘の容態が悪かったため、毎日焦燥感だけが募っていました。


Q:海外での渡航移植を経験して大変だったことは何ですか?
A:大変だったことは、生活に慣れるまでの全てです。夫婦共に英語ができなかったため、医師や看護師の言っている事が分からない、採血結果のデータも理解できない、薬の名前も読めず、なんのための検査なのかも分かりませんでした。サインを求められている書類が何の書類かもわからず、何度も翻訳しました。
渡航後、最初の1週間はアメリカの移植者待機リストに入るための検査と書類へのサインの連続で、本当に神経を使いました。アメリカで銀行口座を開設することも、アパートを借りる事もビザの延長の手続きも、本当に大変でした。また、地下鉄の乗り方も分からない、路線図も分からない。車掌さんの英語も聞き取れないので、なぜ途中で地下鉄が止まるのかも分からず、生活に慣れるまではこわかったです。バスの乗り方、スーパーでの買い物の仕方、全てが分からず大変でした。ドラックストアに行っても洗濯洗剤がどれか分からない、市販薬が欲しくても、欲しい市販薬はどれなのか分からない、缶詰を買ったのに日本と缶切りが違うため、当初は缶詰も開けられない等、苦労は絶えなかったです。
募金活動、次女の容態、長女のケアと、時間的にも精神的にも余裕がなく、アメリカでの生活を渡航前に調べることは、出来ませんでした。


Q:大変なことが多かった中、良かったことはありましたか?
A:良かったことは、日本とアメリカの医療の違いを見られたことです。日本では病児本人を主体として入院生活を送りますが、アメリカだときょうだい児、親のケアも当たり前に行ってくれます。また、どうしたら病児が楽しく入院生活を送れるかに主軸をおいていて、衛生面や感染対策的に日本ではできない事も、アメリカでは当たり前にできました。きょうだいも一般病棟やICUにも入ることができましたし、娘の移植が決まった時は娘を抱っこしたまま、ぬいぐるみと一緒に手術室に入ることができました。そして、麻酔で眠るまで手術台で横たわっている娘の手を握り続けることができました。
また、病棟のプレイルームは午後以降はきょうだい児しか入ることができず、親が面会中は子ども達はスタッフやボランティアの学生と遊んでいました。長女もとても気にかけてもらい、次女には内緒で長女だけ面会の帰り際にプレゼントをもらうこともありました。ファシリティドッグも週に何回も来ました。親のメンタルケアのためにヨガのインストラクターも週に1回は来てくれて、病室で一緒にヨガをしました。また「家族のためじゃなく、自分を癒やすためにお金を使って」と言われて、病棟に寄付されたギフトカードをチャイルドライフからもらったこともありました。


Q:印象的だったことはありましたか?
A:印象的だったことは、いくつかあります。まず、病棟にひっきりなしに物品の寄付が来ることです。娘の誕生日には病院に寄付された誕生日用の飾り付けが入っている箱があり、それをもらい部屋中を飾り付けました。企業からも大量にぬいぐるみが届いたり、様々な団体からおもちゃの寄付がひっきりなしに来ていました。手縫いの枕カバーや手縫いのクッションと一緒に、子どもが書いたお手紙が一緒に添えられていることも多く、とてもあたたかい気持ちになりました。6ヶ月も入院していたため病室内がおもちゃだらけになりました。
次に印象に残っていることは、病棟のスタッフが本当に親身になってくれたことです。お金がなく生活が苦しい事を伝えると、いつも病室にご飯を配膳している男性スタッフは、配り終えたあと娘の病室に来て残ったご飯をくれました。ご飯はプラスチックの容器に入っているので、そのままアパートに持って帰り長女の夕飯や朝食にしたりできました。清掃スタッフは娘に服をプレゼントしてくれました。床にマットを敷いて生活していたので、毎日1番最初に掃除に来てくれて床を念入りに除菌してくれてました。
娘の誕生日には看護師さん達がケーキを買ってくれました。バタークリームが苦手だと言った私のために、生クリームのケーキ屋さんを調べて買ってくれたことに感動しました。夜勤の看護師さん達は子どもがいる方が多く、いつも子ども達の心配をしてくれました。ストレスでぼろぼろな私に「大丈夫、絶対すべていい方向にいく。」といつも抱きしめてくれました。
日本語ができる別の病棟の先生も時間ができると様子を見に来てくれ、困っていることがないか、いつも心配してくれましたし、日本語ができる看護師さんも退院後に「体調は大丈夫?」と何度も連絡をくれました。日本から来ていた先生も別の病棟なのにも関わらず、退院時の服薬指導の通訳をしてくれたり、娘の外来時には診察に来て通訳をしてくれました。
現地に住んでいる日本人の方々も「楽しい思い出もたくさん持って帰国して欲しい」と言ってくれ、夕飯に呼んでくれたり、遊びに誘ってくれました。
こんなにたくさんの方が親身になってくれると思っていなかったので、本当に感謝しかないです。


Q:みなさんに伝えたいことはありますか?
A:私達家族は、募金活動をし渡米したことでたくさんの方の優しさに触れました。募金活動をしなければ出会わなかった多くの人たちとの出会いや経験は宝物です。しかし、言葉で語り尽くせない程、過酷でした。
これから移植を待機する家族には、私達家族が経験した苦労をしてほしくない、その思いでこの活動に参加しています。移植を待機している子どもと家族が、希望を持って国内で待機できるように。そんな未来が来ることを切に願います。そして移植関係者に少しでも思いを寄せて下さると嬉しいです。

最後に、私達家族を支えてくれている皆さまへ。
たくさんの優しさのおかげで、毎日子ども達は笑顔で過ごせています。これからも子ども達が笑顔で過ごせるように支えていきたいと思います。本当にありがとうございました。

 


■佐々木さんの渡航移植に関するネット記事のご紹介■


その後、募金活動の余剰金は他の移植が必要なお子さんに寄付をされています。

「あやめちゃんを救う会」様より寄付をいただきました
https://suku-kai.trio-japan.jp/news/20221205-ayamecyan
https://congrant.com/project/aosukuukai/5423/reports/736


日本で移植ができるようになることでこのような募金活動も、渡航移植も不要になることをまずは知っていただけたらと思います。


今回のお知らせは以上です。


次回のお知らせでも渡航移植についてお伝えしたいと思います。
引き続きよろしくお願い致します。

 

 

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