【オフトーク・号外版】「炎上」は、私たちの社会の「総意」なのでしょうか?🤔


日頃より、本活動を温かくお支えいただいている皆様へ
本日は、少し難しい問題を皆様と一緒に考えてみたいと思います。
昨日、厚生労働省より、AYA世代のがん患者さんへの支援制度を周知する目的で行われていた映画とのタイアップ企画について、ポスターの掲示を中止し、すでに送付されたポスターを回収するとの発表がありました。今回使用された映画のタイトルやポスターの表現について、「現在、がんと向き合っている患者さんやご家族が病院で目にすれば、死を強く意識させられるのではないか」という声が寄せられたことが、その背景にあります。
この点について、全国がん患者団体連合会の天野慎介さんからは、
『このポスターについては厚生労働省から「送付済みポスターは回収し、掲示を中止」との対応が示される前に、現場で医師や看護師から意見があり、ポスター掲出を自主的に取りやめていた医療機関が各地であったようです。実際に目にするがん患者や家族に対して配慮してくださり、ありがとうございました。』
とのコメントも出されています。
このコメントからも、厚生労働省が回収を決定する以前から、患者さんのすぐそばにいる医師や看護師などの判断によって、自主的な対応が行われていた医療機関があったことがうかがえます。
私は、この事実をとても大切に受け止めています。
患者さんが診察室へ入ってくるときの表情、抗がん剤治療を待っているときの不安、ご家族が抱えている心配――。
そうしたものを日々間近で見ている医療者が、「このポスターをここに掲示することは、本当に患者さんのためになるだろうか」と立ち止まったのであれば、それはまさに、医療に携わる者に求められる大切な感性の一つだと思うからです。
そして、今回「傷ついた」「不安になった」と声を上げられた患者さんやご家族の気持ちも、とても「重いもの」であると思います。
治療への恐怖や将来への不安を抱えて通院されている患者さんやご家族にとって、病院の待合室や診察室は、少しでも心を落ち着かせ、前を向こうとする「安全な場所」でなければなりません。そうした逃げ場のない場所で、予期せずショックを受けるような言葉や表現に直面した時の衝撃や悲しみは、決して軽視できるものではなく、医療現場が最も守るべき平穏を脅かしてしまったという事実を、私たち医療従事者は重く受け止める必要があります。
今回声を上げてくださった方々の行動は、決して「騒ぎ立てた」のではなく、自分と大切な人を守るための切実なSOSであり、現場の配慮不足を知らせてくれた大切な警告でした。
その上で、だからこそ今回の痛みを「ポスターを回収して終わり」にしてはならず、どうすれば患者さんを傷つけずに必要な支援情報だけを届けられたのか、という次の一歩への教訓にしなければならないと考えています。
こうした切実な声が行政に届いたこと自体は、SNSというツールの持つ大きな価値です。従来の仕組みでは埋もれてしまっていたかもしれない個人の痛みや現場の違和感が、迅速に社会に届き、改善へと動かす力になったからです。
しかし同時に、私たちはSNSという仕組みが抱える「もう一つの側面」についても、冷静に見つめ直す必要があると感じています。
SNSの性質上、強い怒りや悲しみを伴う情報ほど瞬時に拡散され、感情的な対立が先鋭化しやすい傾向があります。その結果、本来であれば「患者さんを傷つけずに必要な情報を届けるにはどう改善すべきか」という建設的な議論に向かうべきところが、単なる「攻撃と謝罪」「全否定と即座の撤回」という、極端な二者択一で幕引きされてしまう危うさがあります。
そこで、私は今回の出来事について、もう一つ、皆様とご一緒に考えてみたいことがあります。それは、「SNSで炎上する」という現象と、「社会全体がそのように考えている」ということは、本当に同じなのだろうか?という問題です。
医療の世界では、一人の患者さんに生じた出来事を決して軽視しません。しかし、一つの出来事だけから、ある治療が患者さん全体にとって有害であるとも判断しません。
どれくらいの人に起きたのか。
どの程度重大なのか。
一方で、どのような利益があるのか。
別の方法はないのか。
できる限り事実を集め、利益と不利益の双方を比較して判断します。
これは「エビデンスに基づく医療」の基本的な考え方です。
私は、医療政策や医療広報についても、本来は同じような姿勢が必要なのではないかと思っています。
今回の企画そのものは、AYA世代のがん患者さんに、治療費、就労、妊孕性、育児などに関係する支援制度を知っていただこうという目的で始められたものでした。その目的まで否定されるべきものではありません。
であるならば、
「どの表現が患者さんを傷つけたのか」
「どの場所への掲示が問題だったのか」
「一方で、この企画によって必要な支援制度を初めて知った患者さんはいなかったのか」
ということまで丁寧に検証し、改善できるところは改善する。
そのうえで、続けるべきものは続ける。
それが「理性」を基盤とする医療行政のあり方ではないでしょうか。
私は、今回の厚生労働省の判断そのものについて、ここで「正しかった」「間違っていた」と断定するつもりはありません。患者さんの心情に十分配慮できなかった可能性があるのであれば、それを認め、速やかに対応することも行政には必要だからです。
しかし、私が少し心配しているのは、今回の一件を超えた、もっと大きな問題です。
もちろん、今回の厚生労働省の判断が、SNS上の反響だけを理由になされたものだと申し上げているわけではありません。しかし、一般論として、これからの日本で、
「SNSで炎上した」
↓
「批判が殺到した」
↓
「行政が政策や事業を撤回する」
ということが当たり前になってしまわないでしょうか。今回の場合で言えば、映画との「ミスマッチ」が問題であったとしても、「炎上」の結果、「取り下げ」の部分だけが拡大され、「AYA世代がんの患者さんに対する支援制度を広く知ってもらう」という本来の目的が忘れ去られてしまうことが危惧されます。
そして医療には、ときとして耳にしたくない情報、不安になる情報、あるいは死について考えざるを得ない情報も存在します。それらをすべて社会から遠ざけることが、本当に患者さんを守ることになるのか。
これは決して簡単な問題ではありません。
だからこそ私は、これからの社会に必要なのは「炎上しないこと」ではなく、「炎上が起きたときにも、感情に耳を傾けながら、最後は事実とデータと対話によって判断できる力」ではないかと思っています。これもまた、「ヘルスリテラシー」の大切な一部分ではないでしょうか。
患者さんの声を大切にすること。
医療者の現場感覚を大切にすること。
行政が説明責任を果たすこと。
そして私たち市民一人ひとりが、SNSで目にした情報について、「これは社会全体を代表する情報なのだろうか」と、一度立ち止まって考えること。
この四つは、決して互いに矛盾するものではないと思います。
今回の出来事を、誰かを責める材料として終わらせるのではなく、『SNS時代の「大きな声」に触れた時、その背景を正しく理解し、私たちはどう受け止めていけばよいのか』を考える機会にできれば――。
そんなことを考えた朝でした。未熟で至らない考えと思いますので、ぜひ、下記の連絡先に皆様のご意見もお寄せいただけますと、ありがたく存じます。
本日も皆様にとりまして、穏やかな一日となりますことを心より願っております。
一戸辰夫(「若手がん治療医・血液内科医を支援する会」発起人)[連絡先:tatsuo.ichinohe@icloud.com いつでも皆様からの建設的ご批判・ご意見をお待ちしています](なお、このオフ・トークの内容はあくまで一戸個人の見解であり、本署名活動のサポーター方々や後援団体の立場を表明するものではありません。)