【オフトーク(Off-talk)・号外版】「医療事故」の悲劇を防ぐために


いつもご支援をいただいている皆様
本日は、長崎の被爆犠牲者の方々の想いに心を寄せ、静かに祈りを捧げるための一日でしたので、このオフトークはまさに「緊急号外」として、配信しております。したがって、私の文面や書かれている内容に混乱が生じていることを、どうかご海容賜れればありがたく存じます。
一昨日夕刻に報道された、京大病院における脳神経外科手術の「事故」には、皆様も大変驚かれたことと思います。執刀医は十分な手術経験をもっており、通常では「正常の脳幹部」を切除することは考えられません。患者さんは50代で、良性の脳腫瘍だったとのことでしたので、ご本人・ご家族の心中を察すると胸が詰まる思いです。私自身も、かつて同院職員として、12年近く勤務していたことがあり、血液内科のリスクマネージャー(注)も担当しておりましたので、非常に大きな衝撃を受けております。
(注:医療事故を未然に防ぎ、患者が安全な医療を受けられる環境をつくる役割を担う。院内のヒヤリハット事例や事故報告を分析し、安全確認方法や再発防止策を現場に浸透させるのが主な仕事。)
残念ながら、交通事故が決してなくならないように、本来あってはならない医療事故も100%なくすことは困難であることが、人間工学や認知心理学など複数の研究領域で示されています。もっとも有名な著作は、1999年に米国で出版された 『人は誰でも間違える――より安全な医療システムを目指して』(日本評論社, 2000年)ですが、良く知られる「To err is human(人間は間違える存在である).」という言葉とともに、医療安全を学ぶためのバイブルとなっております。
これまでの研究により、「医療事故」を防ぐためにもっとも有効な方法は、決して個人に依存せず、医療チームや確立された安全システムにより「事故の危険」を未然に察知できるネットワークを常に稼働させておくこととされています。報道で得られる限られた情報しかないため、今回の事故について具体的な原因を論じることはできません。ただ、報道によれば、術中の病理診断で切除した組織が「正常脳組織」と判定された後も手術が継続されたとされています。一般論として、このように手術中に当初の想定と異なる情報が得られた場合には、いったん立ち止まり、複数の医療者によって状況を再確認する仕組みが、重大な医療事故を防ぐための重要な安全対策の一つになると考えられます。今回の事故についても、今後の詳細な検証によって、どのような経緯で事故が生じ、どの段階でそれを防ぐことが可能であったのかが明らかになることを願っています。
一方、どれほど優れた医療安全システムを病院が備えていても、それを動かす「人間(マンパワー)」が限界を超えて不足していると、システムは事故を防ぐ機能を果たせなくなることも知られています。良く知られている研究として、米国のペンシルバニア州で、数十万人の手術患者さんのデータを分析したところ、看護師1名が担当する患者さんが一人増えるごとに、患者さんの急変対応に対する遅れによる死亡や手術後1ヶ月以内の死亡が7%も増加することが報告されています。また、長時間の勤務も医療事故を誘発する大きなリスクであり、同じく米国ハーバード大学で、集中治療室の研修医を対象に研究を行ったところ、長時間連続勤務を含む従来の勤務体制では、16時間以上の連続勤務をなくし、週60~63時間程度に勤務時間を短縮した体制と比較して、重大な医療エラーが35.9%多く発生し、重大な診断エラーは5倍以上に増加していました。
そのように考えてみると、現在のわが国において、人員不足が激しい腫瘍内科や血液内科、そして消化器外科などでは、少ない人員による長時間勤務が生じることも少なくなく、医療安全の観点からも決して看過することのできない状況にあると考えられます。現在、私たちが行っている血液専門医教育施設の実情調査では、大都市圏以外の成人血液内科では、40%以上の施設で常勤医が2名以下という手薄な体制で診療を行っていることが判明しております。もちろん、この調査結果だけから、これらの施設で医療事故が発生する危険性が高いと結論づけることはできません。しかし、少ない人員で高度ながん医療を支え続けることは、医師一人ひとりの負担を増すだけでなく、複数の医療者による確認や相互支援、十分な休息の確保など、患者さんの安全を守るために必要な医療体制を維持するうえでも、決して望ましい状況とはいえません。
今回の極めて深刻な医療事故の報道に接し、私たちの署名活動を通じて、単に「がん治療を受けられる場所」を地域に残すだけではなく、そこで働く医療者が十分な人的余裕をもって患者さんを支え、患者さん自身が安心して「安全ながん医療」を受けられる環境を実現することの重要性を、あらためて認識した次第です。
署名サイトURL: https://c.org/wNtJ4MWsWD
一戸辰夫(「若手がん治療医・血液内科医を支援する会」代表)[連絡先:tatsuo.ichinohe@icloud.com いつでも皆様からの建設的ご批判・ご意見をお待ちしています](なお、このオフ・トークの内容はあくまで一戸個人の見解であり、本署名活動のサポーターの方々や後援団体の立場を表明するものではありません。)