官邸報道室による内閣官房長官記者会見での報道規制を憂慮し、内閣記者会の毅然たる対応を求めます。

官邸報道室による内閣官房長官記者会見での報道規制を憂慮し、内閣記者会の毅然たる対応を求めます。

署名活動の主旨

私たちは官邸報道室による内閣官房長官記者会見での質問数や会見時間の制限などの報道規制を憂慮し、内閣記者会の毅然たる対応を求めます。
官房長官は、会見の制限について、他の公務を理由にしているようですが、歴代官房長官は日々の記者会見を大切な公務の一環として位置づけてきたはずです。
内閣総理大臣や内閣官房長官の会見は、政権の説明責任を果たし、国民が自ら主権者として参画する政治を実現する上で、欠かせない重要な場であるはずです。
内閣記者会が、官邸の要求に応じて会見時間や質問数を制限することは、権力をチェックするジャーナリズムの機能を低下させ、国民の知る権利を制限することに等しいものです。
私たちは、官邸報道室と内閣記者会が先人たちの経験と教訓から学び、同じ轍を踏まないよう、会見時間や質問数の制限などを可能な限り撤廃し、政権とジャーナリズムの正常な緊張関係を保持するよう、最大限の努力を尽くされることを要請します。
 
以下に、内閣記者会や各報道機関、その代表者が過去の事案に講じた対応を事例として掲げ、それらから導き出した私たちの提言を記します。
 
⚫️戦前の事例ーー濱口首相の容態についての流言浮説を広めた容疑で記者が逮捕された事件に際しての内閣記者会の抗議
 
1930(昭和5)年11月14日に、浜口雄幸首相が東京駅のホームで右翼、佐郷屋留雄の凶弾を受けてから約三週間後の12月7日朝、『時事新報』政治部記者の細越政夫が大井署の特高刑事に拘引されました。細越記者が友人の経営する通信社社長に対して浜口首相の容態に関しての談話を流したため流言浮説取り締まりの容疑でした。
これに対して、内閣記者会が東西十社の連名で共同宣言を発しました。
「政府の言論に対する態度は近時、益々暴戻(ぼうれい)を加え不当なる記事差し止め、新聞差押えの頻発いよいよ甚だしきものあり。時事新報政治部記者に加えた不当監禁のな処置は、名を流言浮説にかりて新聞記者の良心を蹂躙せるもの、しかも厳正なるべき警察官憲が政府部内暗闘の渦中に投じて、監禁取調べをなせるはスパイ政治の表われというべし」「言論の恐怖時代来るというもあえて過言にあらず。吾人はこれをもって単なる警察官憲の没常識とみず、政府の言論に対する計画的凌辱なりと認め、厳にその非違を糾弾す」
戦前期の内閣記者会が記者と報道の自由を擁護し、政府に対して毅然たる対応をとったことは、内閣記者会の歴史に誇るべき1ページと言えるでしょう。
 
⚫️戦後のメディアの反省と決意 ーー朝日新聞の社告とNHK会長、高野岩三郎の演説
 
戦後のメディアのスタートラインには、戦前・戦中に社会の公器ではなく、国家の宣伝機関に成り下がった反省に立って、国民の報道機関となって再出発しようとする決意が示されました。
1945年11月7日付、朝日の 第一面に社告として掲載された「国民と共に起たん」には、次のように記されていました。
 
「開戦より戦争中を通じ(略)真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、また、この制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである」「日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである」
また、1946年4月にNHK会長に就任した高野岩三郎氏は次のように日本放送協会会長就任演説で述べてます。
「太平洋戦争中のように、もっぱら国家権力に駆使され、いわゆる国家目的のために利用されることは、厳にこれを慎み、権力に屈せず、ひたすら大衆のために奉仕することを確守すべきであります。」「また、いわゆる指導者顔して、大衆と遠くかけ離れ、はるか彼方から大衆に号令し、大衆に強制し、大衆にラジオを嫌悪する感情を抱かせてはなりません。あくまで大衆とともに歩むことの心がけが肝要であります。」(日本放送協会 昭和21年4月30日、号外)所収、高野岩三郎『かっぱの屁』、法政大学出版局、1961年)
 
高野NHK会長の演説は、戦争への反省の下、戦後のメディアのあり方を、社会的にメディアがあるべき姿をはっきりと述べています。
 
⚫️食糧メーデー陳情団に食糧の提供を斡旋しただけの記者を内閣記者会が除名

ところが、1946年5月19日の食糧メーデーの首相官邸内で陳情していた人々に読売新聞の記者二人(宮本太郎政経部次長、細田弘政経部記者)がおにぎりを提供するように官邸に働きかけたことを内閣記者会が問題視し、この二人の記者を記者会から除名し、読売新聞社が無期限登院停止処分とする事件が起こりました。
記者が官邸サイドの意に沿わないことをしたことに対して、内閣記者会が記者の会員資格を剥奪し、取材活動に支障をきたす懲罰的処分を下したことは、重大な過ちと言わざるを得ません。
日本新聞通信労働組合や読売新聞社が内閣記者会の行き過ぎた処分に抗議したのは、当然のことです。
内閣記者会は、取材活動に著しい制限を課す記者への処分を繰り返さないように肝に銘じるべきだと思います。
 
以上のような過去の事例から、内閣記者会のあり方について、私たちは次のように要請をまとめました。
 
(1)政府による記者、報道機関への不当な攻撃や抑圧に対しては、断乎たる対応によって記者を擁護してください。
(2)内閣記者会として、各記者がジャーナリストとしての役割を果たし、市民の最も知りたいことを報じることができるよう、記者会見における制限を可能な限り行わないように、お願いいたします。
 
官邸報道室におかれましても、内閣記者会が記者の自主的な団体であるという認識に立ち、記者会見などの取材に制限を加えることのないようにご配慮くださいますよう、お願いいたします。
万が一、総理大臣や官房長官の記者会見に極端な制限が加えられ、特定の記者や報道機関の質問を封殺するようなことがあれば、国民と政権のコミュニケーションは断絶に等しい事態となり、政治への不信が増大するばかりでなく、メディアへの信頼も損なうことになるでしょう。
核戦争の危機が憂慮されている今、二度の原爆と核実験・原発事故による核被災を体験した私たちは、情報の隠蔽がいのちの危険に関わる問題であると強く心に刻みつけています。
戦争と構造的暴力の被害を回避し、国民が貧困や差別もなく平和に暮らすためには、政府が国民を巻き込んだ政策論議を活発にし、説明責任を果たし、メディアや市民の疑問に答えることが欠かせません。
自由、民主主義、基本的人権の尊重という価値観を共有する国際社会の中において、我が国が名誉ある地位をしめることができるよう、ともに努力してくださることをお願いいたします。
 

2,889人の賛同者が集まりました

署名活動の主旨

私たちは官邸報道室による内閣官房長官記者会見での質問数や会見時間の制限などの報道規制を憂慮し、内閣記者会の毅然たる対応を求めます。
官房長官は、会見の制限について、他の公務を理由にしているようですが、歴代官房長官は日々の記者会見を大切な公務の一環として位置づけてきたはずです。
内閣総理大臣や内閣官房長官の会見は、政権の説明責任を果たし、国民が自ら主権者として参画する政治を実現する上で、欠かせない重要な場であるはずです。
内閣記者会が、官邸の要求に応じて会見時間や質問数を制限することは、権力をチェックするジャーナリズムの機能を低下させ、国民の知る権利を制限することに等しいものです。
私たちは、官邸報道室と内閣記者会が先人たちの経験と教訓から学び、同じ轍を踏まないよう、会見時間や質問数の制限などを可能な限り撤廃し、政権とジャーナリズムの正常な緊張関係を保持するよう、最大限の努力を尽くされることを要請します。
 
以下に、内閣記者会や各報道機関、その代表者が過去の事案に講じた対応を事例として掲げ、それらから導き出した私たちの提言を記します。
 
⚫️戦前の事例ーー濱口首相の容態についての流言浮説を広めた容疑で記者が逮捕された事件に際しての内閣記者会の抗議
 
1930(昭和5)年11月14日に、浜口雄幸首相が東京駅のホームで右翼、佐郷屋留雄の凶弾を受けてから約三週間後の12月7日朝、『時事新報』政治部記者の細越政夫が大井署の特高刑事に拘引されました。細越記者が友人の経営する通信社社長に対して浜口首相の容態に関しての談話を流したため流言浮説取り締まりの容疑でした。
これに対して、内閣記者会が東西十社の連名で共同宣言を発しました。
「政府の言論に対する態度は近時、益々暴戻(ぼうれい)を加え不当なる記事差し止め、新聞差押えの頻発いよいよ甚だしきものあり。時事新報政治部記者に加えた不当監禁のな処置は、名を流言浮説にかりて新聞記者の良心を蹂躙せるもの、しかも厳正なるべき警察官憲が政府部内暗闘の渦中に投じて、監禁取調べをなせるはスパイ政治の表われというべし」「言論の恐怖時代来るというもあえて過言にあらず。吾人はこれをもって単なる警察官憲の没常識とみず、政府の言論に対する計画的凌辱なりと認め、厳にその非違を糾弾す」
戦前期の内閣記者会が記者と報道の自由を擁護し、政府に対して毅然たる対応をとったことは、内閣記者会の歴史に誇るべき1ページと言えるでしょう。
 
⚫️戦後のメディアの反省と決意 ーー朝日新聞の社告とNHK会長、高野岩三郎の演説
 
戦後のメディアのスタートラインには、戦前・戦中に社会の公器ではなく、国家の宣伝機関に成り下がった反省に立って、国民の報道機関となって再出発しようとする決意が示されました。
1945年11月7日付、朝日の 第一面に社告として掲載された「国民と共に起たん」には、次のように記されていました。
 
「開戦より戦争中を通じ(略)真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、また、この制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せんがためである」「日本民主主義の確立途上来るべき諸々の困難に対し、朝日新聞はあくまで国民の機関たることをここに宣言するものである」
また、1946年4月にNHK会長に就任した高野岩三郎氏は次のように日本放送協会会長就任演説で述べてます。
「太平洋戦争中のように、もっぱら国家権力に駆使され、いわゆる国家目的のために利用されることは、厳にこれを慎み、権力に屈せず、ひたすら大衆のために奉仕することを確守すべきであります。」「また、いわゆる指導者顔して、大衆と遠くかけ離れ、はるか彼方から大衆に号令し、大衆に強制し、大衆にラジオを嫌悪する感情を抱かせてはなりません。あくまで大衆とともに歩むことの心がけが肝要であります。」(日本放送協会 昭和21年4月30日、号外)所収、高野岩三郎『かっぱの屁』、法政大学出版局、1961年)
 
高野NHK会長の演説は、戦争への反省の下、戦後のメディアのあり方を、社会的にメディアがあるべき姿をはっきりと述べています。
 
⚫️食糧メーデー陳情団に食糧の提供を斡旋しただけの記者を内閣記者会が除名

ところが、1946年5月19日の食糧メーデーの首相官邸内で陳情していた人々に読売新聞の記者二人(宮本太郎政経部次長、細田弘政経部記者)がおにぎりを提供するように官邸に働きかけたことを内閣記者会が問題視し、この二人の記者を記者会から除名し、読売新聞社が無期限登院停止処分とする事件が起こりました。
記者が官邸サイドの意に沿わないことをしたことに対して、内閣記者会が記者の会員資格を剥奪し、取材活動に支障をきたす懲罰的処分を下したことは、重大な過ちと言わざるを得ません。
日本新聞通信労働組合や読売新聞社が内閣記者会の行き過ぎた処分に抗議したのは、当然のことです。
内閣記者会は、取材活動に著しい制限を課す記者への処分を繰り返さないように肝に銘じるべきだと思います。
 
以上のような過去の事例から、内閣記者会のあり方について、私たちは次のように要請をまとめました。
 
(1)政府による記者、報道機関への不当な攻撃や抑圧に対しては、断乎たる対応によって記者を擁護してください。
(2)内閣記者会として、各記者がジャーナリストとしての役割を果たし、市民の最も知りたいことを報じることができるよう、記者会見における制限を可能な限り行わないように、お願いいたします。
 
官邸報道室におかれましても、内閣記者会が記者の自主的な団体であるという認識に立ち、記者会見などの取材に制限を加えることのないようにご配慮くださいますよう、お願いいたします。
万が一、総理大臣や官房長官の記者会見に極端な制限が加えられ、特定の記者や報道機関の質問を封殺するようなことがあれば、国民と政権のコミュニケーションは断絶に等しい事態となり、政治への不信が増大するばかりでなく、メディアへの信頼も損なうことになるでしょう。
核戦争の危機が憂慮されている今、二度の原爆と核実験・原発事故による核被災を体験した私たちは、情報の隠蔽がいのちの危険に関わる問題であると強く心に刻みつけています。
戦争と構造的暴力の被害を回避し、国民が貧困や差別もなく平和に暮らすためには、政府が国民を巻き込んだ政策論議を活発にし、説明責任を果たし、メディアや市民の疑問に答えることが欠かせません。
自由、民主主義、基本的人権の尊重という価値観を共有する国際社会の中において、我が国が名誉ある地位をしめることができるよう、ともに努力してくださることをお願いいたします。
 

意思決定者

首相官邸報道室、内閣記者会
首相官邸報道室、内閣記者会

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