現代に一休さんは要らない!未成年の宗教者を無くそう

署名活動の主旨

【自己紹介】

私は日蓮正宗の宗教者でした。

12歳の時分に伝統宗教のもとで出家し、十年以上を経て、還俗と棄教を経た人間です。この度、私は行政に対して『未成年の宗教者を無くそう』という署名を行う事に致しました。

この署名に至る行動の動機は、昨年の参院選中に元首相の殺害事件があり、この事件を受けて宗教に関する人権侵害の話題が、報道されるようになったことがきっかけになります。

【宗教問題とは、カルト宗教だけの問題ではありません】

誰しも子供の時分というのは純粋では無いでしょうか。

世間では「親の背中を見て子は育つ」とも言われます。何せ経験も浅く、物心着く前のことなのです。

生まれてから全て目に映るものは、子供にとって自明の家庭環境として存在します。親の宗教にしても同じで、子にとっては家庭環境の一つなのです。

私の出家はそんな純粋な時分のものでした。そしてずっと「最後は自分で選んだ道だから、どのような結果になっても文句は言えない」ものとされてきました。

即ち未成年時の出家も、個人による『信教の自由』の内、結果は自己責任ということです。そして宗教法人は、小卒以後に組織に貢いだ、未成年の十数年の時間に対して、責任を負うことはありません。

しかし果たしてこれを、公正だと言えるのでしょうか?

 

【子供時代に、大人としての判断も責任も取れません】

社会において個人は、成年になるまでは判断能力が危ぶまれる時期とされます。それは例を挙げれば明瞭でしょう。

  1. 少年が刑罰に課されないのは、「判断能力の未熟」とされるから
  2. 0歳からではなく18歳から投票の権利を持てるのは、「判断能力の未熟」とされるから

そもそも親の宗教を、同じく子供がするとは限りません。子供は凡ゆる面で弱い存在であるからこそ、凡ゆる抑圧から護ることが大人や社会の責務であるはずです。

しかしながら、何故か宗教に関することになると、例外を設けられてしまいます。「法は家庭に入らず」という格言が、権力が強い側によって、恣意的に美化されるかのように。

宗教法人という組織と小卒の人間は、常識的にも対等ではあり得ません。

 

【私の過去について】

私の過去について述べます。

先に少し触れたように、私の周囲は生まれた時から宗教の世界の環境でありました。私は然程の疑問を抱かず、環境に押される形で出家することになりました。

世間においては、その宗教法人内部のことはよく知らずとも、修行中の小僧さんというのは眩しく見えるものでしょう。私もそのつもりでありました。

しかし、それが如何に甘い考えであったか、出家以後の十一年で思い知らされることになりました。

そもそも家庭から離れての集団生活に該当するのは、自衛隊や刑務所位なものでしょう。そうした空間に、小卒の児童が行くことになるわけです。

そして特定の宗教法人の専従職員としてしか選択可能性が考慮はされていない為に、還俗の場合には職探しから難渋することになります。職業訓練もしておらず、学歴も低い為、不利な条件となります。

結果として、私の十代の時間は、特定の宗教法人に捧げた形となりました。しかもこれは伝統でもなかった。労働力を囲い込みたいが為の、宗教法人の都合以外になかったのです。

もし未成年という条件が軽んじられて無ければ、元々起こるはずも無かったことでした。私は自身と同じ経験を、他の人にして欲しくありません。

【私は宗教教義では無く、社会的公正を問います】

凡そ、宗教に関する事は誰もが触れたがらぬものでしょう。敬して遠ざけるのがいいと思う人も多いでしょうし、大体、知らぬ人には知らぬ世界のことだからです。

しかし、私の求める署名の内容は、宗教教義の論争とは無関係なものです。先ずこの社会の中で行政に認可を受けた宗教法人が存在し、その宗教法人内で運用される仕組をこそ問題視しているのです。

分かりやすく言えば、現代においては一休さんのような小僧さんは無用ということになります。そもそも宗教者はれっきとした労働者という認識は社会通念としてあるべきで、さも労働基準法の抜け穴かのように存在すべきで無いものと考えます。

修行と言えばなんでもよい事にはならないのです。

この問題は、今後も他の宗教法人でも有り得ることと思われます。宗教というものが良くも悪くも敬遠される存在であればこそ、必要措置は行政が介入すべきと、私は経験上、考えます。

この署名は、児童の権利を擁護する、こども家庭庁に届けます。宗教法人の利益の為に人権侵害の仕組みがある状況に、ストップをかける事が、この署名活動の目標です。私の署名に賛同頂ける方、どうか宜しくお願いします。

 

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署名活動の主旨

【自己紹介】

私は日蓮正宗の宗教者でした。

12歳の時分に伝統宗教のもとで出家し、十年以上を経て、還俗と棄教を経た人間です。この度、私は行政に対して『未成年の宗教者を無くそう』という署名を行う事に致しました。

この署名に至る行動の動機は、昨年の参院選中に元首相の殺害事件があり、この事件を受けて宗教に関する人権侵害の話題が、報道されるようになったことがきっかけになります。

【宗教問題とは、カルト宗教だけの問題ではありません】

誰しも子供の時分というのは純粋では無いでしょうか。

世間では「親の背中を見て子は育つ」とも言われます。何せ経験も浅く、物心着く前のことなのです。

生まれてから全て目に映るものは、子供にとって自明の家庭環境として存在します。親の宗教にしても同じで、子にとっては家庭環境の一つなのです。

私の出家はそんな純粋な時分のものでした。そしてずっと「最後は自分で選んだ道だから、どのような結果になっても文句は言えない」ものとされてきました。

即ち未成年時の出家も、個人による『信教の自由』の内、結果は自己責任ということです。そして宗教法人は、小卒以後に組織に貢いだ、未成年の十数年の時間に対して、責任を負うことはありません。

しかし果たしてこれを、公正だと言えるのでしょうか?

 

【子供時代に、大人としての判断も責任も取れません】

社会において個人は、成年になるまでは判断能力が危ぶまれる時期とされます。それは例を挙げれば明瞭でしょう。

  1. 少年が刑罰に課されないのは、「判断能力の未熟」とされるから
  2. 0歳からではなく18歳から投票の権利を持てるのは、「判断能力の未熟」とされるから

そもそも親の宗教を、同じく子供がするとは限りません。子供は凡ゆる面で弱い存在であるからこそ、凡ゆる抑圧から護ることが大人や社会の責務であるはずです。

しかしながら、何故か宗教に関することになると、例外を設けられてしまいます。「法は家庭に入らず」という格言が、権力が強い側によって、恣意的に美化されるかのように。

宗教法人という組織と小卒の人間は、常識的にも対等ではあり得ません。

 

【私の過去について】

私の過去について述べます。

先に少し触れたように、私の周囲は生まれた時から宗教の世界の環境でありました。私は然程の疑問を抱かず、環境に押される形で出家することになりました。

世間においては、その宗教法人内部のことはよく知らずとも、修行中の小僧さんというのは眩しく見えるものでしょう。私もそのつもりでありました。

しかし、それが如何に甘い考えであったか、出家以後の十一年で思い知らされることになりました。

そもそも家庭から離れての集団生活に該当するのは、自衛隊や刑務所位なものでしょう。そうした空間に、小卒の児童が行くことになるわけです。

そして特定の宗教法人の専従職員としてしか選択可能性が考慮はされていない為に、還俗の場合には職探しから難渋することになります。職業訓練もしておらず、学歴も低い為、不利な条件となります。

結果として、私の十代の時間は、特定の宗教法人に捧げた形となりました。しかもこれは伝統でもなかった。労働力を囲い込みたいが為の、宗教法人の都合以外になかったのです。

もし未成年という条件が軽んじられて無ければ、元々起こるはずも無かったことでした。私は自身と同じ経験を、他の人にして欲しくありません。

【私は宗教教義では無く、社会的公正を問います】

凡そ、宗教に関する事は誰もが触れたがらぬものでしょう。敬して遠ざけるのがいいと思う人も多いでしょうし、大体、知らぬ人には知らぬ世界のことだからです。

しかし、私の求める署名の内容は、宗教教義の論争とは無関係なものです。先ずこの社会の中で行政に認可を受けた宗教法人が存在し、その宗教法人内で運用される仕組をこそ問題視しているのです。

分かりやすく言えば、現代においては一休さんのような小僧さんは無用ということになります。そもそも宗教者はれっきとした労働者という認識は社会通念としてあるべきで、さも労働基準法の抜け穴かのように存在すべきで無いものと考えます。

修行と言えばなんでもよい事にはならないのです。

この問題は、今後も他の宗教法人でも有り得ることと思われます。宗教というものが良くも悪くも敬遠される存在であればこそ、必要措置は行政が介入すべきと、私は経験上、考えます。

この署名は、児童の権利を擁護する、こども家庭庁に届けます。宗教法人の利益の為に人権侵害の仕組みがある状況に、ストップをかける事が、この署名活動の目標です。私の署名に賛同頂ける方、どうか宜しくお願いします。

 

意思決定者

子ども家庭庁
子ども家庭庁

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2023年1月20日に作成されたオンライン署名