横浜市栄区上郷町の深田遺跡と周辺一帯を歴史(史跡)公園として保存・整備してください


横浜市栄区上郷町の深田遺跡と周辺一帯を歴史(史跡)公園として保存・整備してください
署名活動の主旨
横浜市栄区は歴史的に有名な金沢と鎌倉に接する地域です。1982年に猿田遺跡が学校建設、1985年に深田遺跡が道路建設で発見されました。2つの遺跡の中心距離は300メートルしか離れていません。深田では西暦640年~760年の約120 年間製鉄が行われ、猿田には工人たちが住む集落があったことが明らかになっています。残念ながら、県内唯一の深田製鉄遺跡は舞岡上郷線道路の下とその周辺に、猿田遺跡は横浜栄高校の下に眠っています。
私たちは、この二つの遺跡の他、関連遺跡群も含める一帯を歴史公園として整備・保存することを市長に求めて署名を集めています。皆様にご協力いただければ幸いです。非常に貴重な遺跡が復元され、古代の製鉄場や人々の暮らしの様子を見ることができたら、楽しいと思いませんか。具体的には、次の3点を求めています。
- 2019年に横浜市埋蔵文化財センターによる予備調査によって、深田遺跡の背後の山林部分について、遺跡の範囲が及んでいることが明らかになりました。深田遺跡の全体の姿を明らかにするために、この部分の本調査を実施してください。
- 今回刊行された上郷深田遺跡発掘調査報告書で重ねて指摘された通り、深田遺跡の製鉄事業は燃料の木炭を焼いた炭窯の確認が不可欠です。また焼否みの須恵器が確認され、県内では未確認の須恵器窯の存在が指摘されました。これら関連遺跡の確認調査を実施してください。
- 1、2の調査結果を踏まえて、深田遺跡と周辺一帯を歴史公園として保存・整備をお願いします。
製鉄場の概要
先端部に飛鳥時代の竪穴建物、中ほどの大規模な堀立柱塀の前には製鉄炉がならんでいます。同様の施設が、規模を縮小して中央奥に再建されました。炉の列の手前に建てられた竪穴建物は、床に砂鉄が散らばっているので、製鉄原料を収納した砂鉄小屋と考えられます。
深田遺跡の発掘調査
1985年、横浜市都市計画道路「舞岡・上郷線」の建設計画が出され、その工事区間に上郷深田遺跡があることがわかりました。市の道路局は、埋蔵文化財の調査を横浜市埋蔵文化財調査委員会(後に横浜市埋蔵文化財センター)に委託し、1986年9月から翌年6月にかけて発掘調査が行われました。
発掘してみると、台地の先端部に上下2段の平場をつくり、そこに製鉄炉が列をなして並ぶ製鉄場であったことが明らかになりました。遺跡が営まれたのは今からおよそ1350年前の飛鳥時代後期(藤原京)から奈良時代(平城京)までの約120年間もの長い間です。
下段の平場は3層が重なり、最下層まで調査されましたが、上段は表層だけの調査で下層に遺跡があることを試掘溝で確認したのみで、道路工事が下層を破壊することはないとして調査が中断され、未調査のまま道路下に埋め戻されてしまいました。
その後、2018年になって、この地区の都市開発計画がにわかに具体化し、2019年に横浜市埋蔵文化財センターの試掘調査で、深田遺跡は背後に続く山林部分まで広がっていることが確認されました。しかし、開発会社の東急建設が計画を中止し、試掘溝は埋め戻されています。
上段の製鉄場
敷地は台地の先端に造成した横巾40m、奥行き15mほどの平場で、奈良時代には前方に製鉄炉が横1列に並んでいました。左端に小屋が1棟あり、交替で三日三晩の突貫作業に従事する工人たちの待機、休憩所に使われ、また原料の砂鉄や燃料の木炭を収納する資材庫だったのでしょう。工房の裏には土取り穴が多数掘り込まれています。製鉄作業が終了した後、炉を壊して炉底にたまった鉄塊を取り出し、再び炉を築き直して操業を続けますが、この時、粘土に練り込む砂土を採掘したのがこの土取り穴です。
下段の製鉄場
大がかりな塀の前に製鉄炉が横一列に並んでいます。塀を支える柱の穴は、太い方形の柱穴の間に細い円形の柱穴が2本規則的に配され、一直線に続いています。上段にはこのような塀は無いので、上で廃棄された鉄滓や炉壁片を斜面下でせき止める施設だったのでしょう。塀の前の竪穴建物は、床一面に砂鉄が散らばっており、製鉄原料の砂鉄を収納した小屋だったことがわかります。
箱型炉から竪型炉へ
深田Ⅱ期の製鉄炉は長方形箱型炉です。粘土で長方形の炉を築き、その両短辺に排滓と導風のための溝や土壙を設けるものです。自然の谷風を利用するため、恒常的に高温を確保することは難しいようです。箱形炉は7世紀後半に国家基準の製鉄炉として各地に広まりました。この時期に、百済が新羅に滅ぼされるなどの朝鮮半島の政治変動により渡来人の大量来日があったことと関係すると言われています。箱形炉は古東山道を経由して、関東から東北南部にまで広まりました。深田で製鉄が始まったのは、この箱形炉普及の時期でした。
深田Ⅲ期になると製鉄炉は竪形炉に代わります。竪形炉は斜面を掘りこんで、前面を粘土の壁で覆い円筒形の炉を築きます。背後に平場を設けてそこにフイゴ座を設置し、踏みフイゴで風を起こして大口径羽口で炉に送るのです。そのため炉内の適温を確保でき、東日本のチタンの多い砂鉄の製錬に適合しました。
原料の砂鉄はどこから
「たたら製鉄」では炉内で木炭を燃焼させ、炭の燃焼で炉内を高温にして、酸化炭素ガスで満たします。その中で酸化鉄である砂鉄が融解し、一酸化炭素と反応して酸素を奪われ、純鉄と二酸化炭素が生じます。ガスは吹き上がり、重い鉄は炉底に溜まり、それを炉壁を壊して取り出します。
地球内部のマグマは鉄分を含み、それが火山の噴火で地上に噴出して出来た火成岩や火山灰にも含まれます。それらが風化して水に洗い流され、川底に堆積したのが川砂鉄、さらに流下して海岸に集積したものを浜砂鉄と呼びます。出雲で知られた鉄穴(かんな)流しは風化土壌を掘り崩し水流で選別したもので、山砂鉄といいます。鎌倉海岸や三浦半島の小河川の河口には砂鉄の集積があり、稲村ヶ崎の脇の極楽寺川河口には、今も純度70%の砂鉄が集積しています。古代にここで採掘された砂鉄は極楽寺川の水流で最終選別を行い、人が背負って運搬したにちがいありません。旧東海道で滑川を渡り、十二所の谷を入って朝比奈の峠を上がり切ると、分水嶺の平坦な道が北に延びていて、ほどなく近世の武相国境となります。これをさらに北へたどると、谷の湿地や急傾斜面を一つも通らず、工人の村と官舎のある猿田遺跡に到着します。
上郷深田製鉄遺跡の保存を求める会
- 竹岡健治(代表)
- 小宮恒雄(元横浜市埋蔵文化財センター調査研究員)
- 伊藤 毅(署名ページ担当)
呼びかけ人
伊藤薫(元日本製鉄研究開発本部)・稲木俊雄(元鎌倉女子大学准教授・元県立金沢文庫学芸課長)・いのうえせつこ(作家)・井端淑雄(上郷・瀬上の自然を守る会代表世話人)・遠藤吉隆(港南歴史協議会会長)・大橋宏(横浜環状道路(圏央道)連絡協議会副会長)・加藤彰彦(沖縄大学元学長)・小宮恒雄(元横浜市埋文センタ-調査研究員)・佐藤拓男(元小田原高校校長)・関口正俊(元神奈川県会議員)・北条祐英(光明寺住職)・皆川昭一(元横浜市会議員)・宮澤廣幸(弁護士)・大田玉恵・澤田隆俊・常石登志子・永田義博・宮下誠・森本英之
呼びかけ団体
鎌倉検定市民の会・上郷・瀬上の自然を守る会・港南歴史協議会・國寶史蹟研究會・栄まちづくり市民学校
6,634
署名活動の主旨
横浜市栄区は歴史的に有名な金沢と鎌倉に接する地域です。1982年に猿田遺跡が学校建設、1985年に深田遺跡が道路建設で発見されました。2つの遺跡の中心距離は300メートルしか離れていません。深田では西暦640年~760年の約120 年間製鉄が行われ、猿田には工人たちが住む集落があったことが明らかになっています。残念ながら、県内唯一の深田製鉄遺跡は舞岡上郷線道路の下とその周辺に、猿田遺跡は横浜栄高校の下に眠っています。
私たちは、この二つの遺跡の他、関連遺跡群も含める一帯を歴史公園として整備・保存することを市長に求めて署名を集めています。皆様にご協力いただければ幸いです。非常に貴重な遺跡が復元され、古代の製鉄場や人々の暮らしの様子を見ることができたら、楽しいと思いませんか。具体的には、次の3点を求めています。
- 2019年に横浜市埋蔵文化財センターによる予備調査によって、深田遺跡の背後の山林部分について、遺跡の範囲が及んでいることが明らかになりました。深田遺跡の全体の姿を明らかにするために、この部分の本調査を実施してください。
- 今回刊行された上郷深田遺跡発掘調査報告書で重ねて指摘された通り、深田遺跡の製鉄事業は燃料の木炭を焼いた炭窯の確認が不可欠です。また焼否みの須恵器が確認され、県内では未確認の須恵器窯の存在が指摘されました。これら関連遺跡の確認調査を実施してください。
- 1、2の調査結果を踏まえて、深田遺跡と周辺一帯を歴史公園として保存・整備をお願いします。
製鉄場の概要
先端部に飛鳥時代の竪穴建物、中ほどの大規模な堀立柱塀の前には製鉄炉がならんでいます。同様の施設が、規模を縮小して中央奥に再建されました。炉の列の手前に建てられた竪穴建物は、床に砂鉄が散らばっているので、製鉄原料を収納した砂鉄小屋と考えられます。
深田遺跡の発掘調査
1985年、横浜市都市計画道路「舞岡・上郷線」の建設計画が出され、その工事区間に上郷深田遺跡があることがわかりました。市の道路局は、埋蔵文化財の調査を横浜市埋蔵文化財調査委員会(後に横浜市埋蔵文化財センター)に委託し、1986年9月から翌年6月にかけて発掘調査が行われました。
発掘してみると、台地の先端部に上下2段の平場をつくり、そこに製鉄炉が列をなして並ぶ製鉄場であったことが明らかになりました。遺跡が営まれたのは今からおよそ1350年前の飛鳥時代後期(藤原京)から奈良時代(平城京)までの約120年間もの長い間です。
下段の平場は3層が重なり、最下層まで調査されましたが、上段は表層だけの調査で下層に遺跡があることを試掘溝で確認したのみで、道路工事が下層を破壊することはないとして調査が中断され、未調査のまま道路下に埋め戻されてしまいました。
その後、2018年になって、この地区の都市開発計画がにわかに具体化し、2019年に横浜市埋蔵文化財センターの試掘調査で、深田遺跡は背後に続く山林部分まで広がっていることが確認されました。しかし、開発会社の東急建設が計画を中止し、試掘溝は埋め戻されています。
上段の製鉄場
敷地は台地の先端に造成した横巾40m、奥行き15mほどの平場で、奈良時代には前方に製鉄炉が横1列に並んでいました。左端に小屋が1棟あり、交替で三日三晩の突貫作業に従事する工人たちの待機、休憩所に使われ、また原料の砂鉄や燃料の木炭を収納する資材庫だったのでしょう。工房の裏には土取り穴が多数掘り込まれています。製鉄作業が終了した後、炉を壊して炉底にたまった鉄塊を取り出し、再び炉を築き直して操業を続けますが、この時、粘土に練り込む砂土を採掘したのがこの土取り穴です。
下段の製鉄場
大がかりな塀の前に製鉄炉が横一列に並んでいます。塀を支える柱の穴は、太い方形の柱穴の間に細い円形の柱穴が2本規則的に配され、一直線に続いています。上段にはこのような塀は無いので、上で廃棄された鉄滓や炉壁片を斜面下でせき止める施設だったのでしょう。塀の前の竪穴建物は、床一面に砂鉄が散らばっており、製鉄原料の砂鉄を収納した小屋だったことがわかります。
箱型炉から竪型炉へ
深田Ⅱ期の製鉄炉は長方形箱型炉です。粘土で長方形の炉を築き、その両短辺に排滓と導風のための溝や土壙を設けるものです。自然の谷風を利用するため、恒常的に高温を確保することは難しいようです。箱形炉は7世紀後半に国家基準の製鉄炉として各地に広まりました。この時期に、百済が新羅に滅ぼされるなどの朝鮮半島の政治変動により渡来人の大量来日があったことと関係すると言われています。箱形炉は古東山道を経由して、関東から東北南部にまで広まりました。深田で製鉄が始まったのは、この箱形炉普及の時期でした。
深田Ⅲ期になると製鉄炉は竪形炉に代わります。竪形炉は斜面を掘りこんで、前面を粘土の壁で覆い円筒形の炉を築きます。背後に平場を設けてそこにフイゴ座を設置し、踏みフイゴで風を起こして大口径羽口で炉に送るのです。そのため炉内の適温を確保でき、東日本のチタンの多い砂鉄の製錬に適合しました。
原料の砂鉄はどこから
「たたら製鉄」では炉内で木炭を燃焼させ、炭の燃焼で炉内を高温にして、酸化炭素ガスで満たします。その中で酸化鉄である砂鉄が融解し、一酸化炭素と反応して酸素を奪われ、純鉄と二酸化炭素が生じます。ガスは吹き上がり、重い鉄は炉底に溜まり、それを炉壁を壊して取り出します。
地球内部のマグマは鉄分を含み、それが火山の噴火で地上に噴出して出来た火成岩や火山灰にも含まれます。それらが風化して水に洗い流され、川底に堆積したのが川砂鉄、さらに流下して海岸に集積したものを浜砂鉄と呼びます。出雲で知られた鉄穴(かんな)流しは風化土壌を掘り崩し水流で選別したもので、山砂鉄といいます。鎌倉海岸や三浦半島の小河川の河口には砂鉄の集積があり、稲村ヶ崎の脇の極楽寺川河口には、今も純度70%の砂鉄が集積しています。古代にここで採掘された砂鉄は極楽寺川の水流で最終選別を行い、人が背負って運搬したにちがいありません。旧東海道で滑川を渡り、十二所の谷を入って朝比奈の峠を上がり切ると、分水嶺の平坦な道が北に延びていて、ほどなく近世の武相国境となります。これをさらに北へたどると、谷の湿地や急傾斜面を一つも通らず、工人の村と官舎のある猿田遺跡に到着します。
上郷深田製鉄遺跡の保存を求める会
- 竹岡健治(代表)
- 小宮恒雄(元横浜市埋蔵文化財センター調査研究員)
- 伊藤 毅(署名ページ担当)
呼びかけ人
伊藤薫(元日本製鉄研究開発本部)・稲木俊雄(元鎌倉女子大学准教授・元県立金沢文庫学芸課長)・いのうえせつこ(作家)・井端淑雄(上郷・瀬上の自然を守る会代表世話人)・遠藤吉隆(港南歴史協議会会長)・大橋宏(横浜環状道路(圏央道)連絡協議会副会長)・加藤彰彦(沖縄大学元学長)・小宮恒雄(元横浜市埋文センタ-調査研究員)・佐藤拓男(元小田原高校校長)・関口正俊(元神奈川県会議員)・北条祐英(光明寺住職)・皆川昭一(元横浜市会議員)・宮澤廣幸(弁護士)・大田玉恵・澤田隆俊・常石登志子・永田義博・宮下誠・森本英之
呼びかけ団体
鎌倉検定市民の会・上郷・瀬上の自然を守る会・港南歴史協議会・國寶史蹟研究會・栄まちづくり市民学校
6,634
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2025年8月25日に作成されたオンライン署名
