อัพเดทล่าสุดเกี่ยวแคมเปญรณรงค์いのちのバトンがつなげられる日本の移植医療システム整備と普及を!【移植医療普及のためのオンライン署名】生体臓器移植当事者の様々な思い①レシピエントの思い
及川 幸子ญี่ปุ่น
16 ก.พ. 2024

皆様からの賛同と拡散、change.orgへのご支援のおかげで2月16日現在 20,241名からの賛同をいただいております。
このオンライン署名活動を応援していただき、本当にありがとうございます。

引き続き宜しくお願いしたします。

 

 

■署名一次提出分締め日のお知らせ■

前回のお知らせでもお伝えしましたが
【2月18日 AM9:00までに賛同いたいだいた方の分】を【一次提出分】
とさせていただきます。
※この日時以降も引き続き賛同可能です。詳しくはこちらをご覧ください。

署名一次提出分締め日のお知らせ 

 

 

■生体臓器移植当事者の様々な思い①■

前々回のお知らせで生体臓器移植(以下、生体移植と表記)についてお伝えしました。
生体臓器移植について
今回は『生体臓器移植当事者、レシピエント(移植を受ける人)の思い』についてお伝えします。

 

 

◇脳死肝臓移植経験者 Sさんの経験談

私が肝移植した経緯についてお話させて頂きます。

まず最初の異変は、小学低学年のとある冬の日の夜中のことでした。
深夜、急に目が覚め嘔吐してしまいました。季節的にもインフルエンザかと思い、翌日、母に近所の小児科へ連れて行かれました。そこで行った尿検査でお医者さんはびっくりしました。「尿の色が真赤じゃないの!」更に肝機能の数値も異常値でした。お医者さんは直ぐに大きな病院への紹介状を書いてくれました。

母は私を連れて大きな病院へ行きました。私は訳もわからず初めてのMRI検査を受けました。そして、その日はお家に帰ることができず、緊急入院になりました。急に両親と離れることになり、見ず知らずの場所で寝るのはとても不安だったことを覚えています。

翌日からは絶対安静が指示され、歩くことが出来なくなりました。トイレに行くにも車椅子での移動でした。私は自分が何の病気なのか知りませんでした。おじいちゃんやおばあちゃん、学校の先生、両親の友達や、多くの人がお見舞いに来てくれました。私は、肝臓の病気になったみたいです。お薬をたくさん飲み、毎日採血をし、血が取れなくなりました。でも、なかなか退院出来ません。私の病気は原因不明の肝炎でした。

どんなに薬を飲んでも、点滴をしても、なかなか良くなりません。ですが、ステロイドをたくさん飲むようになり最初より数値が落ち着きました。嘔吐した日から3ヶ月が経ち、退院することが出来ました。

その後も病院を転々としましたが、私の病気が治ることはありませんでした。
しかし、幸いにも自覚症状の少ない病気だったので、日常生活を取り戻し、学生生活も不自由なく送ることが出来ました。

 

月日が経ち、私は成人し、社会人になりました。正社員で勤務していましたが、早番遅番や夜勤があり、規則正しい生活とは言えない生活をしていました。とある日の早朝、右腹の腹痛で目が覚めました。起き上がることが出来ないくらいの痛みで、私は救急車で新しい病院に運ばれました。緊急内視鏡手術が行われ、緊急入院になりました。胆管炎による痛みだったようです。病院で受けた診断は2つの難病でした。更に、私の肝臓は肝硬変初期になっているとのことでした。この時は1週間ほどで退院出来ましたが、その後、何回も胆管炎になり救急車に運ばれ入退院を繰り返しました。

肝硬変が見つかってから4年ほどたった頃、医師から「更に大きな病院で移植外科に診てもらってはどうだろうか」という話をされました。
私は、移植手術をすることが受け入れられず、断っていました。1年ほど断り続けましたが医師が「移植外科に行った方が良い」と強く勧めるので、行くことにしました。そして、2つの病院に定期的に行く様になりました。

 

移植についての話を考える様になってから、体にも変化が起こりました。だんだん肌の色が悪くなり、腹水といった症状が出る様になってきました。体もしんどくなっていき、仕事も出来なくなりました。お腹は妊婦さんの様に真丸になりました。肌の色も、目の色も、鼻水の色も、涙の色も、黄色くなりました。ここまで症状が出て、ようやく自分の体が大変なことになっていると気がつきました。

ベッドから起きることもできなくなり、食事を取ることも難しくなりました。息も苦しくなりました。このまましんどい状態が続くのなら、死んだ方がマシだと思うこともありました。その反面、早く移植したいと思う様になりました。この頃になると、病院は週に2回のペースで点滴を打ちに行っていましたが、ある日嘔吐してしまい入院することになりました。急激に容態が悪くなり、あと2〜3年は大丈夫と言われていたはずが、あと数ヶ月の命と言われました。

私は生きるために、移植手術をすることに決めました。

 

生体肝移植のドナー検査の準備も急いで進め、脳死移植希望登録もして順番を待ちました。生体肝移植の準備ができ、手術することになった日の前日、奇跡的に脳死ドナーが現れました。医師に判断は全てお任せし、脳死移植を急遽することになりました。それから、手術後は急速に回復し1ヶ月ほどで退院することが出来ました。

 

移植手術は嫌だと思っていた私ですが、13時間ほどの大手術後は感謝の気持ちでいっぱいでした。移植手術に関わってくれたお医者様達。お世話してくれる看護師さん。食事を管理してくれた栄養士さん。脳死になった時に臓器提供を決意してくださったドナーの方、ドナーのご家族。支えてくださった周りの人たち。たくさんの人に助けられ涙を流しました。
本当に移植手術ができてよかった。そう思うことが出来ました。

 

やっぱり健康体が1番だし、自分の肝臓で一生生きることが出来るのならば、それが1番です。でも、私はこれから新しい肝臓と共に生きることにしました。
本来であれば、私は死ぬ運命でした。ですが、現代医療ならではの移植医療という素晴らしい医療のおかげで、生き長らえることが出来ました。
免疫抑制剤を一生服用しなければいけない事や今後に不安な面もありますが、移植医療を受けられて良かったと心から思います。

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移植を受けるか迷っているうちに(とくに肝臓移植が必要な患者には生命維持ができる手段がないため)体の状態がかなり悪化してしまうことがあります。
Sさんのドナー候補はご両親でしたが、お二人とも病気など医学的な理由から脳死提供による移植になったとの事です。

 

<Sさんに移植を受けることを躊躇した理由をお聞きしました>

ドナーの体にリスクのある手術で、開腹手術をしてもらわなければいけないということに、どうしても葛藤がありました。
もちろん私も死ぬか生きるかだったので、両親はドナーになるよと言ってくれましたが、私としては親にも手術を受けてもらわないといけないのは辛かったです。
また、免疫抑制剤を一生服用することに抵抗がありました。やっぱり、副作用もあるし薬は飲まない方がいいと思うので。肝硬変になると完治はしないですが、奇跡が起きて治って欲しいと願っていました。

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今回のお知らせは以上です。

次回も『生体臓器移植当事者の様々な思い②レシピエントの思い』についてお伝えします。

 

引き続きご協力をよろしくお願い致します。

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