【改稿版】秋元康氏は差別と暴力に関する声明を出すべきだ

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【改稿版】

※「悲鳴なんか上げない」という歌詞の解釈が旧・説明文から変わっていることを付記します。旧・説明文へのリンクは下の方にあります。

◆秋元康様◆

初めまして。一人の欅坂46ファンとしてお伝えしたいことがあり、キャンペーンを始めました。
欅坂46の1stフルアルバム『真っ白なものは汚したくなる』に収録されている『月曜日の朝、スカートを切られた』に対して、批判や擁護など様々な声が上がっています。
発端となったのはchange .orgのキャンペーン『‪【欅坂46】月曜日の朝、スカートを切られた の曲で傷つく人が増えないようにしたい。‬』で、スカート切り裂き行為の被害を受けた方が「傷つく人が増えないでほしい」「現実の被害が出ているのに不謹慎」「思い出して電車に乗ることがまた怖くなったし、他の被害者で電車への怖さがまた出てきてもおかしくはない」という内容です[注1]。
そのキャンペーンでは楽曲の公開中止やゾーニングといった措置を求めるか否かについてはっきりと書かれてはいないものの、一部のファンから「月スカが聴けなくなるなら悲しい」「嫌なら聴くな」などと反発があり、対抗的なオンライン署名が立ち上がっています。ハフィントンポストの記事[注2]で紹介されている「月曜日の朝スカートを切られたの曲が封印されてしまうのを阻止したい」[注3]では「そんなこと言い出したらきりがなくて 誰も自由に表現出来なくなってしまう」「不愉快なら 自分の力でそれを避けるしかない」「そして たくさんの人が力強いその歌詞に パフォーマンスに勇気付けられ大切にされているこの曲が 封印されてしまうのを阻止したい。」としています。また、「月曜日の朝スカートを切られたを批判する笹田絢さんの行動をやめさせよう」と題したキャンペーン[注4-1]には「欅坂46ファンの僕から言わせてもらえばそれは彼女の不注意で起こった事件」と、切り裂き加害者を免罪し被害者に責任を負わせる内容も含まれています。8月10日追記: 被害者による一番目の署名をやめさせることを目的とした対抗署名がまたできたようです。「歌詞、パフォーマンス、表現の全てを私は評価したいと思っているので歌詞を変えて欲しいとかそんな署名活動をすることに対して疑問を感じました」とあり、一番目の署名の内容をやや過大に捉えているようにも感じます[注4-2]。8月13日追記: 「欅坂46 月曜日の朝にスカートを切られたはとてもいい曲ですそれを侮辱する人たちに対する署名です」「欅坂、乃木坂へのアンチを減らしたい」という趣旨の署名がありました[注4-3]。

私自身は『月曜日の朝、スカートを切られた』が公開中止になることは求めません。もちろん、切り裂き行為をはじめとする犯罪被害者のフラッシュバックへの配慮として、ライブやCD限定の特別曲にする(街頭やインターネットでの宣伝を制限する)ゾーニング措置などはあっていいと思いますが、今回の私の署名では、その点について特に要求することはありません。
私の署名の目的は、秋元様に対し「クリエイターとして、そして坂道グループや48グループの総合プロデューサーとして、(以下で説明する論点について)どういう考えを持っているのか、2017年内の回答を求める」というものです。「不快にさせて申し訳ない」「差別の意図はない」といった形式的な謝罪文を要求しているわけではありません。
この署名の趣旨は「欅坂46というグループのコンセプトが、作品の特定の部分やイベント演出、メディア対応などにより損なわれてしまっている側面があるのではないか」という問いであり、「社会的な問題の話だけでなく最終的には坂道グループや48グループのコンテンツ/への信頼を守るためにも、欅坂46や乃木坂46などの作品に関する秋元康氏ご本人による説明が必要ではないか」というものです。

(1)『月曜日の朝、スカートを切られた』について

私は『月曜日の朝、スカートを切られた』について、公式MVの映像を観た限りにおいて『サイレントマジョリティー』の前日譚として理解しています。全体として好きな曲ではあるのですが、疑問に思う点がいくつかありました。
a)「誰もが何かを切られながら生きている」というあたりの歌詞には、第一に、加害者責任の相対化(または、言及の充分でなさ)がみられます。もちろん、作中主体の絶望感や社会に蔓延する閉塞感、ニヒリズムの表現として、あるいは作中主体の認識の問題としてそうした文言が出てくることは自然な流れではあります。しかし、ある楽曲が共感のみを求めるあまり(それこそ、『月スカ』がそれ単体としてあるいは『サイレントマジョリティー』の前日譚として私たちに希望を与えることを目指すならば)、暴力に対しての抵抗を相対化しがちな言説をただなぞるだけになってしまうのは、表現が持つ規範性の側面から言って問題を含むと思います(映像表現のみによる『サイレントマジョリティー』への接続の過程は、「誰もが何かを切られている」という箇所の是非を置き去りにしたままなのではないか。相対化を打破するに足りる批判的メッセージがないのでは、ということです)。
第二に、48グループや坂道グループの衣装は(『渋谷からパルコが消えた日』における平手さんのソロは記念すべき例外として)ほとんどがスカートですが(10月4日追記: 25日発売予定の『風に吹かれても』のMVでは全員がズボンですね。全員がズボンである必要があるかどうかはともかくとして、全員がスカートというこれまでの枠に縛られない作品が今後も制作されることを願います)、秋元様がもし「女の子ならスカートを履くことは当たり前だ/女の子ならスカートを履くべきだ」という考えの持ち主でないならば、スカートの比率の高さは意図的な演出であると推測されます。この意図はどのようなものでしょうか。スカートを衣装として活用することでスカート(や内衣や身体)に対する欲望のコードを再生産していると思うのですが、果たして今回の楽曲でスカート切り裂き行為の原因/責任を単なるストレスや漠然とした社会不安にのみ転嫁することは、誠実さを著しく欠くのではないでしょうか。おそらく今回の楽曲の発表により類似の事件が直接的に「増加する」「煽られる」というようなことはないでしょう(そう願います)、しかしそうした行為の背景として、文化的な積み重ねの影響[注5]がゼロであるとすることは正しいのか。
私は、スカートや下着、身体への欲望そのものを否定するつもりはありません。しかし、そうした文化装置で消費者に訴求しながら「月曜日の朝、スカートを切られた」という内容を打ち出すにあたって、性における侵襲行為への怒りを示すという(『月スカ』から『サイマジョ』に至る)ストーリーにどれだけの説得力やエンパワーメント性があるだろうかと疑問が湧きます。
秋元様がこれまでに作り上げてきた様々なもの(「アイドルらしさ」、アイドルの「女の子らしさ」も含めて)に対して秋元様ご自身はどうお考えなのでしょうか。

b)8月7日追記: 項目b-1はtaka(@takatontoon)さんのご指摘を通じて解消されましたので、読み飛ばしてくださっても全体の文脈に影響はありません。8月15日の追記が現時点での問題意識です。→https://twitter.com/takatontoon/status/894493755146854400 , https://twitter.com/sin_itami/status/894520725003935747

→8月8日追記: 『月スカ』と『サイマジョ』の断絶を埋めるものとしての『エキセントリック』についてhttps://twitter.com/takatontoon/status/894806618826657793

→8月15日追記: 『月曜日、スカートを切られた』の解釈について補記https://twitter.com/sin_itami/status/897501252598157312

b-1: 「悲鳴なんか上げない」という歌詞は、いろいろに解釈されています。例えば批判者の多くは「悲鳴を上げないことをかっこよく描き美化している(ことで、加害者に都合のいい秩序を維持している)」「被害者は声を上げないのではなく声を上げられない、声を上げないということを選ばざるを得ない(が、この歌詞からはそうした絶望が排除されているので、認識として問題である)」という主張をしているのだと思います。これに対して擁護側(ファンなど)は「お前の思い通りにはならない」「そんなことには負けない」「加害者みたいにはならない」[注6]という「強さ」の表れとして支持/共感しています。

私はもともと前者の解釈をしていましたが(旧・説明文)、現在は以下のような印象と共に楽曲を受け止めています。

『月曜日の朝、スカートを切られた』は、単純に「悲鳴を上げない=かっこいい」ということを打ち出した歌ではない(はずだった)。なぜならこの楽曲は『サイレントマジョリティー』の前日譚であり、流れとしては「怒りの解放」に重点を置く「文脈」があるからです。
しかし、その文脈形成は充分だったのでしょうか? 擁護側の立場にせよ、純粋に歌詞を見る限りでは「悲鳴を上げないこと」をある種の抵抗/戦い方として、静かな怒りとして捉えています。『月スカ』の作中主体は充分に「怒りを持った人物」ではあるものの『サイマジョ』のそれとは違うだけでなく、『サイマジョ』的な人物へと変化する必然性がないと言えるぐらいの完結性があり、『月スカ』的世界観における強さを持つ主体から『サイマジョ』的世界観における理想的主体に移行する契機が、作品の中にはない(物語として、欅坂の結成は変化の契機ではなく結果でしかありえない)。最終的に、『月曜日の朝、スカートを切られた』には『サイレントマジョリティー』との連続性だけでなくかなりの非連続性もあることで、結局「悲鳴を上げない=強い=かっこいい」という価値観にかなり近づくのではないか。「我慢せよ」(あるいは「心の中の怒りを捨てよ」)というメッセージを少なくともメタ的には発信してはいないにせよ、例えばMVだけでなく歌詞にも『サイレントマジョリティー』に繋がるような内容を入れても世界観や受け手に与える効果はさほど崩れなかったのではないでしょうか(歌詞の差し替えを要求するわけではありませんが)。
誤解を恐れずに言えば、「悲鳴なんか上げない」という箇所がなければまだ全体の印象として、「強さ」を巡る解釈がここまで炎上することはなかったと思いますし、「サイマジョ的な人間像」への橋渡しもうまくいったのではないか。「我慢することを美化しているから問題だ」と批判者の多くは言いますが(この言説の中では、抵抗しない「弱さ」が「強さ」として現れるように見えることが欺瞞として非難されているのだと思います)、むしろもっと、「悲鳴を上げるほどの弱さ」を書いた方が両作品の一貫性を打ち出すことができたはず。しかし、楽曲は(前日譚という形でも)一曲のみで評価されてしまいがちですから「弱い女性像を描くのか、それはエンパワーメントに繋がらない」という批判を避けるためにあのような歌詞にしたのでしょうか。結果としてはエンパワーメントという点ではさほどうまくいかなかったにせよ、少なくとも明確に「弱さを抱えた人物像」を中心にすることが不可能だったという心中お察しします。
b-2:あるいは、『不協和音』『語るなら未来を…』に見られるような、苛烈な自己超克((おそらくはいじめ被害者への)抑圧に対して声を上げなかった自分を「生きてる価値ない」と責めがちだったり、終わったことに対して声を上げることを「思い上がり」としてしまったり)の価値観をあえて避け絶望の表現を押し出すことで、被害者を責めるような曲調になりにくい歌詞を選択された、ということでしょうか(被害者の署名に反対するキャンペーンやファンのツイートでは、『不協和音』や『語るなら未来を…』からのインスピレーションを受けたと思しき文章があり、やや二次加害的になっていることは事実です)。
私は、秋元様が欅坂46の楽曲制作においてほとんどは個人の自由と社会構造のことをテーマにしてきたのだと思います。そして、欅坂46のコンセプトは『サイレントマジョリティー』や『不協和音』に代表される行動主義的要素に還元される部分なくしては成り立たないという解釈をしているのですが、『エキセントリック』のように相対主義/ニヒリズムを主題とした曲があってもそれだけでは欅坂らしさが失われるわけではない(若者の気分の表現として、行動主義以外の要素はあって当然です)。また、「悲鳴を上げない」ことを抑圧として感じる人もいれば勇敢な抵抗として捉える人もいることで、『月曜日の朝、スカートを切られた』を聴いて勇気付けられるというファンが多くいることも確かです。
しかし、スカートという存在をどう認識しているのか、そして『月スカ』の世界観が『サイマジョ』と対立する側面があることで失われてしまうものについて、なぜこのような歌詞になったのかという秋元様の見解をお伺いしたく存じます。

8月10日追記: ①『月曜日の朝、スカートを切られた』の世界観は『エキセントリック』を経由することで『サイレントマジョリティー』に接続されるという解釈が有力ですが、実際のところはどうなのかをお伺いしたいです。→ 『月スカ』と『サイマジョ』の断絶を埋めるものとしての『エキセントリック』についてhttps://twitter.com/takatontoon/status/894806618826657793

②『月スカ』への批判は当然予想できたはずだが、1stフルアルバムのType-A、Bどちらにも『月スカ』のMVは入っていない。これは、どんなに批判されようともYoutubeにアップされた動画は取り下げないということでしょうか。「衣装問題」のときに批判対策として一部の公演が取りやめになった経緯もあり、ファンの一人としては動画が秋元様側の判断で公開中止になる(動画を正規の方法で視聴することができなくなる)ことを恐れています。また、『サイレントマジョリティー』の前日譚であるからこそ意味を持つ楽曲であるのに、それを示す映像部分がDVDに収録されないというのは、コンテンツに対する扱いとしては最悪ではないでしょうか。この点に関してどのような意思決定がなされたかということについてもお聞かせ願います。

10月5日追記: 『風に吹かれても』のDVDに『月曜日の朝、スカートを切られた』MVが収録されているとのことなので、②については懸念が払拭されました。しかし、ここに至るまでの意思決定のプロセスについて開示していただければ、運営側に対する不信感はさらに低減されると思います。

(2)『サイレントマジョリティー』について

この楽曲は『不協和音』『エキセントリック』『月曜日の朝、スカートを切られた』『渋谷からパルコが消えた日』などのように、個人の主体性や同調圧力、「大人が作った社会」の中での閉塞感をテーマにしていると思います。私は『サイレントマジョリティー』が好きですが、音楽イベントでの演出を巡る昨年の「ナチス風衣装」騒動における秋元氏の対応に、雇用主として欅坂46を守る覚悟のなさや、表現者としての無責任さを感じました。もちろん、迅速に謝罪をしたことそれ自体は評価されて然るべきですが、「何が問題だったのか」「責任の所在は本当に現場だけにあるのか」という視点や意思決定プロセスの透明性を欠く以上、対応としては充分でないと思います。2016年10月22日に開催された音楽イベントにおける衣装の意匠と、『サイレントマジョリティー』MVにおける「ローマ式敬礼(いわゆるナチス式敬礼)を意識した表象」について、擁護派のうち楽曲を知る者は歌詞の内容の自由主義/個人主義を以て批判者への反論としていましたが、事はそう単純ではないでしょう。結論から言えば、『サイレントマジョリティー』におけるミリタリズムは、歌詞中で自己言及的に批判されているだけでなく、楽曲の価値を高めるため、「いい意味でも悪い意味でも効果的に使用されている」…にもかかわらず、それを活かす表現形式になっておらず、結局は秋元氏による演出や対応が楽曲の価値を殺してしまったと考えます。


この曲には「どこかの国の大統領が言っていた(曲解して) 声を上げない者たちは賛成していると」という歌詞があることで、曲は単なる「大人批判」「若者の自己主張」ではなくなり、普遍化されます。タイトルの「サイレントマジョリティー」は大衆社会や政治的無関心という政治的状況に対する明確な異議申し立ての象徴となり、そうしたスケールの大きな「反逆」に対置される表象として、全体主義の代表格とされることの多いナチズムのモチーフを打ち出したのがあのMVだった。
大事なことですが、私は「ナチズムのモチーフを使ったから悪だ、人種差別だ」と短絡的に断罪することはありません。
それこそ秋元氏が例の「海割り」と呼ばれる敬礼シーンについて「ローマ式敬礼」ではないと弁明するつもりなら、わざわざ(ライブやテレビ放映ではちゃんと視認できる)「人差し指を伸ばした握りこぶし」を、MVでだけ枠から見切れるような形にして(つまり、ローマ式敬礼ととられるような演出をして)批判リスクを高めることはないはずで、この楽曲においてはナチズムやニクソン大統領などの要素があることが楽曲の重要な価値だ、ということはまず大前提です。従って「あの場面は全体主義とは《全く》関係ない」という方向での擁護は却って制作陣に対して失礼にあたるし[注7]、こうした出発点からはじめてハロウィンイベントでのコスプレが単なる軍帽ではなくナチズム関連のものと推測することへの説得力が確保されると思います。

しかし一方で、もし秋元氏が歌詞の通りに集団圧力からの自由を理想とすることをパフォーマンス演出の上でも貫徹したならば、軍服は曲の最後で燃やされて然るべきであるし、ライブでナチス風の軍帽を投げ捨てこそすれ、イベントでのように記念撮影の対象とすることはありえないはずです。
秋元様は、個人主義/自由主義を尊ぶリベラリスト層と、ミリタリー趣味者の「左右両翼」に「ウケる」ものを作ろうとしたのではありませんか? ミリタリー趣味者でなくとも、個人主義者/自由主義者を自認する人々にとっても、軍隊的表象はときとして魅力的ですし、私自身がそうしたものに惹かれると告白しなければなりません。いい意味でも悪い意味でも効果的というのはこういう事情からきます。欅坂46ファンを魅了してやまないのは全体主義への憧れであり、まずこの時点で歌詞の持ち味は半分、減殺されてしまわないでしょうか(コンテンツとしての魅力はありますが)。
そして秋元様側から公開された謝罪文では「ナチス風衣装」批判に対し、楽曲・イベント演出でミリタリズム的表象を積極的に利用していることには触れず、個人の自由を鼓舞する欅坂ブランドを極めると宣言するでもなく、全ての問題を現場担当者に押し付けて幕引きを図った印象しか得られませんでした。
大事なことですが、もし故意からではなく、実際に現場の演出を隅まで把握することができないぐらいにお忙しかったということが原因で「帽子問題」が起こったのであれば、今の秋元様はご自身がプロデュースする作品を監督するのに必要なだけの余裕がない、つまりご自分のマネジメントができていないことで作品(パフォーマンス演出も込みでの)の質を保つことが困難になっているということです。僭越ながら申し上げますが、仕事量を管理可能なレベルまで落とされることが、秋元様のご健康のためにも作品づくりのためにも必要なのではないでしょうか。
こうした演出の上での責任の所在や具体的な改善策について、ご回答いただければと思います。

(3)『女は一人じゃ眠れない』について

既にあるメディアで取り上げられているので詳細は省きますが[注8]、洋画『ワンダーウーマン』が日本で公開されるにあたり、乃木坂46の楽曲『女は一人じゃ眠れない』というタイトルのものがPRソングになったことについても疑問があります。
『ワンダーウーマン』は、自立した強い女性像がテーマです。それをわざわざ、パートナーなしには安心できない女性としてPRすることは、映画の内容に対する裏切りではありませんか。歌詞の後半にある「女はいつの日か一人で眠るんだ」という箇所が本筋であり恋愛至上主義的価値を補強する意図はないとするならば、このタイトルにした理由をどう説明するのかという問いに答える必要が出てきます。
また、なぜ欅坂ではなく乃木坂なのかということに関してもご説明を求めます。自立した強い人間像を描く映画のPRには欅坂ブランドの楽曲こそがふさわしかったのではないでしょうか(差し替えを要求しているわけではありませんが、欅の曲になったら嬉しいですね)。

長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
大変お忙しい中お手を煩わせて申し訳ないのですが、年内の回答を希望しておりますのでよろしくお願いいたします。

◆欅ファンの皆様◆

全ツのフィーバーに水を差すようで恐縮ですが、お伝えしたいことがいくつかあるのでツイッターのほかこちらでも箇条書きながら私からの気持ちをおいておきます。
・欅は好きだけど月スカにもやもやするっていう人はいらっしゃると思いますが、ファンだから批判しちゃいけないみたいな同調圧力に流されないで。
・『月曜日の朝、スカートを切られた』批判へのdisで『語るなら未来を…』を持ち出し「過去は変わらない」「月スカのことを気にするからフラッシュバックするんだろう」という人がちらほらいますが、欅坂の曲はあなたが自分で聴いて勇気付けられるためのものであって、他人の苦しみを否定するための棍棒じゃない。
・月スカの件で「嫌なら聴くな」って言う人たくさんいます。でも、メジャーアイドルグループの曲は街中でも流れてきますし、「怖いから聴かない」で解決しないから署名という方法をとるのでしょうし、反応としては焦点がズレてませんか。
・本文で述べたように私は、月スカがサイマジョと同じくらい好きです。でも批判します。好きだから批判しないとか、批判するのは嫌いだからとか、そういうことではないからです。あなた方の辞書に葛藤の二文字はありますか。「世界は単純な感情で動いている」かもしれないけど、それは思考停止しろということではありません。欅坂の曲は私たちに、葛藤も含め、もっと豊かな感情を起こさせてくれるものじゃないんですか。欅坂の曲がまっすぐなのは「悩み抜いた末で選び取ったものに対して、真剣になっていいんだ」っていう応援の意味じゃないんですか。「署名とかwww欅ヲタが潰してやるwww」って群れるだけのノイジーマジョリティーになるな。私だって自分なりの意見を発表して署名を集めてはいますが、「一人の」欅坂ファンとしてやってるわけです。「欅坂ファンみんなであの批判を潰そう」「これが欅坂ファンの総意だ」ってやってる方々には本当にうんざりします。ひとまとめにしないでくださいね。

それでは、よい欅ライフを。

※7月29日にキャンペーンの詳細として発表し加筆を重ねていた旧・説明文は、以下のブログ記事に移植してあります(LITERAの微妙な記事に長文引用されたコメントもこちらに含まれている)。きみはのぶろぐ→https://hamakimiha.tumblr.com/post/163788417776/旧説明文キャンペーン秋元康氏は差別と暴力に関する声明を出すべきだ

◆脚注◆

注1:被害者の方による批判キャンペーン
https://www.change.org/p/欅坂46-月曜日の朝-スカートを切られた-という曲がどれだけ被害者に辛いものであるか

注2:ハフィントンポスト記事
‪欅坂46『月曜日の朝、スカートを切られた』に抗議の署名活動 ネットでは賛否 http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/31/keyakizaka_n_17646292.html?ncid=engmodushpmg00000004 # @HuffPostJapanより‬

注3:批判キャンペーンへの反対署名1
https://www.change.org/p/秋元康-欅坂46-月曜日の朝-スカートを切られた-の曲が-封印されてしまうのを阻止したい

上で紹介した内容のほか、「過去は変えられないし 消えるわけがないし もう逃げて生きることは出来ない」「誰かに頼るのも大事だけど 生きるのは自分だから 最後は 自力で立ち上がるしかないと思います」「この曲が封印されたところで 傷ついた過去が消えるわけではないし そうやって逃げていても何も変わらないし もしかしたらまた何かに影響され連想して傷つくかもしれないし それならこれを機に立ち向かってほしい」「いつか 「月曜日の朝、スカートを切られた」というこの曲が 自分を変えてくれたと思えるくらいに 強く生きてほしい」という文言がある。

注4:批判キャンペーンへの反対署名2, 3, 4
4-1 https://www.change.org/p/keyakizaka461129-gmail-com-月曜日の朝-スカートを切られた-を批判する笹田絢さんの行動をやめさせよう

4-2 https://www.change.org/p/欅坂46のファン-欅坂46-真っ白なものは汚したくなる-収録曲-月曜日の朝-スカートを切られた-の署名活動をやめさせたい

4-3 https://www.change.org/p/坂道が好きな人達-欅坂46-月曜日の朝にスカートを切られたはとてもいい曲ですそれを侮辱する人たちに対する署名です

注5:服装について
スカートに対する私の見解に近いものとして、ボルボラさんの以下のツイートを貼っておきます(この内容が異性愛前提であることは否めませんが、秋元様のプロデュースされているアイドルが例えばセゾングループの東池袋52のように明確に異性愛主義への挑戦をしているとは言えない以上、こうした「推測」は常に可能でしょう)。https://twitter.com/zairic0/status/611868566091010049

また、スカート切り裂き行為とスカートへのフェティシズムの関係を想定することは、被害者がスカートを履いていたことへの非難(二次加害)には全く繋がらないことを明記しておきます。

注6:擁護側解釈の例として
https://twitter.com/isaokodesu/status/893056289462378496
https://twitter.com/tamako_han/status/893061557113937920

注7:「海割り」
ファンの方へ。あの場面はモーゼの「海割り」であると公式が発表している以上、ナチズムとは全く関係ない、という擁護はナンセンスです。パンクスならともかく、ポピュラーカルチャーの担い手が「この振り付けはドイツ全体主義からの引用です」などとは口が裂けても言わないでしょうから。ナチズムのモチーフを肯定的に用いればリベラリストからの批判がくるし、仮に秋元氏がある程度は意図したところであろう「ナチズムは批判対象として描かれている」という否定的な言及を公にしたところで、今後はミリオタ層という重要顧客からの支持を失うことになります。苦労して「両義的な」欅坂ブランドを作り上げた秋元氏にとってそれは避けたい損害だったでしょう。

注8:『ワンダーウーマン』とフェミニズムについて
http://lite-ra.com/i/2017/07/post-3330-entry.html

 

最終更新 2017/10/05



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