川崎市は『当事者目線の障害福祉推進条例』に反しています。再び悲劇を繰り返さないために、無謀な施設運営変更の見直しを求めます!


川崎市は『当事者目線の障害福祉推進条例』に反しています。再び悲劇を繰り返さないために、無謀な施設運営変更の見直しを求めます!
署名活動の主旨
・弟の穏やかな暮らしを奪わないでください。
私の弟は、強度行動障害と重度の知的障害を持ち、現在、川崎市麻生区の「川崎市柿生学園」(定員60名)で暮らしています。彼の願いはただひとつ。
「これまでと同じように、安心できる毎日を送りたい」それだけです。
この施設の運営者は、39年という長い年月にわたり弟のような障害をもつ人たちの「第二の家」として、障害分野においての専門知識や、現場での経験値が高い職員を配置し、安心と安全を提供してくれています。
しかし、40年目にして今、他の公共施設と同様の5年括りの指定管理者制度により、その日常が壊されようとしています。
強度行動障害を持つ障害者や多くの重度の知的障害者たちにとって、環境の急激な変化は不安やストレスを引き起こし、その結果、健康状態が悪化する恐れがあります。
そのため、日常生活のルーティンや支援体制が非常に重要であり、環境の変化はそれらを根本的に崩す可能性がある為、最悪の場合命に関わる事態が懸念されます。だからこそ、この変化は単なる「管理者の交代」では済まされないのです。
・行政対応と私たちの行動
自分の意思を伝えることの出来ない本人たちの代弁者として、訴えた私たち家族の声は、最後までどこにも届くこともありませんでした。私たち家族は令和7年4月9日に要望書(署名50名分)を提出しましたが、担当課長からは「選定前に要望書の提出をする事は、公正公平ではなく、逆に現運営者にとってはマイナスになることなのだ」言われ、不安を抱えながら見守るしかありませんでした。間もなくして次期運営者が選定され公表されましたが、その法人は介護施設の運営がメインであり、障害分野の経験や実績がほぼ無いに等しく、私たち家族の不安は更に募りました。 この有り得ない選定結果に対して、6月13日の健康福祉運営委員会に陳情書(陳情第116号)を提出しましたが不採択。市議会議員たちは(1党を除き)議決し、6月19日 川崎市長はそれを決裁したのです。
なぜ、障害者たちの暮らしや命までもを危険に晒してまで、この制度を維持する必要があったのか。制度の形式的な公平性を守ることと、現場の暮らしの継続性や安心を守る事は、必ずしも同じではありません。
今、問われているのは「誰のための制度なのか、何のための公正なのか」ということだと感じています。この問題は、声をあげれない重度障害者たちにとっての死活問題です。彼らの生活の安定や命を守るため、市の制度を見直し新しい管理制度を求めます。そして何よりも大切な家族の生活や命を脅かす無謀な変更に対し、断固として白紙撤回を求めます。利用者にとってこの変更は、なに1つとってもプラスな事はありません、むしろマイナスでしかないのです。
どうか皆様のお力を貸してください。そして、この状況の改善を求める署名にご協力ください。よろしくお願いいたします。
・条例の理念と矛盾している点(重要)
神奈川県では、黒岩知事が、平成28年に起きた「津久井やまゆり園事件」のような悲しい出来事を二度と繰り返さないために「障がい者1人ひとりの心の声に耳を傾け、支援者や周囲の人が工夫をしながら支援することが、障がい者のみならず、支援に関わる人々の喜びにつながる」との考えに至りました。 この実践こそが、お互いの心が輝く「当事者目線の障害福祉」であるとして、黒岩知事はこの理念をもとに【当事者目線の障害福祉推進条例】を掲げています。しかし今の川崎市の対応は、その理念に大きく反しており『声を声をあげられない人の想い』を無視した行政判断だと感じざるを得ません。この条例が目指した❝誰ひとり取り残さない福祉❞の実現とは真逆の方向に進んでいます。
まさに、この「形式的な公平性」だけが重視される今のこの現状こそが、【当事者目線の障害福祉推進条例】の精神を踏みにじるものです。
・なにが問題なのか?どうして命の危険が迫っているのか?
【重度障害者福祉施設】と【介護福祉施設】とでは利用者自身の特性も、支援の仕方も、何もかもが違います。2つとも同じ福祉サービスであっても『似て非なるもの』なのです。
これは「バイクの免許しか持っていない人に、60人乗りのバスを任せるようなもの」と同じことです。運転を誤れば、全員が命を落とします。
・なぜ、そぐわないと思うのか?
(指定管理者制度と障害者福祉施設)
私たちの大切な家族が暮らすこの施設は、時々訪れる公共施設でも、通所型の福祉サービスでもありません。
ここは、重度の知的障害を持つ人たちが親元を離れ、365日・24時間過ごす「暮らしの場」です。何故、命を預かる施設と、他の時々訪れるだけの公共施設の制度と基準や選定方法が同じなのでしょうか?
介護福祉施設には、この制度は「なじまない」とし、なぜ、障害福祉施設に関してはそのままなのでしょうか?重度障害者施設こそ継続性が重要なのだと考えます。
この施設の入居者は、全体の73%が強度行動障害者を伴う重度知的障害者です。彼らは皆それぞれ、60名いれば60名の違う特性をもっています。共通の特性として、環境の変化に弱く新しいことを好まず、自分自身のルーティンに対し拘りが強いこと。
そして、自分の領域に入ってこられる事がとても苦手です。
それらの拒否反応の現れとして、自傷行為、他害、拒食、異食、多動、異常行動などが起こり、事故はもちろんの事、精神や体調を崩して命さえも落としまうことがあります。環境の変化に弱い彼らは、特に人間関係の構築には非常に長い時間を要します。
一人一人の特性を深く理解し、何年もかけて築かれた信頼関係の上に成り立つ支援、それは、単に知識や技術でだけではなく、時間をかけて一人一人の特性を熟知した職員だからこそ、私たち家族は安心して任せることが出来ました。
現職員たちは、私たちの大切な家族にとっての「もうひとつの家族」になっています。だからこそ、60名の利用者にとってのこの変更は無謀なことであり、単なる「管理者の交代」ではなく「家族の交代」と同じことなのです。
・【忘れられた歴史】
親亡きあとを考え必死で集めた「十万人」の署名。
「川崎市柿生学園」は親たちの想いが実を結んで開所した施設。
川崎市は1981年(昭和56年) の「国際障害者年」に向けて、障害児者対策の新しい展開をはかるために大きな構想を打ち出し、予算化しました。
その一つが「川崎授産学園」(川崎市麻生区細山)の建設でした。
しかし、この授産学園は50名の定員で、中・軽度を対象としていたため、重度の障害をもつ親たちからは同じ川崎市に「重度・最重度を対象にした成人更生施設が欲しい」という声があがりました。
そして、国際障害者年の年の1981年、年明け早々から親たちの署名運動が始まったのです。
その活動は到底一言で言い表すことなど出来ない苦労があり、決して簡単な道のりではありませんでした。
(署名簿は6団体の連名による「陳情書」とし、署名の要請は市内の居住者および勤労者に呼びかけ、十万人ととして取り組む等)
そして目標を達成する為に、障害者の団体にとどめずに、広く一般市民に知ってもらい、マスコミの協力も得て世論を盛り上げて、大きな成果を得ることができました。重度の障害児を持つ親たちが、身を粉にして活動した成果は「十万人の署名」でした。
そして、1983年(昭和58年)の年度末には廃止される予定であった【県立精神薄弱児入園施設 柿生学園】(川崎市麻生区五力田)
の跡地に、1986年(昭和61年)4月1日、定員60名の「川崎市柿生学園」が開設したのです。自分自身の親も含め、今当時の親御さんたちはもう殆どの方たちがこの世には存在しません。
中には残念なことに、利用者(子供)自身さえも亡くなってしまっている方もおられます。
今、このような状況になってから、あの当時のお母さま方の意気揚々とした、そして勝気な笑顔をよく思い出しています。親亡きあとを考え、当時センセーショナルな運動を起こし、この学園なら大丈夫、と安心して逝った親御さんたちの事を思うと、「何が何でも守らなきゃ」と強い思いでいっぱいになります。
市への要望書 https://is.gd/i0cH2n
陳情第116号 https://is.gd/Yf0uRN
東京新聞 https://is.gd/z01MCY
神奈川新聞 https://is.gd/LcdRp0
県への要望書 https://is.gd/9BrgiI
10,168
署名活動の主旨
・弟の穏やかな暮らしを奪わないでください。
私の弟は、強度行動障害と重度の知的障害を持ち、現在、川崎市麻生区の「川崎市柿生学園」(定員60名)で暮らしています。彼の願いはただひとつ。
「これまでと同じように、安心できる毎日を送りたい」それだけです。
この施設の運営者は、39年という長い年月にわたり弟のような障害をもつ人たちの「第二の家」として、障害分野においての専門知識や、現場での経験値が高い職員を配置し、安心と安全を提供してくれています。
しかし、40年目にして今、他の公共施設と同様の5年括りの指定管理者制度により、その日常が壊されようとしています。
強度行動障害を持つ障害者や多くの重度の知的障害者たちにとって、環境の急激な変化は不安やストレスを引き起こし、その結果、健康状態が悪化する恐れがあります。
そのため、日常生活のルーティンや支援体制が非常に重要であり、環境の変化はそれらを根本的に崩す可能性がある為、最悪の場合命に関わる事態が懸念されます。だからこそ、この変化は単なる「管理者の交代」では済まされないのです。
・行政対応と私たちの行動
自分の意思を伝えることの出来ない本人たちの代弁者として、訴えた私たち家族の声は、最後までどこにも届くこともありませんでした。私たち家族は令和7年4月9日に要望書(署名50名分)を提出しましたが、担当課長からは「選定前に要望書の提出をする事は、公正公平ではなく、逆に現運営者にとってはマイナスになることなのだ」言われ、不安を抱えながら見守るしかありませんでした。間もなくして次期運営者が選定され公表されましたが、その法人は介護施設の運営がメインであり、障害分野の経験や実績がほぼ無いに等しく、私たち家族の不安は更に募りました。 この有り得ない選定結果に対して、6月13日の健康福祉運営委員会に陳情書(陳情第116号)を提出しましたが不採択。市議会議員たちは(1党を除き)議決し、6月19日 川崎市長はそれを決裁したのです。
なぜ、障害者たちの暮らしや命までもを危険に晒してまで、この制度を維持する必要があったのか。制度の形式的な公平性を守ることと、現場の暮らしの継続性や安心を守る事は、必ずしも同じではありません。
今、問われているのは「誰のための制度なのか、何のための公正なのか」ということだと感じています。この問題は、声をあげれない重度障害者たちにとっての死活問題です。彼らの生活の安定や命を守るため、市の制度を見直し新しい管理制度を求めます。そして何よりも大切な家族の生活や命を脅かす無謀な変更に対し、断固として白紙撤回を求めます。利用者にとってこの変更は、なに1つとってもプラスな事はありません、むしろマイナスでしかないのです。
どうか皆様のお力を貸してください。そして、この状況の改善を求める署名にご協力ください。よろしくお願いいたします。
・条例の理念と矛盾している点(重要)
神奈川県では、黒岩知事が、平成28年に起きた「津久井やまゆり園事件」のような悲しい出来事を二度と繰り返さないために「障がい者1人ひとりの心の声に耳を傾け、支援者や周囲の人が工夫をしながら支援することが、障がい者のみならず、支援に関わる人々の喜びにつながる」との考えに至りました。 この実践こそが、お互いの心が輝く「当事者目線の障害福祉」であるとして、黒岩知事はこの理念をもとに【当事者目線の障害福祉推進条例】を掲げています。しかし今の川崎市の対応は、その理念に大きく反しており『声を声をあげられない人の想い』を無視した行政判断だと感じざるを得ません。この条例が目指した❝誰ひとり取り残さない福祉❞の実現とは真逆の方向に進んでいます。
まさに、この「形式的な公平性」だけが重視される今のこの現状こそが、【当事者目線の障害福祉推進条例】の精神を踏みにじるものです。
・なにが問題なのか?どうして命の危険が迫っているのか?
【重度障害者福祉施設】と【介護福祉施設】とでは利用者自身の特性も、支援の仕方も、何もかもが違います。2つとも同じ福祉サービスであっても『似て非なるもの』なのです。
これは「バイクの免許しか持っていない人に、60人乗りのバスを任せるようなもの」と同じことです。運転を誤れば、全員が命を落とします。
・なぜ、そぐわないと思うのか?
(指定管理者制度と障害者福祉施設)
私たちの大切な家族が暮らすこの施設は、時々訪れる公共施設でも、通所型の福祉サービスでもありません。
ここは、重度の知的障害を持つ人たちが親元を離れ、365日・24時間過ごす「暮らしの場」です。何故、命を預かる施設と、他の時々訪れるだけの公共施設の制度と基準や選定方法が同じなのでしょうか?
介護福祉施設には、この制度は「なじまない」とし、なぜ、障害福祉施設に関してはそのままなのでしょうか?重度障害者施設こそ継続性が重要なのだと考えます。
この施設の入居者は、全体の73%が強度行動障害者を伴う重度知的障害者です。彼らは皆それぞれ、60名いれば60名の違う特性をもっています。共通の特性として、環境の変化に弱く新しいことを好まず、自分自身のルーティンに対し拘りが強いこと。
そして、自分の領域に入ってこられる事がとても苦手です。
それらの拒否反応の現れとして、自傷行為、他害、拒食、異食、多動、異常行動などが起こり、事故はもちろんの事、精神や体調を崩して命さえも落としまうことがあります。環境の変化に弱い彼らは、特に人間関係の構築には非常に長い時間を要します。
一人一人の特性を深く理解し、何年もかけて築かれた信頼関係の上に成り立つ支援、それは、単に知識や技術でだけではなく、時間をかけて一人一人の特性を熟知した職員だからこそ、私たち家族は安心して任せることが出来ました。
現職員たちは、私たちの大切な家族にとっての「もうひとつの家族」になっています。だからこそ、60名の利用者にとってのこの変更は無謀なことであり、単なる「管理者の交代」ではなく「家族の交代」と同じことなのです。
・【忘れられた歴史】
親亡きあとを考え必死で集めた「十万人」の署名。
「川崎市柿生学園」は親たちの想いが実を結んで開所した施設。
川崎市は1981年(昭和56年) の「国際障害者年」に向けて、障害児者対策の新しい展開をはかるために大きな構想を打ち出し、予算化しました。
その一つが「川崎授産学園」(川崎市麻生区細山)の建設でした。
しかし、この授産学園は50名の定員で、中・軽度を対象としていたため、重度の障害をもつ親たちからは同じ川崎市に「重度・最重度を対象にした成人更生施設が欲しい」という声があがりました。
そして、国際障害者年の年の1981年、年明け早々から親たちの署名運動が始まったのです。
その活動は到底一言で言い表すことなど出来ない苦労があり、決して簡単な道のりではありませんでした。
(署名簿は6団体の連名による「陳情書」とし、署名の要請は市内の居住者および勤労者に呼びかけ、十万人ととして取り組む等)
そして目標を達成する為に、障害者の団体にとどめずに、広く一般市民に知ってもらい、マスコミの協力も得て世論を盛り上げて、大きな成果を得ることができました。重度の障害児を持つ親たちが、身を粉にして活動した成果は「十万人の署名」でした。
そして、1983年(昭和58年)の年度末には廃止される予定であった【県立精神薄弱児入園施設 柿生学園】(川崎市麻生区五力田)
の跡地に、1986年(昭和61年)4月1日、定員60名の「川崎市柿生学園」が開設したのです。自分自身の親も含め、今当時の親御さんたちはもう殆どの方たちがこの世には存在しません。
中には残念なことに、利用者(子供)自身さえも亡くなってしまっている方もおられます。
今、このような状況になってから、あの当時のお母さま方の意気揚々とした、そして勝気な笑顔をよく思い出しています。親亡きあとを考え、当時センセーショナルな運動を起こし、この学園なら大丈夫、と安心して逝った親御さんたちの事を思うと、「何が何でも守らなきゃ」と強い思いでいっぱいになります。
市への要望書 https://is.gd/i0cH2n
陳情第116号 https://is.gd/Yf0uRN
東京新聞 https://is.gd/z01MCY
神奈川新聞 https://is.gd/LcdRp0
県への要望書 https://is.gd/9BrgiI
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2025年8月4日に作成されたオンライン署名