

富士山の「夏季以外の登山一律禁止」ルール化に反対します


富士山の「夏季以外の登山一律禁止」ルール化に反対します
署名活動の主旨
真っ白に続く斜面に雪煙をまとった荘厳な頂。 まさに日本の顔でもある霊峰富士。我々は古くからその山に畏敬の念を抱き、大いなる自然と向き合ってきました。登山という行為は単に山頂を踏めば良いというものではありません。その美しく時に厳しい自然の中に身を置き、肉体・精神を鍛錬し、人間としての成長をはかる先人達が築き上げてきた文化です。そんな登山文化が今、観光開発やマスメディアにより破壊されようとしています。
私は登山を愛する一人の人間として、昨今のメディア報道に違和感を禁じ得ません。それは観光シーズン以外の時期に無謀な計画や準備で富士山へと立ち入る来訪者に対し、『登山者』という烙印を押し非難をおこなっている部分にあります。彼らにとっては山へと入る人間は全て登山者なのかもしれません。しかし、無謀と挑戦は別物です。
◆問題提起
そもそも夏のシーズン以外に富士山を登ること自体は、充分な技術・経験・知識としっかりとした装備・計画を持った者に関しては「登山は妨げるものではない」との明文(※1)がなされ、さらに富士山の面積の多くは国有林の範囲内で国の所有物、八合目から上は富士山本宮浅間大社の私有地(境内地)であり、その両者ともが夏を含めた通年期間において禁止と明言していない時点では、法的には全く問題がない状況です。(※2)
また、過去には民放やNHKで冬の富士登山が特集され、芸能人が冬の富士山へ立ち入った例もあります。にもかかわらず、新聞やテレビ、ネットニュースなどの報道では、夏シーズン以外の期間を『閉山期』と称し、『冬季閉鎖中』や『通行禁止』、『無謀登山』などと登山自体の危険性を全面に押し出し、あたかも犯罪/反社会行為かの如く扱い、遭難を抑止する名目で登山の実態とはかけ離れた報道がなされています。

〈閉山中でも次々と 富士山登る外国人観光客あきれた主張「私が登るべき山」 注意も強行突破 市は救助有料化訴え 静岡(2026年06月09日)〉https://www.youtube.com/watch?v=Rc4ekes3PYA
冬の富士山は日本の登山史を支えてきたとても重要な場所です。例えばアルパインクライマーの山野井泰史氏は1991年からの10年間で冬の富士山へ250回以上登り、そこで培った技術や経験を活かし、その後ヒマラヤなどで世界の登山史に残る登攀を数多く行い、アジア人で初めて登山界のアカデミー賞とも言われるピオレドール生涯功労賞を受賞しています。富士山は季節を問わず、海外登山を目指す人々にとっては4,000m近い高所に順応する為のトレーニングの場として、国内最長クラスの山スキーのフィールドとして、春にアイスクライミングが出来る国内有数の場所として親しまれてきました。これらの登山文化は『アルピニズム』としてユネスコの無形文化遺産へ登録されています。
ところが現在主に富士宮市の須藤秀忠市長を中心に、夏の観光シーズン以外の富士登山の一律禁止ルールづくりが進められ、4月8日には静岡県に要望書が提出されました。
(※1 出典:富士登山における安全確保のためのガイドライン/富士山における適正利用推進協議会)(※2 もちろん、夏シーズン以外に通行止めがなされている観光用の登下山道をバリケードを乗り越え進入すると道路法に抵触する可能性がありますが、そもそも晩秋〜春までは登下山道は雪に覆われる為、それらを通過する必要はありません)
◆救助は有料にすべきか
しかしながら山で事故が起きた場合にもし救助要請がなされれば、地元自治体への負担があることは事実です。数字として、昨年1年間に富士山では65件の救助要請があり、特に冬〜春季の救助要請が比較的多い静岡側では夏期以外に9件の救助要請がなされています。(※3)
世間では自己責任論として「登山という危険行為をあえてするのであれば、救助費用を登山者の負担にしろ」というのもある程度納得のできる話しだと思います。また、ある程度登山を続けている者であれば山岳救助保険に加入している場合が殆どで、富士山などのレジャー要素が高い山における有料化については一個人としては必要性も感じております。
しかし、救助要請の有料化を全ての山岳域に適用することには議論の余地があると考えられます。日本の国土の7割が山地と言われており、例えば、山菜・キノコ採りで山に入った場合、山の中で持病が悪化しどうしても救助要請が必要な場合なども、アメリカの医療費のように全て自己負担とするのか。では、川のレジャーも、趣味のツーリングで怪我をした場合も、過度の飲酒で救急搬送になった場合でも有料化が適用されるのか、日本では現制度上明確な線引きができない状況であると言えます。
一方でもうひとつ考えなければならないのは救助する側の負荷です。特に静岡県では富士山の救助要請が発生した場合には、山に不慣れな交番勤務の警察官が出動することも多くあり、その場合救助隊員の命を危惧する声が上がるのも間違いではないはずです。
本格的に登山を行なっている者の多くは山岳会に入り、救助も自分達で行うという仕組みがある一方で、時代の変化とともにSNSやネットの情報で登山を始める者も増え、遭難事故が発生した場合にも警察などの公的な組織に頼らざるを得ない状況になっている現状もあります。(※4)よって開山期かどうかに限らず、救助への自己負担はあって然るべきものだと言えるでしょう。
(※3 警視庁発表、山梨側の数は公表されていない)(※4 また、救助活動を山の技術があるものに任せられるような仕組みづくりも進んでいる)
◆インバウンドの問題
一方で昨今問題になっているのが外国人による救助要請です。
〈富士山で救助された登山者、携帯電話捜しに戻り4日後また救助(BBC Japan)〉https://www.bbc.com/japanese/articles/cz795v7zz7xo
今まで日本人の間で登山や救助要請を行う際に守られていた暗黙のルールやマナーが、夏の時期も含めインバウンドの受け入れにより崩壊しつつあるのが現状です(※5)。我々の税金が非納税者の救助に使われているという事実は、登山をしない方からも最も大きな反感に繋がっているはずです。しかしながら、外国人旅行者に日本の文化や習慣(マナー)を全て理解し、受け入れてもらうことは現実的ではありませんし、そもそも富士山では街をあげて世界遺産への登録を目指し集客活動を行い、過度な観光地開発で富士山を『初心者でも登れる山』としてしまったことにも責任の一端はあるのではないかと考えられます。

〈(※5):富士吉田市「富士山吉田口登山道の登山者数及び富士山八合目富士吉田救護所の実績 (7 月 1 日~9 月 10 日)」〉
わざわざ飛行機に乗って日本にやって来る外国人は少なからず冒険心を持っています。海外では地上約1,000mの崖を命綱(安全確保)無しに登る登山行為を扱ったドキュメンタリー作品(※6)がアカデミー賞を受賞したり、装備を最小限に登山を行うライト・アンド・ファスト(Light & Fast)といった、日本では「弾丸登山」と批判されるものが逆に評価される文化もあり、未知の自然に触れる冒険に対して全く異なる価値観を持った人々が富士山に押し寄せている現状があります。そんな人たちが『初心者でも登れる山』『半分以上車で登れる最高峰』である富士山へと足を踏み入れる時に、それが夏であれ冬であれどのような覚悟で向かうのでしょうか。
(※6 映画「フリーソロ」)
◆誰にとっての危険なのか
マスメディアや地元首長はそのような『安易な登山を抑止する』という大義名分で、長年にわたり登山=危険という構図を世間一般に植え付けてきました。その結果、管理されていない『閉山期』は登る行為自体が危険と機械的に認識するようになり、なぜそのような危険行為をあえてするのかといった疑問が世間から登山者へと向けられるようになりました。しかしながら登山という行為は、時に厳しい自然環境の中に自らの身体を置き、自然と自分との距離をはかることにより、人間としての成長や自然への偉大さを感じる行為だと私は理解しております。

(※7 テレビ静岡6月8日 https://news.yahoo.co.jp/articles/0935627cc31d3e0e5ad20cdcc3104844db21e831 )
富士宮市の須藤市長の発言の中には「あくまでも富士山は安全な時に登り、安全に帰って欲しい(中略)冬山に登らなくても、開山中はいつでも登れる」との発言があり(※7)、これこそが自然を軽視し観光地化を進めた結果として生じた課題だと感じております。私は夏の富士山ガイドの経験もあり、夏の富士山の厳しさも数多く目にしてきました。観光開発というものは山が本来持っているはずの危険を排除する行為です。富士山では落石多発地帯には30〜40mの高さの壁が設置され、標高差100mおきに小屋が存在し、登山道には道迷い防止のロープが殆ど全ての区間で設置され、五号目では夜間の出発を規制するためにゲートが閉められ…と、なにが危険でなにが大丈夫なものなのかを登っている本人に判断させる余地すら与えないのが過度な観光開発の行き着く先です。
料理に欠かせない包丁も、初めて使う子供にとってはものすごく危険なものになり得ます。子供が小さな怪我をしながら少しずつ包丁の使い方を学ぶように、本来であれば登山者は時に厳しい自然に対して少しずつ段階を経て近づかなければなりません。その自然との距離感を狂わせるのが観光開発といってもいいのではないでしょうか。その上でマスメディアも報道のあり方を考える必要があると、登山を扱うメディアに属する一人の人間として私は強く感じるのです。
また、『救助隊も命懸け』と仕切りに報道されますが、人命救助がしたくて山岳警備隊に入る方もおり、公的な組織として動いている警察や消防の救助隊は天候の悪化や日没などで安全確保が出来なければ救助活動を打ち切る場合もあります。毎回捨て身の覚悟(命懸け)で安全管理を無視し突入しているかのような、誤解を生む表現は実態とは異なるものです。
さらにこのような救助の要請自体が悪という報道の仕方により、山での持病の悪化や、命の危機が迫るような本当に救助を必要としている人間が救助要請を躊躇してしまうという事も報道をする側の責務として考慮しなければならないと考えます。遭難者は犯罪者ではありません。本当に困っているのは遭難した本人なのです。
◆もしも夏以外の富士登山が禁止になってしまったら
メディアが人々に与える印象はとても大きく、特に富士山という日本の象徴でもある山に関しては、報道も加速される傾向にあります。しかし現実的な数字を見てみると、例えば2025年の1年間の遭難救助要請は、静岡県内で
・夏の観光シーズン以外(10ヶ月間):9件
・夏の観光シーズン(2ヶ月間):36件
さらに別の山域はというと
・南アルプス:90件
・北アルプス(長野県内のみ):213件
・高尾山(2024年):131件
となっており、もしも危険だからという理由で夏以外の富士登山が禁止されるのであれば、他の山域でも軒並み禁止となる可能性が高いと言えます。
世界的に見ても例えば自然保護の観点や、土地の所有者が禁止している場合、宗教上の理由で登山を制限する例はありますが、ただ危ないからという理由で、一年のうちの多くの期間を登山禁止にしている例はほとんどありません。そこが海外から訪れる登山者との自然に対する捉え方の違いであるとも言えるでしょう。
◆問題解決へ向けた制度づくり
問題の解決は「閉山期の一律禁止」ではありません。もしもそのような制度になったとして、日本人の登山者は登らなくなるかもしれませんが、現状で五号目のゲートを越えて立ち入る冒険心の旺盛な外国人には殆ど効果がないように思えます。仮にそのような状態になった場合にも警察法第2条(個人の生命、身体、財産の保護)が規定されている日本国家の中であれば警察や消防が出動し助けに行かなければなりません。
そこで以下のような制度づくりを行政に提案したいと思います。
● 選定療養費制度の導入:一部の自治体で始まっている、救急車をタクシー代わりに使うような緊急性の低い救助要請に対し、一部費用を要救助者へと負担させる制度で、茨城県では導入されてから約1年で緊急性の低い救急出動が減ったという実績もあります。
● 登山届の義務化(登山計画の評価):群馬県谷川岳など一部山域では登山届の提出が条例で義務化されており、登山届の内容自体を精査する登山指導センターが登山口に設置されています。谷川岳では指定された一部地域を対象に、雪崩の危険性が高い融雪期(例年3月中旬〜4月下旬)のみの登山制限がなされたりしていますが、それは危険性が定量的に測られ、科学的根拠があり規制されているもので、多くの登山者からは理解されております。
● インバウンド向けの強制保険制度:海外からやってくる方向けに、遭難救助になった場合の保険に加入していただく制度です。遭難救助になった場合に多額の出動費がかかるのは世界的には当たり前のことです。また、ネパールなどでは国民は入山料が免除される措置があり、外からやってくる人間と地元の人間を区別する方法も間違いではないと考えられます。
● 車道の全面通行禁止:現状夏以外のシーズンであっても五合目までの車道が開通し、高標高に慣れていない体力のそれほどない人間でも即時に2,400m程度の高さまで、全く体力を使わず気軽に上がれてしまい、本来であればその環境に身を置くべきでない登山者までもが安易に入山できてしまうという現状があります。そこで、例えば車道を全面的に閉鎖し、登山を行う場合は一合目から歩かなければならないとすれば安易な登山に対する抑止力になると考えられます。
● 名称の変更:現状夏の観光シーズンに『登山』とされているものを、例えば『富士山トレッキング』や『ハイキング』といったものへ変更し、閉山期の入山(=登山)と区別をするのも問題解決の一つのアプローチです。名称の変更は人々への印象としてとても大きな意味を持ち、夏の富士山がしっかりと管理のされた観光の一部で、閉山期のそれとは別ものだと理解させる効果があります。
● 過激な表現を控える:市政のトップとしての発言にはそれなりの責任が伴います。「(そもそも登ってはいけないのに)言うことを聞かず勝手に登っている... 罪を逃れようとしている」といった誤解を与える表現は、国民の感情を煽り客観性に欠けるものです。誤った世間の認識が登山の誤解へとつながり、逆に夏は安全といった誤った認識を与えかねません。
◆登山者への呼びかけ
● 相互扶助体制の確立:一昔前であれば登山を始めようとする人に関しては、山岳会などの組織に属し救助が必要になってもお互いに助け合う方法が多くとられていました。このような体制は警察や消防の負担を減らすことだけではなく、山をよく理解した人間が救助を行うことで二次遭難のリスクも減らす効果が期待されます。また、山岳会は熟練者から山に入る前の心得を習得できる機会もあり、現在でも新規会員を受付けている会もたくさんあります。SNSやインターネットの表面上の繋がりの多いご時世、今一度人との繋がり方を考える時なのかもしれません。また、登山を熟知した経験者の方であれば、地域の消防団や遭難対策協議会などに参加し、山岳救助に関わるのも一つの手かもしれません。
● 自然というものは「これが正解」というようなはっきりとした答えのない場所です。天気が良ければ比較的簡単に登れる事もあり、どんなに訓練を行なった熟練者であってもちょっとした環境の変化で引き返さねばならない事もあり、目まぐるしく変化する天気や風、山の状態、地形など様々な要素を含んだもので、そこが自然の奥深さであり素晴らしさでもあります。自然は決して人間が決めた物差しで測れるものではありません。どんなに高性能な装備があったとしても、それを使いこなせるだけの知識や、自然に耳を傾ける力、いざという時にも対処ができる体力がなければ、ただの飾りでしかないのです。それは夏の富士山であっても同じで、全くトレーニングなどをせずに来られる方がほとんどですが、例えばコースタイムと同じ距離・時間を家の近所で歩いてみるなど、自分を知るということをもう少しだけしてみても良いのではないかと感じております。
◆最後に
『富士山を死人の山にしたくない』という富士宮市長の発言に代表されるように、山で人が亡くなっているという目に見える部分ばかりが注目されがちですが、果たして今までどのくらいの人間が登山というものに生きる意味を見出し、自然に触れて感動し、それを生き甲斐にして救われてきたのでしょうか。我々が生きる道はひとつではありません。家に居るのが好きな人、マリンスポーツが好きな人、お酒が好きな人、多種多様な人間がそれぞれの人生を謳歌できる、そんな社会であって欲しいと切に願っております。
富士登山愛好家 鈴木岳美

4,961
署名活動の主旨
真っ白に続く斜面に雪煙をまとった荘厳な頂。 まさに日本の顔でもある霊峰富士。我々は古くからその山に畏敬の念を抱き、大いなる自然と向き合ってきました。登山という行為は単に山頂を踏めば良いというものではありません。その美しく時に厳しい自然の中に身を置き、肉体・精神を鍛錬し、人間としての成長をはかる先人達が築き上げてきた文化です。そんな登山文化が今、観光開発やマスメディアにより破壊されようとしています。
私は登山を愛する一人の人間として、昨今のメディア報道に違和感を禁じ得ません。それは観光シーズン以外の時期に無謀な計画や準備で富士山へと立ち入る来訪者に対し、『登山者』という烙印を押し非難をおこなっている部分にあります。彼らにとっては山へと入る人間は全て登山者なのかもしれません。しかし、無謀と挑戦は別物です。
◆問題提起
そもそも夏のシーズン以外に富士山を登ること自体は、充分な技術・経験・知識としっかりとした装備・計画を持った者に関しては「登山は妨げるものではない」との明文(※1)がなされ、さらに富士山の面積の多くは国有林の範囲内で国の所有物、八合目から上は富士山本宮浅間大社の私有地(境内地)であり、その両者ともが夏を含めた通年期間において禁止と明言していない時点では、法的には全く問題がない状況です。(※2)
また、過去には民放やNHKで冬の富士登山が特集され、芸能人が冬の富士山へ立ち入った例もあります。にもかかわらず、新聞やテレビ、ネットニュースなどの報道では、夏シーズン以外の期間を『閉山期』と称し、『冬季閉鎖中』や『通行禁止』、『無謀登山』などと登山自体の危険性を全面に押し出し、あたかも犯罪/反社会行為かの如く扱い、遭難を抑止する名目で登山の実態とはかけ離れた報道がなされています。

〈閉山中でも次々と 富士山登る外国人観光客あきれた主張「私が登るべき山」 注意も強行突破 市は救助有料化訴え 静岡(2026年06月09日)〉https://www.youtube.com/watch?v=Rc4ekes3PYA
冬の富士山は日本の登山史を支えてきたとても重要な場所です。例えばアルパインクライマーの山野井泰史氏は1991年からの10年間で冬の富士山へ250回以上登り、そこで培った技術や経験を活かし、その後ヒマラヤなどで世界の登山史に残る登攀を数多く行い、アジア人で初めて登山界のアカデミー賞とも言われるピオレドール生涯功労賞を受賞しています。富士山は季節を問わず、海外登山を目指す人々にとっては4,000m近い高所に順応する為のトレーニングの場として、国内最長クラスの山スキーのフィールドとして、春にアイスクライミングが出来る国内有数の場所として親しまれてきました。これらの登山文化は『アルピニズム』としてユネスコの無形文化遺産へ登録されています。
ところが現在主に富士宮市の須藤秀忠市長を中心に、夏の観光シーズン以外の富士登山の一律禁止ルールづくりが進められ、4月8日には静岡県に要望書が提出されました。
(※1 出典:富士登山における安全確保のためのガイドライン/富士山における適正利用推進協議会)(※2 もちろん、夏シーズン以外に通行止めがなされている観光用の登下山道をバリケードを乗り越え進入すると道路法に抵触する可能性がありますが、そもそも晩秋〜春までは登下山道は雪に覆われる為、それらを通過する必要はありません)
◆救助は有料にすべきか
しかしながら山で事故が起きた場合にもし救助要請がなされれば、地元自治体への負担があることは事実です。数字として、昨年1年間に富士山では65件の救助要請があり、特に冬〜春季の救助要請が比較的多い静岡側では夏期以外に9件の救助要請がなされています。(※3)
世間では自己責任論として「登山という危険行為をあえてするのであれば、救助費用を登山者の負担にしろ」というのもある程度納得のできる話しだと思います。また、ある程度登山を続けている者であれば山岳救助保険に加入している場合が殆どで、富士山などのレジャー要素が高い山における有料化については一個人としては必要性も感じております。
しかし、救助要請の有料化を全ての山岳域に適用することには議論の余地があると考えられます。日本の国土の7割が山地と言われており、例えば、山菜・キノコ採りで山に入った場合、山の中で持病が悪化しどうしても救助要請が必要な場合なども、アメリカの医療費のように全て自己負担とするのか。では、川のレジャーも、趣味のツーリングで怪我をした場合も、過度の飲酒で救急搬送になった場合でも有料化が適用されるのか、日本では現制度上明確な線引きができない状況であると言えます。
一方でもうひとつ考えなければならないのは救助する側の負荷です。特に静岡県では富士山の救助要請が発生した場合には、山に不慣れな交番勤務の警察官が出動することも多くあり、その場合救助隊員の命を危惧する声が上がるのも間違いではないはずです。
本格的に登山を行なっている者の多くは山岳会に入り、救助も自分達で行うという仕組みがある一方で、時代の変化とともにSNSやネットの情報で登山を始める者も増え、遭難事故が発生した場合にも警察などの公的な組織に頼らざるを得ない状況になっている現状もあります。(※4)よって開山期かどうかに限らず、救助への自己負担はあって然るべきものだと言えるでしょう。
(※3 警視庁発表、山梨側の数は公表されていない)(※4 また、救助活動を山の技術があるものに任せられるような仕組みづくりも進んでいる)
◆インバウンドの問題
一方で昨今問題になっているのが外国人による救助要請です。
〈富士山で救助された登山者、携帯電話捜しに戻り4日後また救助(BBC Japan)〉https://www.bbc.com/japanese/articles/cz795v7zz7xo
今まで日本人の間で登山や救助要請を行う際に守られていた暗黙のルールやマナーが、夏の時期も含めインバウンドの受け入れにより崩壊しつつあるのが現状です(※5)。我々の税金が非納税者の救助に使われているという事実は、登山をしない方からも最も大きな反感に繋がっているはずです。しかしながら、外国人旅行者に日本の文化や習慣(マナー)を全て理解し、受け入れてもらうことは現実的ではありませんし、そもそも富士山では街をあげて世界遺産への登録を目指し集客活動を行い、過度な観光地開発で富士山を『初心者でも登れる山』としてしまったことにも責任の一端はあるのではないかと考えられます。

〈(※5):富士吉田市「富士山吉田口登山道の登山者数及び富士山八合目富士吉田救護所の実績 (7 月 1 日~9 月 10 日)」〉
わざわざ飛行機に乗って日本にやって来る外国人は少なからず冒険心を持っています。海外では地上約1,000mの崖を命綱(安全確保)無しに登る登山行為を扱ったドキュメンタリー作品(※6)がアカデミー賞を受賞したり、装備を最小限に登山を行うライト・アンド・ファスト(Light & Fast)といった、日本では「弾丸登山」と批判されるものが逆に評価される文化もあり、未知の自然に触れる冒険に対して全く異なる価値観を持った人々が富士山に押し寄せている現状があります。そんな人たちが『初心者でも登れる山』『半分以上車で登れる最高峰』である富士山へと足を踏み入れる時に、それが夏であれ冬であれどのような覚悟で向かうのでしょうか。
(※6 映画「フリーソロ」)
◆誰にとっての危険なのか
マスメディアや地元首長はそのような『安易な登山を抑止する』という大義名分で、長年にわたり登山=危険という構図を世間一般に植え付けてきました。その結果、管理されていない『閉山期』は登る行為自体が危険と機械的に認識するようになり、なぜそのような危険行為をあえてするのかといった疑問が世間から登山者へと向けられるようになりました。しかしながら登山という行為は、時に厳しい自然環境の中に自らの身体を置き、自然と自分との距離をはかることにより、人間としての成長や自然への偉大さを感じる行為だと私は理解しております。

(※7 テレビ静岡6月8日 https://news.yahoo.co.jp/articles/0935627cc31d3e0e5ad20cdcc3104844db21e831 )
富士宮市の須藤市長の発言の中には「あくまでも富士山は安全な時に登り、安全に帰って欲しい(中略)冬山に登らなくても、開山中はいつでも登れる」との発言があり(※7)、これこそが自然を軽視し観光地化を進めた結果として生じた課題だと感じております。私は夏の富士山ガイドの経験もあり、夏の富士山の厳しさも数多く目にしてきました。観光開発というものは山が本来持っているはずの危険を排除する行為です。富士山では落石多発地帯には30〜40mの高さの壁が設置され、標高差100mおきに小屋が存在し、登山道には道迷い防止のロープが殆ど全ての区間で設置され、五号目では夜間の出発を規制するためにゲートが閉められ…と、なにが危険でなにが大丈夫なものなのかを登っている本人に判断させる余地すら与えないのが過度な観光開発の行き着く先です。
料理に欠かせない包丁も、初めて使う子供にとってはものすごく危険なものになり得ます。子供が小さな怪我をしながら少しずつ包丁の使い方を学ぶように、本来であれば登山者は時に厳しい自然に対して少しずつ段階を経て近づかなければなりません。その自然との距離感を狂わせるのが観光開発といってもいいのではないでしょうか。その上でマスメディアも報道のあり方を考える必要があると、登山を扱うメディアに属する一人の人間として私は強く感じるのです。
また、『救助隊も命懸け』と仕切りに報道されますが、人命救助がしたくて山岳警備隊に入る方もおり、公的な組織として動いている警察や消防の救助隊は天候の悪化や日没などで安全確保が出来なければ救助活動を打ち切る場合もあります。毎回捨て身の覚悟(命懸け)で安全管理を無視し突入しているかのような、誤解を生む表現は実態とは異なるものです。
さらにこのような救助の要請自体が悪という報道の仕方により、山での持病の悪化や、命の危機が迫るような本当に救助を必要としている人間が救助要請を躊躇してしまうという事も報道をする側の責務として考慮しなければならないと考えます。遭難者は犯罪者ではありません。本当に困っているのは遭難した本人なのです。
◆もしも夏以外の富士登山が禁止になってしまったら
メディアが人々に与える印象はとても大きく、特に富士山という日本の象徴でもある山に関しては、報道も加速される傾向にあります。しかし現実的な数字を見てみると、例えば2025年の1年間の遭難救助要請は、静岡県内で
・夏の観光シーズン以外(10ヶ月間):9件
・夏の観光シーズン(2ヶ月間):36件
さらに別の山域はというと
・南アルプス:90件
・北アルプス(長野県内のみ):213件
・高尾山(2024年):131件
となっており、もしも危険だからという理由で夏以外の富士登山が禁止されるのであれば、他の山域でも軒並み禁止となる可能性が高いと言えます。
世界的に見ても例えば自然保護の観点や、土地の所有者が禁止している場合、宗教上の理由で登山を制限する例はありますが、ただ危ないからという理由で、一年のうちの多くの期間を登山禁止にしている例はほとんどありません。そこが海外から訪れる登山者との自然に対する捉え方の違いであるとも言えるでしょう。
◆問題解決へ向けた制度づくり
問題の解決は「閉山期の一律禁止」ではありません。もしもそのような制度になったとして、日本人の登山者は登らなくなるかもしれませんが、現状で五号目のゲートを越えて立ち入る冒険心の旺盛な外国人には殆ど効果がないように思えます。仮にそのような状態になった場合にも警察法第2条(個人の生命、身体、財産の保護)が規定されている日本国家の中であれば警察や消防が出動し助けに行かなければなりません。
そこで以下のような制度づくりを行政に提案したいと思います。
● 選定療養費制度の導入:一部の自治体で始まっている、救急車をタクシー代わりに使うような緊急性の低い救助要請に対し、一部費用を要救助者へと負担させる制度で、茨城県では導入されてから約1年で緊急性の低い救急出動が減ったという実績もあります。
● 登山届の義務化(登山計画の評価):群馬県谷川岳など一部山域では登山届の提出が条例で義務化されており、登山届の内容自体を精査する登山指導センターが登山口に設置されています。谷川岳では指定された一部地域を対象に、雪崩の危険性が高い融雪期(例年3月中旬〜4月下旬)のみの登山制限がなされたりしていますが、それは危険性が定量的に測られ、科学的根拠があり規制されているもので、多くの登山者からは理解されております。
● インバウンド向けの強制保険制度:海外からやってくる方向けに、遭難救助になった場合の保険に加入していただく制度です。遭難救助になった場合に多額の出動費がかかるのは世界的には当たり前のことです。また、ネパールなどでは国民は入山料が免除される措置があり、外からやってくる人間と地元の人間を区別する方法も間違いではないと考えられます。
● 車道の全面通行禁止:現状夏以外のシーズンであっても五合目までの車道が開通し、高標高に慣れていない体力のそれほどない人間でも即時に2,400m程度の高さまで、全く体力を使わず気軽に上がれてしまい、本来であればその環境に身を置くべきでない登山者までもが安易に入山できてしまうという現状があります。そこで、例えば車道を全面的に閉鎖し、登山を行う場合は一合目から歩かなければならないとすれば安易な登山に対する抑止力になると考えられます。
● 名称の変更:現状夏の観光シーズンに『登山』とされているものを、例えば『富士山トレッキング』や『ハイキング』といったものへ変更し、閉山期の入山(=登山)と区別をするのも問題解決の一つのアプローチです。名称の変更は人々への印象としてとても大きな意味を持ち、夏の富士山がしっかりと管理のされた観光の一部で、閉山期のそれとは別ものだと理解させる効果があります。
● 過激な表現を控える:市政のトップとしての発言にはそれなりの責任が伴います。「(そもそも登ってはいけないのに)言うことを聞かず勝手に登っている... 罪を逃れようとしている」といった誤解を与える表現は、国民の感情を煽り客観性に欠けるものです。誤った世間の認識が登山の誤解へとつながり、逆に夏は安全といった誤った認識を与えかねません。
◆登山者への呼びかけ
● 相互扶助体制の確立:一昔前であれば登山を始めようとする人に関しては、山岳会などの組織に属し救助が必要になってもお互いに助け合う方法が多くとられていました。このような体制は警察や消防の負担を減らすことだけではなく、山をよく理解した人間が救助を行うことで二次遭難のリスクも減らす効果が期待されます。また、山岳会は熟練者から山に入る前の心得を習得できる機会もあり、現在でも新規会員を受付けている会もたくさんあります。SNSやインターネットの表面上の繋がりの多いご時世、今一度人との繋がり方を考える時なのかもしれません。また、登山を熟知した経験者の方であれば、地域の消防団や遭難対策協議会などに参加し、山岳救助に関わるのも一つの手かもしれません。
● 自然というものは「これが正解」というようなはっきりとした答えのない場所です。天気が良ければ比較的簡単に登れる事もあり、どんなに訓練を行なった熟練者であってもちょっとした環境の変化で引き返さねばならない事もあり、目まぐるしく変化する天気や風、山の状態、地形など様々な要素を含んだもので、そこが自然の奥深さであり素晴らしさでもあります。自然は決して人間が決めた物差しで測れるものではありません。どんなに高性能な装備があったとしても、それを使いこなせるだけの知識や、自然に耳を傾ける力、いざという時にも対処ができる体力がなければ、ただの飾りでしかないのです。それは夏の富士山であっても同じで、全くトレーニングなどをせずに来られる方がほとんどですが、例えばコースタイムと同じ距離・時間を家の近所で歩いてみるなど、自分を知るということをもう少しだけしてみても良いのではないかと感じております。
◆最後に
『富士山を死人の山にしたくない』という富士宮市長の発言に代表されるように、山で人が亡くなっているという目に見える部分ばかりが注目されがちですが、果たして今までどのくらいの人間が登山というものに生きる意味を見出し、自然に触れて感動し、それを生き甲斐にして救われてきたのでしょうか。我々が生きる道はひとつではありません。家に居るのが好きな人、マリンスポーツが好きな人、お酒が好きな人、多種多様な人間がそれぞれの人生を謳歌できる、そんな社会であって欲しいと切に願っております。
富士登山愛好家 鈴木岳美

4,961
意思決定者
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