神奈川大学建築学部教授の松隈洋先生に、国立劇場についての文章をいただきましたので、共有させていただきます(こちらは2023年5月の『建築人』に掲載されたものです)。
生きられた建築の意味と価値を見つめて
国立劇場 一九六六年 文:松隈 洋
いつからこの国は建築をこれほど粗末に扱うようになったのだろうか。唐突な問いかもしれない。しかし、建築という多くの知恵と期待を集め、コストと年月、そして無名の技術者や職人たちの労力を費やして造られたものが、「老朽化」を理由に、なぜ人の寿命よりも遥かに短い六十年足らずで無造作に次々と取り壊されていくのか。建築は消費財ではない。人々の日々の生活と文化を支えながら、そこで培われた価値を守り育て、次世代へ伝えていく大切な公共財であり、社会的共通資本ではないのか。何よりも理解に苦しむのは、建築の生きられた時間と、そこに蓄積されてきた人々の思いや愛着というかけがえのない無形の財産を、あっさりと無きものにしてしまう思考停止とも思える計画の無神経さだ。しかも、時代を画した国立の公共施設においてさえ、開かれた議論も情報の共有もなされないまま、人知れず姿を消していく事態が止まらない。
二〇二一年の東京五輪開催を理由に、一九六四年の日本で最初の五輪開催のメイン会場として建設され、その後もスポーツの聖地として親しまれてきた国立競技場の取り壊しは、そのことを象徴する。また、現在大きな議論を呼んでいる神宮外苑の再開発計画も、この場所に託されてきた都市の公共性をないがしろにし、テーマ・パーク化に向かって突き進んでいるとしか思えない。三年以上も続くコロナ禍の下で、人々のよりどころとなる場所への願いがより切実さを増す中で、改めて建築文化の危機的な状況を見つめ直すことが求められているではないだろうか。
こうした中で、歌舞伎や文楽など日本の伝統芸能を保存、継承する場として一九六六年に竣工した東京半蔵門の国立劇場も、突如全面建て替えの方針が出されて、二〇二二年秋から「さよなら公演」が続いており、二〇二三年十月末に閉場する。その背景にあるのは、二〇二二年六月、「新しい資本主義における『新たな官民連携』取組の柱」として政府が決定した「PPP/PFI推進アクションプラン」と題する手法の存在だ。内閣府が公表した「国立劇場再整備基本計画」や数少ない新聞報道によれば、大小の劇場と演芸場は現在とほぼ同規模だが、「にぎわいのある文化観光拠点」という唐突に掲げられた目標により、既存施設の改修という当初の計画は覆され、自由に出入りできるグランドロビーやカフェ、ショップ、「高いグレード」のホテルを併設する延五万㎡、最高高さ七四mの巨大な複合ビルになるという。現在の建物の約二倍の大きさであり、皇居に面する敷地周辺の環境に配慮して軒高を十四mに抑えつつ水平性を強調した現状からは想像もできない姿へと変貌する。
国立劇場は、一九六三年の公開コンペにより三〇七点の応募案の中から一等に選ばれた岩本博行(一九一三~九一年)を代表者とする竹中工務店設計部の案によって建設された。審査員は、会長の内田祥三をはじめ、岸田日出刀、谷口吉郎、村野藤吾、吉田五十八ら重鎮が務めた。国立の施設としては一九五三年の戦後初の公開コンペで建設された国立国会図書館(一九六一~六八年)以来十年ぶりであり、戦後復興から高度成長へと突き進む時代の勢いから、大きな注目を集めた。しかし、敷地選定の混迷や当初盛り込まれたオペラ、バレエ、洋楽など現代芸能用の劇場の併設が土壇場で見送られるなど、紆余曲折を経て建設される。
竣工した国立劇場は、奈良の正倉院のような校倉造りの落ち着いた外観が印象的だ。岩本は、浜口隆一との対談の中で、鉄骨鉄筋コンクリート造をプレキャスト・コンクリート版で覆う現代建築にもかかわらず、なぜ校倉造りをモチーフにしたのか、と聞かれて、次のように答えている。
「私は現代建築というものに失望したといったらおおげさですけれども、あまりいい方向にいっていないと思うのです。(中略)もういっぺんうしろに目をつけて日本の伝統的な様式を見直せという気持ちがあるのです。(中略)校倉という様式にはモダンがあると思うのです。だからそのまま現代建築に再現していってもモダンが表現できると思いました。」(『新建築』一九六六年十二月号)
こう答えた岩本は、村野藤吾の大阪新歌舞伎座(一九五八年)を見てその確証を得たと明かし、国立劇場では、「プランや断面をやりましたら、一辺が一〇〇メートルぐらいになる4角いプランになって、しかも高さが三階建ての低いものになってきた」ので、「エレベーションを置いて」、「横に走る線が感覚的にでてきた」から、「校倉の横の線」が浮んだと明かしている。また、「ひとつの材料で同じ色でひとつの固まり」になっていることも日本の伝統であるとして、外壁は黒褐色で統一したのである。こうして、寡黙で控え目なたたずまいの国立劇場が誕生する。
ここに掲載する写真は、二〇一七年九月、改修計画を検討していた国立劇場を運営する日本芸術文化振興会から突然の依頼を受けて視察した際のものだ。二〇〇三年に日本を代表する近代建築としてDOCOMOMO一〇〇選に選定されており、当時、筆者が代表を務めていたことから意見を求められたのである。後日、観劇する機会も得たのだが、そこには、筆者の知らなかった本格的な仕込みで演じられる歌舞伎の世界に熱い眼差しを注ぐ多くのファンの姿があった。それは、竣工翌年の一九六七年から続けられてきた伝統芸能の観客の裾野を広げる地道な鑑賞教室の成果であり、これまでの参加者は延べ八百万人にも上るという。これほどの歴史と愛着を持たれた国立の公共施設をすべて取り壊して民間活用を図ることが、本当に求められているのか。今はただ、戦後の文化の蓄積を破壊する計画の見直しをと問わずにはいられない。

