はじめまして、前田と申します。御殿場はいつも遊びに行く時に通りすがるもんですから、いつも富士山が綺麗だねと、ここら辺にね、老後住むのはみんな幸せだろうなと思いながらですね、通り過ぎておりました。
実はグループで厚木の方に病院をコロナのちょうど時期から経営して、救急体制しっかり組んでで、少し余裕も出てきたんで、この地域でまた困ってるところないかなと探ってるところへ荒川先生から電話が来ましてね。、御殿場の方も見てほしいという話がありました。はせさんじてまいりました。荒川先生の情熱が伝わり、私も同じ考えだということで、ぜひなんか協力できることはないだろうかと思いました。よろしくお願いします。
プリントまでしていただいて、本当にありがとうございます。この通りの内容でですね、沖縄出身で、沖縄の医療がすごく悪くて、高校生時代医療をするのはもう一生の仕事としてはいいだろうと思いました。昭和47年、8年頃秋田大学が新進ででき国立で1番通りやすいところで、受けたら受かったもんだから、良かった。困ってる人たちの医療をするのが目標だったもんですから、秋田大学で救急から総合診療から、当時スーパーローテーションがなかったんですけども、離島の医療もしたいな、また田舎の医療もできるように学ばなければいかんから、総合的な力が必要だと思いました。救急と総合は自分の目標にしようと思いました。大学医局っていうのは視野が狭い。医局は食道外科で食道しかやらない、あとはわからない。それじゃいかんなと思ってですね、教授にお願いして、2年から3年ぐらいはね、地方の病院でいいからいろんな勉強する。内視鏡も勉強したいし、それからお産も小児科も整形外科もオールランドに見せてもらった。それは、将来、離島の仕事もできるようにと勉強してきたけど、大学にはそういう仕組みがない。秋田大学の食道外科の教授の心が広かった。それはいいよ、病院長にお願いして病院内でオールランドに見れる下地ができたわけです。今はスーパーローテーションと言って、研修医が3ヶ月単位で回ってるけど、私は別名ウルトラスーパーローテーションと呼んでるシステムで研修させていただきました。おかげで徳洲会グループの沖永良部島という離島の院長が空いてるかいかんかと話になりました。1年間ぐらいやって感じたことは、救急から在宅診療、長期入院患者もいて手術も離島でも始めた。今の医療の原型が見えた。今回の診療改定と言って医療が少しずつ変わってきてます。大体現実的なところ、こうなるだろうと思ってのが、だんだんそういう風に変わってきているっているのが現実なんです。ただ、救急に対してはまだまだ足りないところがあるなと感じてた。ですから、離島でさえできるのにどうしてできないんですかと。外科医ですから、元々手術はもうちゃんとやってました。里帰り手術までやるぞと言っていた。離島から息子がある日、小さい島から大阪の方に、仕事に出る。そしたら胃癌になったと。都会で手術するよりはこっちで、離島でやった方がいいと、私がやるからと言って里帰り手術までやりました。そうしますと皆喜んでくれる。医療っていうのは、しっかり体制を組めばやれるんだということが分かった。医者探しも全国規模でやりました。130床ぐらいの小さな病院でも、内科、外科、産婦人科含めて正義感を持って、多数の医者を抱えながら贅沢すぎるくらいの経営をしてまいりました。それを、全国展開は簡単だろうと思ってる矢先に、今度はたまたま徳洲会の中で千葉に病院作りするから面倒見てもらえんかっていう話が出て赴任しました。離島の方は流れさえできれば大丈夫ですよって言われた。離島で一生終わってもいいな、釣りをしながら生きていこうかなと思ってたんですけど、そんな楽なことはないということで千葉西総合病院に赴任しました。心臓カテーテルの先生で有名な病院の院長をやりながら、グループでね、山形に病院作るぞってことで山形に行ったら、やっぱり救急がしっかりしてない。さらに、北海道にと全国的に病院作りを仕掛けてきた。おかげさまでいろんな行政対応、医師会との対応、それから地域住民と本当にここと同じことをやってる。新しい病院が欲しいと。それはなぜかというと、命を守るのがやっぱり1番大事でしょうと。それでないと人口は増えないし、高齢者も自然だけで、が、環境がいいだけじゃ住めませんよというのが結論なんです。ですから、私がずっとやってきたのは、病院を立ち上げてきた。千葉の病院長をやりながら全国の新しい病院作りを仕掛けてきたというのが私の歴史です。徳洲会グループもいいグループなんだけど、内部で色々喧嘩してきな臭くなったもんですからもうやめて、13年ぐらい前に独立してやった方がいいのかなと思いました。千葉に病院は初めて色々また幅を広げて、独自でおひさまグループっていうのを作って病院作りをしてる次第です。あくまで病院作りはですね、エゴがあるとダメなんですね。誰かが儲けるやろうと病院を作って、前田先生、儲けたいんですよと。そういったエゴがあるとね、誰もついてこないんですね。みんなのために、もう本当にボランティアのつもりでやるんだという病院作りをやると、必ず、必ずできるんですよ。これはやっぱり誰も反対できなくなりますからね。ですから、それを目標にね、荒川先生の話を聞いて、本当にエゴのない方なんでね、これは協力したいなと思ってさせてまいりました。
本日市長さんにあってきました。やっぱまず医師会長だなと思いました。医師会長にも会いましたら、荒川先生の考え方は正しいと、誰も反対する人はいないでしょうと。ただ、今救急をやってる病院もあるんで、循環器とか脳外科もあるんで、そこら辺の整合性をしっかり会わせてください言われました。一度だけのご挨拶だったんですけども、全国色々病院作りをしてきてですね、あまり抵抗はないなと思いました。私の考え方と荒川先生の考え方をぶつけてみましたら、ものすごく反応が良かった。逆にね、やりやすいんじゃないかなと思っております。ただ、既存の既得権というのがあってですね、それをこう侵害するような話で持っていくことは絶対できません。既存の先生方が頑張れるような形を作りながら、足りないところのこの医療、すなわち今1番足りないのは外科の病院みたいですね。外科の先生方揃えて緊急手術もできるような病院作るぞということであれば問題ないんじゃないかなという話でした。それから、当然医師会の内部でもそれは話し合いをしてもらって、病院が必要だという形になりましたら、今度は市や県の方にあげていかないといけない。今日は市長さんに会いましたら、やっぱり市長さんも、市民が喜んでくれるな、病院作りはやぶさかではないと、それはもう当然ですね、いうことで理解してもらいました。ただ、許可病床っていうのがあるんです。この要件の中で、人口の割合で何床という、急性期が何床、慢性期の病院何床、病院の病床が何床って決まってるわけです。これは県が責任持って計算をして、許可を出しますよというような決まりになってるわけです。2次医療圏の中の許可病床の枠っていうのがあります。計算しても、この御殿場市を中心としたその地域では許可病床は空いてるところはないんです。ですから、空いてればもう作ってほしい。ただ、空いてないから、もうそれはもう政治的な判断となります。もう政治家がこれは絶対必要だよということであれば可能性があると言われました。市長さんとしても、許可病床がないと、これは県の市と仕事になるんで、それからそれを超えたところに厚労省があるんでね。この縦のラインの中で市が独自に病院作りはできないと言うのが、市長さんの一応回答なんです。そこで荒川先生から情報をもらえて、ハンセン病の病院が今度閉鎖になるんじゃないですか、そこはもらえないんですかと言ったら、ハンセン病病院に関しては、国のものだから国も動かさんといかん、かなりハードルは高いですよという返事なんですね。色々それなりのハードルを教えてもらいました。これからやることは、地域住民の皆さんの要望がまず大事なんです。署名活動も始めたというんで、そういうのがって、それから医師会が動いて、それから政治家が動いて、それから市長さんも動くでしょう。市長さんも是非その時は協力お願いしますと言うと、なんかこうニュートラルですね。本当に前田先生、やる気なんですかと、こうやる気ですよと意欲を示しながら言ったんですけども、医師会がまずまとまってほしいと。それから、ハンセン病の病床ね、まま県の方が許可を出してくれるかわからないと。それから、ハンセン病に関しては、1人でも患者さんがいる時は閉鎖できないもんだから困ってるんだという話をしていただきました。それは厚生労働大臣になりますね。それって3つの関門があるなと。私の感想としては、可能性はかなり高いなと受け取りました。もっとひどいと市長さんも会ってくれないところもあるんですよ。それは医師会長と相談してからキマっていうぐらいでね。今回会っていただいたんで、それなりに説明をして、医師会がまとまり、それから、ハンセン病の病棟が許可病床としてもらえるというのが県とか国の方で動き出したら、ぜひ協力お願いしますと、こう念押してきましたんで、その時は協力しますよということを言ってくれました。今、救急外来だけをやってるようですね。それで本当に物足りない。なぜ救急外来だけで満足してるのかわからない。やっぱり入院できないとね、意味がないんです。本当にカタチンバな医療なんです。それは医者だったら医師会長もわかってるんだけど、市の委託を受けて、医師会は、それを運営してるということらしいですね。救急医療センターは医師会で運営してる。年間3億ぐらいの赤字が出てる。それは税金の無駄じゃないかと思うけど、そこまで言うと喧嘩になるんで、状況だけは確認したら、その通りですという話でね。いずれ病院は、病床は必要じゃないですかと念をしながらご挨拶して、最初のご挨拶なんでね、ご挨拶してまいりました。
そういうわけで、感想としては、それぞれ正論に対して反対はしないということであればこれから荒川先生や会長と一緒にどんどん輪を広げていけば、かなり可能性は高いんじゃないかなと思いました。今日ははじめ、今日始めて、それから医師会長に会って、それが市町村になって2回目なんですけども、可能性は高いなと思いますので、是非ともね、また皆さんの輪が広がれば、これは御殿場市民のためになりますから、頑張っていきましょう。よろしくお願いします
荒川先生19:19
ありがとうございました。短期間でこれだけ理解してくれた先生は初めてです。言うこと何もないので皆さんが、今前田先生が言われたように、何をしてもらいたいかをちょっと言ってください。
山口さん19:52
市を動かすのに私たちが動いて、何か具体的に何をしたら1番効果がありますか。
前田先生20:13
市民が病院を欲しいという希望があるというのが一応基本なんですね。それに対して市長さんも反対はできないと思います。ですから、署名活動、どんどん輪を広げていくことが大事だと思います。身近でやれるのが1番それですね。それを受けてやっぱり医師会も動いていくと思います。これだけ市民の覚えがあるんだったら無視できないよということになりますの。要するに大衆の動きが1番大事ですね。医師会の方もやっぱりみんなが病院を欲しいっていうのがやっぱり早い。1番痛切に救急医療の整備が必要だと感じてるのは医師会の先生方ですね。それは私も同じことを言ったら、そのように言ってくれました。ただ、具体的に動く時に、どうしても許可病床が必要です。それから医師会の内部でも自分たちの既得権が侵害されると嫌だという先生も出てきますので、先生方をいかに説得していくかどうかも大事ですね。そういうことはまた私と荒川先生と会長でやっていきますので、皆さんにはぜひ署名活動をどんどん広げていただければと思います。それが大きいいです。要するに我々が動く根拠にもなりますし、それから住民の声が大事ですよ。ということで、政治家もみんな覚えてくれると思います。医療は普通大学とか行政がやる仕事なんです。前にいた徳洲会グループやおひさまグループが作っても同じです。困ってる地域があったら病院作りをしますよと。代わり環境整備だけお願いしますってことで、市長さんが1番理解してくれれば簡単なんです。やっぱりまだ市長さんも、要するに医師会に依存してるんですね。全てで。だから、医師会がまとまって病院が欲しいよっていう時はまた考えましょうというのが今日の返事ですね。全国にはいろんな自治体が、もう具体的にもう1か所、私、今仕掛けてるところがあるんで、それは千葉県の茂原です。実は今市長選挙やってんですよ。今で言ったら16年前の市長さんがずっと長生病院っていう公的医療機関を守りながらやってきて、だんだん医者が少なくなっていって、もう救急取れない状態になったんですね。たまたま千葉銀行さんから頼まれて、63床の菅原病院という小さな病院を面倒見てくださいよって言われ、入ったんですね。そしたら、救急体制がすごく不備なんですよ。ここよりもっとひどいですね。茂原というと房総半島のど真ん中で、それから端っこの方に亀田病院っていうすごい大きな病院があって、そこと千葉市とのちょうどど真ん中です。救急車で高速で乗っても30分以上かかるもんだから、心筋梗塞が助からないん。脳卒中も助からない、心配蘇生やっても心臓が止まって助からないいう地域なんですね。ですから、長生病院がしっかりやらなきゃいけないんですけども、それが整備されてなくて、民間の小さい病院にみんなこう救急車来るんです。きおこに若い先生方が今7名集まってきて、それで救急体制をしっかり、じゃあ地域の救急は受けましょうということをしながら63床とかの小さな病院だから、要するにこれ以上オーバーすると、今度は千葉市に送ったり亀田という病院に送ったりとかやってるんですけどね。そうやって、じゃあ市長さんはどう考えますかって言ったら、市長さんがあってもくれないです、医師会の内部もみんな動かないんですね。これは困ったなと思ってたところへ市長選があるっていうんで、今度新しい市長さんになりたい人が長生病院も民営化したいと言う時はお願いしますという話になって、じゃあそれだったらやりますよということで、今盛んに市長選挙をやっております。今度の日曜日、決着はつつくんです。こうやって市長さんの力が、意見が大きいもんだから、市長さんを味方に入れながらやっていく。実際全国でもね、そうやって病院作りをしてきました。それが1つの経験になってお役に立てればということで、自分の病院もあるんですけども、自分のグループで医療をやっています。いろんなこと研修の時から幅広く医療して、それから病院経営も勉強勉強してきました。今度は地域医療の流れというのも皆さんおそらくだんだん感じてきてると思うんですけども、医療機関も住み分けをし、色々役割を決めながら、いい医療しようということです。日本の医療は、最初は開業の先生がいて、50床位の病院を作って、それから公的医療が2、300床の大きな病院を作って発展してきてるんです。民間病院はどうしても50床から10床ぐらいの小さい病院でしか発展し得なかった。ただ、大型病院が最近増えてきた。それで200床の病院で出て始めたんですけども、要は2、300床ないと本当の救急はできないん。入院ができない。50床ぐらいの単科はできるんですけども、単科では経営的に安定しない。要するに経費がかかる。大きな病院は経営が安定してくるということで、国の方も大型病院にしなさいとみんな言ってるけども、許可病床がないならどうするんですかと聞いた。そしたら、お互い仲良くやって、地域医療構想って言うんですけどね、50床ぐらいも病院がそれぞれ1つにみんなまとまって、4つも一緒になれば300床できるんじゃないのという考えです。それで、小さい病院は経営が苦しくなるように診療報酬で制限してるんですよ。もう潰れてもいいですよと。合併しなければ潰れてもいいですよって、許可病床の中でものを考えてくださいということになってるんで、そこが医療行政のちょっと冷たいところがあるんですよ、裏には、国の医療費が40兆円、50兆床円もなってるから、制限する。高齢者が増えてくるとまたさらに高くなるよと。医療費を節約というのが国の命題なんですよ。そういう流れと、現場では高齢者が増えて、救急も増えて、それでベッドも足りなくなっている。国は介護施設や在宅診療を進めて結果的にネットワークしたい。救急病院があって急性期の病院っていうのが今度、診療報酬で新しく出てきた地域包括ケア病棟とか地域包括医療病棟とかとして医療関係者はみんな中間的な高齢者の救急を受ける病院を作りなさいよと話になっている。それから療養型、慢性期の病院、それでいろんなタイプを作って、それから診療所では在宅診療もやって、外来だけじゃダメですよ、それから訪問看護ステーションができ、訪問リハビリステーションができてというね。で、介護施設も、もうね、慢性期の医療はもう介護施設しててやりなさいと。そのため介護保険ができた。日本の医療は徐々に変わってきた。結論として昔は大病院になんでも入院させて、ごちゃまぜにして見てたのが、みんな住み分けをしなさいという方針になってきた。お互いに連携しなさいと。だから、救急病院に行ったら、もう1週間ぐらい早く退院して他は回せと。回されたところも、3ヶ月しか入れませんよとかもうすごく制約が出ている。
