被告は800万円もの延滞家賃請求を受ける区民住宅になぜ入ったのでしょうか?


2011年3月11日、東日本大震災。本事件の被告Aさんは、宮城県気仙沼市で被災。住居兼住まいを津波で流されて、付近の小学校に避難しました。その避難所に、5月3日気仙沼市のこんなチラシが掲示されました。
「被災者の皆様の二次避難について(お知らせ)」(下図は目黒区への情報公開請求により2022年6月入手)
1-①市内の宿泊施設 約300人分 ②唐桑町内の宿泊施設 約 40人分 2-①大崎氏鳴子地区の宿泊施設 約600人分②目黒区公営住宅(1K~3LDK) 20~30戸
気仙沼市には友好都市である目黒区から、3月中から物資・職員が向かい、気仙馬市を支援していました。東京にも各県から多くの被災者が避難していましたが、4月の大田区区民住宅25戸提供をかわきりに、23区各区も約400戸の公営住宅等を大震災被災者に提供しました。Aさんは夫の病気への対応が気仙沼では困難になり、この目黒区からの住宅提供に応じて、目黒区民住宅に避難しました。
2022年6月までに、気仙沼市からは、8世帯が目黒区内の区民住宅・従前居住者用住宅・職員住宅・高齢者福祉住宅に避難しました。このほか目黒区内には東京都から都営住宅や都の職員住宅などの多くの方が避難していましが、友好都市にもとづき、目黒区が直接気仙沼で募集した方々がこの8世帯で、3種類の住居施設が用いられましたが、なぜAさん一家が最も家賃が高い「区民住宅」入居となったか、その判別基準は明らかになっていません。チラシにあるように、入居に際して家賃は請求されず、説明もされていません。
結果として、東日本大震災から7年後の2018年3月、「応急仮設住宅」は打ち切られ、他の公共住宅への転居などの住居支援も受けれず、夫の重篤化の中で都営住宅等の落選を繰り返す中、Aさんは2021年7月、立退きと延滞家賃800万円余の支払いを求められ提訴され、被告となりました。
東日本大震災から11年。約47万人の避難者のうち今年3月現在でも「避難生活を送る人は福島の被災者を中心に、なお3万8139人に上る。(読売新聞2022年3月11日)」宮城県からも約3400人が避難生活を続けています。
目黒区の公営住宅に気仙沼から避難された8世帯は、Aさん以外は目黒区公営住宅を退去されています。しかし「帰るに帰れない」「避難先で新たな生活を築く」ことを目黒区は許されないことと考えているのでしょうか?
私たち「めぐろ被災者を支援する会」は、目黒区は被告Aさんに、災害救助法や住宅セフティネット法などが求めている住居支援の手を差し伸べるべきと考えています。そして理不尽な高額延滞家賃の支払いを求める訴訟を直ちにやめるよう訴えます。
目黒区はウクライナから戦火を逃れて目黒区に避難された方に、目黒区長が面会し各種支援を約束しました。私たちは事態がどうなろうとも「もうウクライナに帰れ」といってほしくはありません。国際的な「再定住権」に基づいた支援を続けてほしいと思います。
被告Aさんをめぐる東京地方裁判所での裁判は、次回弁論が9月26日(月)午前10時~ 606号法廷となりました。(8月24日から延期)次回弁論に向けて、このお知らせで、「Aさんが入居した区民住宅とは」「区民住宅三田フレンズが今は区営住宅と高齢者福祉住宅になっている問題」「目黒区以外の23区公営住宅に避難された方々はどうだったか」などを随時アップしていきます。電子・紙の署名活動も継続し取り組んでいます。よろしくお願いたします。 以上