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崎戸町への「中国人強制連行の碑」の建立に反対します。

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<三菱マテリアルと中国人元労働者との和解に伴う、崎戸町への中国人追悼碑建立に反対します!>

三菱マテリアルが合意した中国人強制連行集団訴訟裁判の合意内容として、長崎県西海市崎戸町他、三菱マテリアルの私有地への追悼碑建立に関して明確に反対する理由と解決策を簡単に申し述べます。

                 
1、日本人が「支那事変」の真実を知らないことが要因の一つ
 近代史に疎い日本人は、昭和12年からの中国大陸での戦い(支那事変)のことをほとんど知りません。一般に7月7日の盧溝橋事件が支那事変の引き金と言われていますが、実は「北京議定書」に基づいて、合法的に多国籍軍とともに駐留し、事前に演習の通告もしていた日本軍に対して実弾を発砲をしてきたのは支那側であり、中国共産党の工作員であったということが判明しています。実際の戦闘は盧溝橋の争奪戦ではなく「盧溝橋近くの荒地」で行われました。盧溝橋事件は最終的に、中国側が日本に謝罪する形で停戦協定が結ばれていますが、その後も中国側は7月7日~23日までに大紅門事件、郎坊事件、公安門事件、チャハル事件の軍事的挑発、並びに一般日本人223〜260名を惨殺する通州事件などを起こし、わずか2週間の間に400名以上の日本人を死傷させ、日本の国内世論を沸騰させました。これらは日本軍と中華民国を戦わせるための共産党の作戦でした。


 8月にはそれらの平和的解決を目指していた大山中佐が公務中に惨殺され、いよいよ一触触発状態となります。そんな中、上海の共同租界(英・米・仏・日)を守っていた日本軍4,000名が、30,000名の蒋介石軍から奇襲攻撃を仕掛けられ「第2次上海事変」が勃発します。この戦いは日本軍が約10倍の敵を蹴散らして勝利し、その勢いで蒋介石の本拠である南京を攻略したのが12月の南京攻略戦です。その南京で日本軍が30万人もの南京市民を虐殺したと言われていますが、当時の南京の人口は20万人だったので、30万人を殺すことはできませんし、敵は蒋介石であり南京市民ではなかった日本軍に虐殺を行う理由はどこにもありませんでした。30万人の死体を写した写真は1枚もありませんが、南京の正月に華人と共に餅をついて、子供と遊ぶ日本兵の動画が残っています。占領から1ヶ月後には人口が5万人増加し、25万人になった記録からも「南京大虐殺」が虚無の事件であることがわかります。

2、強制連行・強制労働はあったのか? 「派遣責任者と勤労意欲」

 国内の労働力が不足していた日本は、華人の労働力を導入したのは事実です。しかし、戦争中の国から労働者を招くことは非常に危険な事です。例えば米国と戦争中に、米国人の労働者を移入するとしたらどんなに危険かおわかりいただけるでしょう。日本が国内に移入したのは、軍閥の一つでしかなかった蒋介石を追い払ったあとの南京に成立した親日的な「汪兆銘政権(1940年~45年)」の行政区域に属する「華人」でした。その政権の一機関である「華北労工」が、農民や仕事にあぶれた者を集め教育し、2年間の契約を結んで派遣したのが「華人労働者」なのです。強制性に関しても「無理やり連れてこられた・働かされた」といえば、広義の強制連行・強制労働とされてしまいますが、給料は規定通り支払われていましたし、食事も華人の好みに配慮して「饅頭」が支給されていました。また、日本人は勤勉で何事にも真剣に取り組みましたが、華人労働者はいかに仕事を怠けるか、少しでも楽な仕事にあやかるかに一生懸命でしたから、日本人と同じ労働意欲はありませんでした。日本人と同じように働けと言われたら「強制された」と感じても無理はないのかもしれません。何をして強制連行・強制労働というかの基準は、非常に曖昧であるのです。

3、労働者の質について 「高齢者、重病者を派遣?到着直後に約半数が死亡。」

 華人労働者を手配した「華北労工」は一人頭いくらの手数料をもらっていたので、労働者の年齢や質、健康状態に関係なく日本にドンドン送り込みました。そのため労働者の質はどんどん下がってしまいました。外務省がまとめた「華人労務者事業場別就労調査報告書」によれば、日本に派遣された華人労働者は38,935人で、その年齢は15歳から78歳にまで及びます。当時の平均寿命は50歳でしたから、最高齢の78歳がいかに高齢であるかがわかります。また労働者の健康状態も劣悪で、栄養失調、感染症、性病、皮膚病などを患い、まともに歩けない者が多かったことが明記されています。最終的に6,830人の華人労働者が死亡したと言われますが、その内訳は到着前の船内で564名、事業所に着く前に248名、さらに渡航前から患っていた感染症などで3ヶ月以内に2,282名が死亡しました。実に死亡総数の約半分の3,094名が到着前~直後に死亡したことになります。これを強制労働による死亡とするのにはあまりに無理があります。推進側はこの事実にまったく触れることなく「全員が強制労働の犠牲者」と喧伝しているのです。
 崎戸には15歳から60歳までの436名が導入され、その健康状態は「不良」という記録があります。崎戸の華人労働者には、炭鉱の爆破や日本人襲撃を企てて逮捕、留置され、長崎原爆で死亡した者や、終戦直後、町内で暴れた華人の記録が町史に残っています。

4、追悼碑の建立を許せば、崎戸町は強制連行・強制労働のシンボルに?

 三菱マテリアルの現経営陣は、孔子の言葉を引用してまでその道義的な責任を述べましたが、なかったことや、未だ議論の余地が残ることまでまで認める必要はありません。このような一企業の独断専行は日本の歴史を歪め、崎戸町の誇りを大きく傷つけます。もし、今、我々が何も声を上げずに碑の建立を許せば、崎戸町は「未来永劫、強制連行・強制労働のシンボル」となってしまいます。我々は三菱マテリアルに対して穏やかな方法で「問題の種となるような追悼碑は必要ない」という意思を示し、先人が培ってきた郷土の誇りを守り、未来の子どもたちに重い十字架を背負わせないように懸命の努力をすべきだと思うのです。

5,解決策の提案

 それでも三菱マテリアル現経営陣並びに裁判支援団体が「どうしても追悼碑を立てなければならない」というのなら、その最適の場所は「三菱マテリアル本社前」です。責任を認めた現経営陣が毎日出社するところであり、なおかつ一箇所で済みます。崎戸町に責任を押し付けないでください。

            文責 郷土史民間防衛団 代表 小川茂樹 



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