国重要文化財『円覚寺境内絵図』に描かれた、中世鎌倉・円覚寺の谷戸景観を守りたい!北鎌倉駅ホーム横の開削計画を撤回し保存してください!

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北鎌倉・円覚寺は、鎌倉幕府の八代執権北条時宗が創建した、鎌倉を代表する禅宗寺院のひとつです。(開山:無学祖元)

鎌倉五山第2位で、国宝や国重要文化財も数多い重要な文化遺産です。まもなく再挑戦予定の「古都鎌倉の世界文化遺産登録」では、「日本を代表する禅宗寺院」という歴史的価値により、やがて世界文化遺産に登録されるのは間違いないと期待されています。

その円覚寺の中世景観が、北鎌倉駅ホーム横の尾根開削で奪われようとしています。本来ならとっくに史跡指定されているべき円覚寺境内の鎌倉時代の境界をあらわす尾根の終点です。これを開削して中世の絵図に描かれた景観を壊すことは、文化財の破壊になります。

鎌倉市は開削計画を撤回して、後世の人々のために、日本の誇る文化遺産・歴史的景観を保全してください。

1.そのために、まず、開削計画をストップしてください。
 
2.次に、鎌倉市内外の研究者の意見を広く聞いてください。
 研究者が一堂に会して、この尾根の文化遺産としての価値を検討する場を公開で開催してください。

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要望の理由

理由1:円覚寺に伝わる国の重要文化財『円覚寺境内絵図』は、建武元年(1334)ころに描かれたと伝わります。下の拡大図の赤円の部分が問題の尾根裾です。左に長勝寺と書かれていることから、この尾根が円覚寺と隣地を隔てる境界であることがわかります。

長勝寺は禅宗の寺格で諸山に列せられた寺で、空山圓印が住持のとき自らの塔頭として雲頂庵を創建したとされます。この絵図の当時、雲頂庵はすでに山中に造られていたことが推察されます。長勝寺の上(東側)山中に『塔』と書かれているのがわかります。のちに長勝寺、雲頂庵ともに衰退しますが、雲頂庵は江戸幕府初期の1600年頃、円覚寺の塔頭に列せられています。

『円覚寺境内絵図』は、円覚寺境内の境界を赤い線で描いています。北側の尾根裾に描かれた境界線延長上に十王堂橋があります。小袋谷川の流れが数メートルほど東西に曲がるところに掛けられている橋です。西側で小袋谷川の流れの分かれる様子も現在とほとんど変わっていません。このことから、現在開削対象になっている尾根裾は、この絵図の北側境界の尾根裾と一致することがわかります。

左下部分(図)は北側尾根の拡大図です。一見すると谷戸内のようですが、この絵図では山稜部の目印に松が配置されており、拡大すると小高い地形になっていることから、この部分は尾根山であることが推察されます。拡大図で、大仙庵に行く道が尾根を割った切通道であることがわかります。さらに切通の奥は平場になって白雲庵、傳宗庵が描かれています。1334年に描かれた円覚寺境内境界尾根の景観が現在も確認できるのは特筆すべきことです。

このように国重要文化財の古絵図と一致する景観が残されていることは大変貴重で、他地域ではそれだけで国史跡に指定されて保存の対象になっています。

  

理由2:寛政三年(1791)に作成された『坪数幷諸建物之絵図』に見る円覚寺の境内範囲では、向かって左端の尾根に白雲庵・雲頂庵・伝宗庵等に行くための切通道が通っています。この絵図でも1334年の『円覚寺境内絵図』に描かれた北側尾根の切通道と平場、境内境界の尾根裾の延長線上に十王堂橋があるという景観を見ることができます。1334年から今日まで、この景観が受け継がれているのです。

円覚寺の塔頭は、最初は円覚寺の住持の退去寮などとして造られていました。白雲庵は東明恵日が応長元年(1311)、円覚寺に入院してまもなく休蔵の所として作ったと『白雲東明語録』に見えます(『円覚寺史』より)。伝宗庵は南山士雲が文保元年(1317)円覚寺入院後、一旦退院してまた再任したのち元応二年(1320)に建長寺に遷住するまでの間に建てています。

即ち、この絵図からも14世紀初頭には円覚寺北側の尾根を切り掘って切通道を造り平場に塔頭を建てた景観があったことが推察されます。円覚寺境内北側尾根山中の切通道と塔頭のある平場景観は中世から近世に受け継がれており、北鎌倉駅ホームに隣接する尾根裾は中世から近世後期にも円覚寺境内境界であったことがわかります。 

画像で紹介している2枚の絵図の出典および参考文献

『円覚寺境内絵図』(円覚寺蔵)、「鎌倉の古絵図(1)」鎌倉国宝館図録第十五集、一九六九年、鎌倉市教育委員会・鎌倉国宝館
『坪数幷諸建物之絵図』、「史跡円覚寺境内・名勝及史跡円覚寺庭園保存管理計画書」、二〇一〇年、鎌倉市教育委員会
『円覚寺史』玉村竹二/井上禅定、一九六四年、春秋社             『山之内図』(富陽菴蔵)、「鎌倉の古絵図(2)」/鎌倉国宝館図録第十六集、一九六九年、鎌倉市教育委員会・鎌倉国宝館


昨年(2015年)12月21日に鎌倉市長に同じ趣旨の要望書を提出しました。そこではさらに『山之内図』で、この尾根が山之内上町下町の境界であることを検証しています。

 

理由3:4県市(神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市)は、世界文化遺産再挑戦のために、平成25~26年度に中国と日本各地の禅宗寺院の景観を視察研究し、11月15日に報告会を開きました。そこでわかったことは「建長寺や円覚寺など鎌倉の禅宗寺院の独自の特長は、谷戸の地形の中に造られた禅宗建築である」ということです。谷戸の中を切り掘りましたが、尾根筋が残されていたことは、『円覚寺境内絵図』から明らかです。尾根筋が残されていなくては「谷戸」とはいえないのです。さらに「独自の特長」は世界遺産登録の要件である「オリジナリティ」につながるため、世界遺産登録をめざすためにも、鎌倉市はこの景観を保存しなくてはならないはずです。

 

理由4:この尾根裾には南北に人を通すために近代に「洞門」と呼ばれる小さなトンネルが掘られています。この洞門を保存したいとして、北鎌倉に住まう市民が中心になって保存活動をしてきました。しかしながら鎌倉市長は安全性優先を理由に開削を決定しています。

文化遺産としての価値から考えれば、トンネルは通行できなくとも尾根は残さなくてはなりません。

通行のためにはJR北鎌倉駅の下りホーム北側に自動改札を設置するなど、地域が一体になって、世界中の人々が感嘆し愛する鎌倉の文化遺産と歴史的景観を護る努力をするべきです。

また、尾根を保存することによりトンネルの通行についても文化財的な保存処理を検討することが可能になります。

 

理由5:日本と世界の誇る文化遺産・円覚寺は、中世以来の姿を保つために、中世以来の幾度の火災や明治期の廃仏毀釈、関東大震災の倒壊、太平洋戦争後の復興など、その時代時代の住職らが不断の努力をしてきたことを「円覚寺史」から知ることができます。

今回保存を求める尾根裾についても、切通道が中世からの景観であること、現在墓地になっている場所は平場として存在したことが類推されることから、遺された尾根裾はもちろん北側尾根全体を保全して史跡指定し周辺を修景していく努力をしていくべきです。

 

先人が、天災や人災で崩壊しかけた文化財をあきらめることなく復興し護り続けてきたために、現在も「古都鎌倉」という歴史遺産都市が受け継がれてきました。これからも保全や復元の努力なくして文化遺産が護られることはありません。

日本の古都・鎌倉の文化遺産と歴史的景観を護るために、北鎌倉駅ホーム横の開削計画を撤回して尾根裾を保全し、市民が身近に見ることのできる円覚寺境内境界の谷戸景観を保存していただきますようお願いいたします。

 

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北鎌倉・円覚寺の谷戸景観の保存を求める有志一同

伊藤 正義 (鶴見大学文化財学科教授 いざかまくらトラスト代表)

八幡 義信 (神奈川県文化財協会会長 国寶史蹟研究会会長)

内海 恒雄 (鎌倉の世界遺産と秘宝を訪ねる会代表)

野村 欣司 (鎌倉プロバスクラブ元理事)

草場 圭三 (東京工業大学大学院理工学研究科非常勤事務員)

斎藤 紀子 (鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会推進委員)

石黒 敦彦 (武蔵野美術大学、倉敷芸術科学大学・同大学院講師)

新城 順子  (特定非営利活動法人スローレーベル)

島本 守心 (美術家)

菊池 威雄 (国文学研究者 陶芸家)

野村 雅代 (御成小「講堂」の保全活用をめざす会)

野村 和代 (御成遺産グループ)

佐藤 江里子(放送大学大学院歴史研究会 いざかまくらトラスト副代表)

 

 



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