【オフトーク(Off-talk)・医学教育についてのひとりごと・その4】: 若者は医師としての「職業的倫理」をどのように学ぶのでしょうか?


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朝の凛とした寒さに秋の深まりを感じる季節になってきました。
今日は、少し大きな話をしてみたいと思います。
「医師としての倫理」の話です。しかし、このテーマはあまりに広大で、生命倫理や医療倫理、さらには「善とは何か」という哲学の話にまで広がってしまいますので、今日皆さんと一緒に考えてみたいのは、もう少し身近な「職業的倫理」のことです。
私たちは若い医師たちに、「医師という職業には、どのような責任が伴うのか」を、いったいどのように伝えているのでしょう。
医学部では、インフォームド・コンセント、患者さんの自己決定、守秘義務、研究倫理などを学びます。しかし、私が考えたいのは、それだけではありません。
たとえば、夜中に患者さんの状態が悪くなったとき。自分の専門から少し外れた病気を前にしたとき。二つの治療法の間で判断に迷ったとき。忙しい外来で、目の前の患者さんがまだ何かを話したそうにしているとき。
こうした場面で「医師としてどう振る舞うべきなのか」を、教科書だけから学ぶことは難しいように思います。
🧐私自身は、どこでどうやって学んだのだろう:
振り返ってみると、私自身も「医師の職業的倫理」という講義を受けて、それを身につけたという記憶はありません。むしろ、患者さんたちから受け取る言葉や先輩の医師たちの姿から学んだことの方が多かったように思います。
患者さんのところへ何度も足を運ぶ医師。自分の判断が間違っていたとき、若い医師の前でもそれを認める医師。自分には難しいと判断すれば、ためらわず他の医師に助けを求める医師。そして、患者さんが亡くなったあと、一人になって考え込んでいる医師。
そんな先輩たちを見ながら、「医者というのは、こういう仕事なのだろう」と、少しずつ学んでいったような気がします。
医学教育には、正式なカリキュラムには書かれていなくても、医療現場の文化や先輩の行動から若者が学んでいく「hidden curriculum(隠れたカリキュラム)」という考え方があります。
🌍では、世界ではこの問題をどのように考えているのでしょう?:
英国のGeneral Medical Council(GMC)は、医学部卒業時に身につけるべきものを「knowledge(知識)」や「skills(技能)」だけでなく「behaviours(行動)」まで含めて定めています。さらに現在の Good medical practice (好ましい医学的実践)では、患者を第一にすること、能力の限界を認識すること、患者と協働すること、同僚を尊重すること、間違いが起きたときに誠実であることなどを、医師に求められる「職業的行動」として明示しています。
米国でも、卒後医学教育を認証するACGMEは「プロフェッショナリズム(プロフェッショナルであること)」を研修医が修得すべき中核的能力に位置づけ、思いやり、誠実さ、患者のニーズへの応答、患者・社会・profession(職業)へのaccountability(説明責任)などを具体的に求めています。カナダのCanMEDSも、医師の重要な役割の一つを同様に定義し、患者さんだけでなく社会に対する医師という職業そのものに対する責任を掲げています。
興味深いのは、どの国でもプロフェッショナリズムを単なる「倫理の知識」として扱っていないことです。
「何を知っている医師を育てるか」だけでなく、「どのような医師を育てるか」
が医学教育の重要な目標になっています。
🌲では、日本はどうでしょう:
実は、日本の制度にも立派な理念があります。
厚生労働省の「医師臨床研修指導ガイドライン」では、臨床研修を「医師としての基盤形成を行う期間」と位置づけ、「医師としての基本的価値観(プロフェッショナリズム)」として、
①社会的使命と公衆衛生への寄与
②利他的な態度
③人間性の尊重
④自らを高める姿勢
の四つを掲げています。
文部科学省の医学教育モデル・コア・カリキュラムも、プロフェッショナリズムについて、倫理的ジレンマなどを議論し、実際の診療経験を「振り返る」機会を設けることの重要性を示しています。
つまり、日本に理念がないわけではありません。
だからこそ、私は考えます。
「その理念を、若い医師が自分自身の価値観として身につけられるような経験を、私たちは本当に提供できているのか?」と。
🍀「最近の若者は……」と言う前に:
「最近の若い医師は昔とは違う」
「大変な診療科を選ばなくなった」
医療現場で仕事をしていると、そんな言葉を耳にすることが増えてきました。
しかし、私はこのような世代論には慎重でありたいと思っています。
若者は、その時代に用意された教育制度の中で医師になります。
私たちの世代とは違う臨床研修制度の中で育ち、違う勤務環境で働き、違う専門医制度の中で将来を選んでいます。
だとすれば「最近の若者は……」と言う前に、私たち指導医の世代が自分自身に問いかけなければなりません。
私たちは、若い医師が「医師という職業の意味」を考えるだけの経験を、本当に十分に用意してきたのでしょうか。
もちろん、どの診療科を選ぶかは個人の自由です。
社会が必要としているからという理由で、若者に特定の診療科を選ばせることも適切ではありません。
しかし、自分の将来を決める前に、
「社会のどこで、自分たち医師の力が必要とされているのか」
を実際に見る機会は必要なのではないでしょうか。
血液内科、小児科、産婦人科、外科、救急医療、地域医療――。
そこで働くことを強制するのではありません。
その現場で働く医師と患者さんに出会い、仕事の喜びも大変さも知ったうえで進路を選ぶ。
それもまた、医師を育てることの一部ではないかと私は思います。
🔮臨床研修とは、何のためにあるのでしょう:
2004年に現在につながる卒後臨床研修制度が始まってから、20年以上が経過しました。
幅広い基本的診療能力を身につける機会が整備されたことは、この制度の大きな成果だったと思います。
しかし20年以上が経過した今だからこそ、もう一度考えてみてもよいのではないでしょうか。
臨床研修とは、「さまざまな病気を診る技術を学ぶ期間」だけなのでしょうか。
それとも、「自分はどのような医師になり、社会の中でどのような責任を引き受けて生きていくのか」を考える期間でもあるのでしょうか。
何科を何週間ローテーションしたか。どの疾患を何例経験したか。どの手技を何回行ったか。
もちろん、それらは大切です。
しかし、それだけでは測れないものがあります。
心から尊敬できる医師に出会えたか。
患者さんの人生に深く関わったことがあるか。
自分の判断に迷い、誰かと議論したことがあるか。
失敗について振り返ったことがあるか。
そして、「自分は、どんな医師になりたいのだろう」と真剣に考える瞬間があったか。
多くの若い医師たちに接してきましたが、彼らの職業的倫理感が低下している、と一概に語るのは短絡的過ぎます。むしろ問われるべきなのは若者ではなく、まず私たちの側です。
医学部、大学病院、臨床研修病院、専門医制度、そして指導医である私たち自身。
私たちは、次の世代に「医師という仕事の意味」を伝えられる制度や環境を、本当に用意できているのでしょうか。
答えは、私にもすぐにはわかりません。
だからこそ、20年以上続いてきた現在の臨床研修制度について、何がうまくいったのか、何がうまくいかなかったのか、「プロフェッショナリズム」を伝えられているか、一度きちんと検証してみてもよい時期に来ているのではないでしょうか。
制度を見直すこと自体が目的なのではありません。
よりよい医師が育ち、その医師たちが、必要としている患者さんのもとへ届くこと。
それが、医師を育てる制度の最終的な目的であるはずです。その目的をかなえる制度として機能しているのか、客観的な検証が必要と思います。
若者は医師としての「職業的倫理」を、どのように学ぶのでしょう。
その問いは、もしかすると、
「私たちは、次の世代にどのような医師を育てていきたいと願っているのでしょう」
という、私たち自身への問いなのかもしれません。
本署名サイトURL: https://c.org/BYfSxz9bvN
一戸辰夫
「若手がん治療医・血液内科医を支援する会」 代表
[連絡先:tatsuo.ichinohe@icloud.com いつでも皆様からの建設的ご批判・ご意見をお待ちしています]