16歳未満のSNS利用を禁止する計画に反対してください

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25の賛同を目指しましょう!
注目を集め、影響力を強めていきましょう

署名活動の主旨

16歳未満のSNS利用を一律に禁止する計画に、私は反対します。

どうか、決める前に想像してください。今日、学校で居場所を失った一人の子どもが、家に帰って、誰にも言えない気持ちを抱えたまま夜を迎える姿を。その子にとって、スマートフォンの小さな画面の向こうにある、同じ悩みを持つ仲間の一言、趣味を共有できる友人の存在、信頼できる大人からの「大丈夫だよ」というメッセージが、どれほど大きな支えになっているか。その支えを、法律で一斉に断ち切ることが、本当に子どもを守ることになるのでしょうか。

SNSは、もはや単なる娯楽ではありません。若者にとっては、友人とつながり、情報を得て、学び、創作し、自分の考えを表現し、社会に参加するための、現代のインフラです。部活動の連絡、勉強の質問、進路の情報収集、音楽やイラストやプログラミングといった創作の発表、地域を超えた仲間との交流。その多くが、今はオンラインの場を通じて行われています。これらすべてを「危険だから」という一言で16歳の誕生日の前日まで禁じる措置は、子どもを危険から遠ざけるのではなく、現代社会から切り離す措置です。

特に深刻なのは、いじめや不登校、人間関係の悩み、家庭内の問題を抱える子どもたちへの影響です。

現実の学校でいじめられている子どもにとって、教室は逃げ場のない場所です。廊下も、部室も、通学路も、苦しさから逃れられません。そんな子どもが、匿名や別の名前で参加できるオンラインのコミュニティで、ようやく本音を話せることがあります。現実では「弱音を吐くな」「気にしすぎだ」と言われてしまう子が、オンラインでは同じ経験をした人から「あなたは悪くない」「一人じゃない」と言ってもらえる。その一言で、翌日を生きる力が戻ることがあるのです。

自殺や自傷、虐待、性的な悩み、性的マイノリティとしての悩み。そうした、身近な大人には相談しにくい問題ほど、子どもはまずオンラインで情報を探し、支援団体や相談窓口にたどり着きます。禁止は、その入り口そのものをふさぎます。「相談するな」とは言わなくても、相談できる場所への道を閉ざせば、結果は同じです。苦しんでいる子ほど声を上げにくくなり、孤立は深まります。守るべきは、最も弱い立場にある子どもたちのはずです。一律禁止は、その子たちから真っ先に逃げ場を奪います。

もちろん、SNSに問題がないとは言いません。誹謗中傷、闇バイトへの誘い、性犯罪者による接近、過剰な比較による劣等感、睡眠を削るほどの長時間利用。こうした被害は現実にあり、軽視できません。しかし、問題があることと、一律禁止が解決策であることは、まったく別です。

禁止しても、若者の「つながりたい」という気持ちは消えません。むしろ行き場を失った利用は、親や教師の目が届かない場所へ潜っていきます。年齢を偽ったアカウント、海外の無名サービス、身元確認も通報機能も不十分な掲示板やチャットアプリ。公式の大手SNSであれば、まだ通報、ブロック、フィルタリング、利用時間の管理、運営への申告といった仕組みがあります。禁止によって子どもたちをそうした仕組みの外へ追いやれば、危険は減るどころか増えます。見えなくなることは、安全になることではありません。大人が「禁止したから安心だ」と思った瞬間に、子どもはより危険で、より助けを求めにくい場所に取り残されます。

また、この禁止は、加害者やプラットフォームの責任を問うのではなく、被害者になりうる子ども自身の自由を奪うことで問題を片付けようとするものです。本来問われるべきは、なぜ有害な投稿が拡散されるのか、なぜ子どもを狙うアカウントが放置されるのか、なぜアルゴリズムが過激で不安をあおるコンテンツばかりを勧めるのか、という事業者側の設計と責任です。プラットフォームに厳しい義務を課すことなく、子どもだけを締め出すのは、順序が逆です。道路で事故が起きるからといって、子どもに外を歩かせるなとは言いません。横断歩道を整え、信号を付け、運転者に責任を負わせ、子どもに交通ルールを教えます。SNSも同じであるべきです。

年齢そのものも、一律の線引きには無理があります。15歳11か月の子どもと、16歳になったばかりの子どもとの間に、SNSを安全に使えるかどうかを分ける決定的な差はありません。家庭環境も、発達の速度も、置かれた事情も、一人ひとり違います。ある子には早い段階から支えが必要であり、ある子には段階的に自由を広げる経験が必要です。その判断を、家庭や学校、本人の状況を知らない法律が一律に奪ってしまうことは、子どもの成長の機会を奪うことでもあります。失敗を避けてばかりでは、判断力は育ちません。小さな失敗から学び、困ったときに大人に相談し、自分の使い方を修正していく経験こそが、16歳以降、急に自由になったときに自分を守る力になります。禁止期間が終わった翌日から、教育も経験もないまま無防備にSNSへ放り出されるほうが、よほど危険ではないでしょうか。

さらに見過ごせないのが、年齢確認の現実的な問題です。16歳未満を確実に排除しようとすれば、全利用者にマイナンバーカードや運転免許証、顔認証などによる厳格な本人確認を求めることになりかねません。それは子どもだけでなく、大人を含むすべての利用者のプライバシーを危険にさらします。一度流出した身分証や顔のデータは、取り返しがつきません。「子どもを守るため」に、社会全体の個人情報を一部の企業や仕組みに集中させることが、本当に安全と言えるでしょうか。匿名で相談し、匿名で創作し、匿名で新しい人間関係を試す自由も失われます。その自由があったからこそ救われてきた子どもたちが、確実に存在するのです。

家庭の役割についても考えてください。子どものメディア利用をどうするかは、本来、保護者が子どもの性格や状況を見ながら決め、話し合いながら調整していくことです。厳しく制限したい家庭もあれば、信頼して任せたい家庭もあるでしょう。その多様な判断を、国家が「一律禁止」で置き換えてしまえば、親子の対話の機会そのものが失われます。法律で禁じられれば、子どもは親に隠れて使うようになり、トラブルが起きても「怒られるから」と相談できなくなります。本当に必要なのは、親が一方的に取り上げることでも、国が一律に禁じることでもなく、親子が一緒にルールを決め、困ったときにすぐ相談できる関係を社会が支えることです。

私たちが求めるのは、放置ではありません。むしろ、禁止よりも手間がかかり、しかし本当に効果のある対策です。

第一に、プラットフォームへの規制を強化してください。有害コンテンツの迅速な削除、子どもを狙うアカウントへの厳格な対応、通報への透明な報告、依存を促す設計の見直し、レコメンド機能の透明化。子どもを守る責任を、子ども自身ではなく、利益を得ている事業者にこそ負わせるべきです。

第二に、年齢に応じた安全設計を義務付けてください。初期設定での公開範囲の制限、知らない大人からの連絡の制限、利用時間の通知、フィルタリングの改善。これらは技術的に十分可能です。一律禁止という乱暴な方法ではなく、安全に使える設計を社会全体で求めるのです。

第三に、保護者への支援を充実させてください。説明会やワークショップ、相談窓口を通じて、保護者が設定方法やリスク、子どもとの話し合い方を学べる機会を作ること。デジタルに詳しくない保護者を置き去りにしないことが、格差のない安全につながります。

第四に、学校での情報モラル教育を、説教ではなく実践的なものに変えてください。パスワードの管理、写真投稿のリスク、フェイクニュースの見分け方、誹謗中傷を受けたとき・してしまったときの対処法、困ったときの相談先。子どもを「使うな」と脅す教育ではなく、「どう使えば自分も他人も守れるか」を教える教育が必要です。それは、将来社会に出るすべての子どもに必要な生きる力です。

そして何より、当事者である若者の声を聞いてください。大人だけで「子どものため」と決め、子どもの実態を知らないまま進める政策は、必ず現実からずれます。不登校の子、障害のある子、地方に住み近くに仲間がいない子、現実では声を上げられない子。そうした子どもたちの声を政策決定の場に届け、一緒にルールを作ることこそ、民主主義のあるべき姿です。

最後に、問いかけたいと思います。私たちは、子どもを危険から守りたいのでしょうか、それとも、問題が見えなくなることで安心したいのでしょうか。本当の安全とは、子どもを社会から隔離することではありません。危険を理解し、助けを求め、信頼できる大人や仲間とつながりながら、少しずつ社会の中で生きていく力を育てることです。一律禁止は、その力を育てる機会も、支え合う場所も、SOSを出す手段も、まとめて奪ってしまいます。

どうか、この過剰な措置を止めてください。禁止ではなく、教育と設計と支援で子どもを守る道を選んでください。若者の居場所を奪うのではなく、安全な居場所を一緒に作ってください。

この署名は、そのための第一歩です。未来を担う若者たちが、孤立せず、学び、つながり、自分の声で社会に参加できる未来のために、どうかご賛同とご署名をお願いいたします。

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