

その1:最高裁は主権者である国民と真摯に「対話」せよ。市民活動を財政面から侵害するゆうちょ銀行口座開設拒否裁判の上告受理申立て理由に応答せよ。
署名活動の主旨

1、はじめに――前代未聞のゆうちょ裁判とは――
もし、あなたが、或る日突然、電気やガスや水道や電話、ネット、電車を利用できませんよ、と言われたらどうしますか。そんなバカな、なんで!?と思うでしょう。それに対して、その訳については「一切答えられません」と突っぱねられたらどうしますか。ふざけるんじゃない、冗談じゃねえよ!とはらわたが煮えくり返るでしょう。
信じられないかもしれませんが、そんな夢(正確には悪夢)みたいな話がこの日本で実際に起きたのです。それがゆうちょ銀行の口座開設拒否事件です。そもそも「業務の公共性」という点で銀行の口座開設は電気やガスや水道や電話、ネット、鉄道の業務と変わりません。その結果、銀行の口座開設の申込を銀行が自由に拒否できるのでしたら、銀行業務と「業務の公共性」を同じく有する電気やガスや水道や電話、ネット、電車の利用申込も企業が自由に拒否できることになります。これは天下をゆるがす大事件です。
しかし、この天地をひっくり返す事件はおかしいと異議申立ての裁判を起した私たちに対し、法の番人であるはずの裁判所がろくに審理もせず、判決で、ゆうちょ銀行は原告の口座開設申込に対し、理由を一切示さなくても自由に拒否できるとお墨付きを与え(>東京高裁判決)、「人権の最後の砦」とされる最高裁も、一昨日、この高裁判決でよろしいとお墨付きを与えました。それが冒頭の書面です。
これにより、私たちの生活は、いつ、銀行口座はもちろんのこと、電気やガスや水道や電話、ネット、電車も利用できません、とストップをかけられても文句が言えない前代未聞の異常な法律ルールの世界に突入したのです。もし三権分立の代表民主主義社会が異常事態の発生・暴走に対応できない時、どうするのか。その時、この異常事態の発生・暴走を食い止めるのは主権者の私たち市民しかいません。
そこで、私たち市民の出番です。以下の説明を読まれて、この異常事態はおかしいのではないかと思う方は、異常事態の是正のために主権者の市民が声をあげる最初の一歩としてこのオンライン署名への「参加」をお願いします。
2、ゆうちょ裁判のこれまでの経過
(1)、この裁判は、2年前、ブックレット「わたしたちは見ている:原発事故の落とし前のつけ方を」を一人でも多くの人に知ってもらいたくて、支援者を通じてブックレットの拡散、支援者からの本代の送金、送金の記録をおこなう会を立ち上げ、会の名前で新しい振替口座を開くために、最寄りのゆうちょ銀行に口座開設の申込をし、必要な書類等をすべて準備し、受理されたのに、その後、本部から口座開設を拒否しますと連絡がありました。ビックリした私たちはその理由を尋ねたところ「答えられません」の一点張りでとりつく島がなかったため、やむを得ず、口座開設拒否の真相について公平な第三者の立会いのもとで説明責任をはたしてもらうしかないと考え、ゆうちょ銀行相手に1円の損害賠償訴訟を起しました(以下がその時の声明。訴状>こちら 詳細は>裁判の公式ブログ参照)。
これは決して単なるちっちゃな出来事ではありません。或る日突然、私たち市民の活動に「マネー・ローンダリングやテロ資金の関係する組織」というレッテルを貼られ、私たち市民の活動に必要な血液(お金)を回すための心臓(ポンプ)みたいな役目をする銀行口座が開けなくなり、活動停止を余儀なくされる――だれもがこのような目に巻き込まれる可能性があることを今回の一件は示したからです。
それは、決してささいな問題ではありません。今回の口座開設拒否は、市民が私たちの社会を自分たち自身の手で運営し、統治するための基本的な市民活動、この自己統治に対する重大な規制だからです。人権でいうと、憲法21条が私たちに保障している「結社の自由」に対する理不尽な規制だからです。
(2)、一審の東京地方裁判所は、一方で審理の中で原告が主張した法律問題には一言も応答せず、他方で、審理の中で一度も議論しなかった未知の理由付けを不意打ちに持ち出して、結果的にゆうちょ銀行すら想定しなかった徹底した隷属(一言も説明せずに口座開設を自由に拒否してよい)を原告の市民に課した判決が言い渡されました(>地裁判決全文)。
この不意打ち判決に対し、二審の東京高等裁判所は、私ら原告が「今まで一度も審理していない一審判決の理由づけについてきちんと審理して欲しい」とささやかな要求をしたのを無視、一回で審理終結を強行して一審判決にお墨付きを与えるだけの判決を言渡しました(>高裁判決全文)。高裁の比類のない強引な訴訟指揮ぶりに、これは憲法が市民に保障した「裁判を受ける権利」(32条)の侵害ではないかと、裁判官の忌避を申立てざるを得ませんでした(>その報告)。
このような経過を経て、最高裁に対し、ゆうちょ裁判の集大成ともなる上告受理申立て書を提出(>その報告)。それはこの事件に対する一審・二審の判決が単に、原告の口座開設の拒否という小さな出来事にとどまらず、日本社会の市民生活の根幹を根底からひっくり返す一大事件であることを明らかにして、その異常事態の正常化の必要性を説いたものでした。この書面を提出した時、もしこれに正面から応答(対話)する判決が出て負けるんだったら、それならしょうがないと思った。
(3)、しかし、昨日届いた書面は2行だけの数秒で完成する書式通りの紙切れでした(冒頭の書面)。これは応答(対話)を完全に拒否した書面。異常事態の正常化の必要性を可能な限り解明しようとした上告受理申立て書に対し、応答(対話)する必要もないという説明すらない、ただ蹴散らしただけの書面。
これが何を意味するかーー裁判所の自殺だと思う。近代社会で国家機関の中になぜ裁判所というものが存在するのか。その最大の理由は、裁判所は自分が出した結論を「証明する責任」を負う機関だからです。では、なぜ裁判所にそのような重い責任を課したのか。それは、近代社会は、歴史的な経験の中から、社会が健全であるためには裁判所に結論を「証明する責任」を課す必要があると考えたからです。だから、裁判所がその証明を果さないとき、それは裁判所の存在理由を自ら否定することであり、裁判所の自滅行為=自殺と呼ぶほかないものです。
今回の書面もそうです。
裁判所に課せられた、結論を「証明する責任」、それは厳しく、重い責任です。しかし、その厳しい重い責任を果せないとき、その裁判所は自滅行為により自然淘汰されるほかありません。そして、その判定をするのは主権者である私たち市民です。だから、今回の書面で裁判所が自殺したのかどうか、主権者である私たち市民が見極めるために、裁判所はおのれの結論を「証明する責任」を果せ、という以下の呼びかけに署名することで応答して欲しいのです。
これがまず第1の署名の呼びかけです。そして、第2の呼びかけは>こちらです。
最高裁は国民と真摯に「対話」せよ。市民活動を財政面から侵害するゆうちょ銀行口座開設拒否裁判の上告受理申立て理由に応答せよ。
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署名活動の主旨

1、はじめに――前代未聞のゆうちょ裁判とは――
もし、あなたが、或る日突然、電気やガスや水道や電話、ネット、電車を利用できませんよ、と言われたらどうしますか。そんなバカな、なんで!?と思うでしょう。それに対して、その訳については「一切答えられません」と突っぱねられたらどうしますか。ふざけるんじゃない、冗談じゃねえよ!とはらわたが煮えくり返るでしょう。
信じられないかもしれませんが、そんな夢(正確には悪夢)みたいな話がこの日本で実際に起きたのです。それがゆうちょ銀行の口座開設拒否事件です。そもそも「業務の公共性」という点で銀行の口座開設は電気やガスや水道や電話、ネット、鉄道の業務と変わりません。その結果、銀行の口座開設の申込を銀行が自由に拒否できるのでしたら、銀行業務と「業務の公共性」を同じく有する電気やガスや水道や電話、ネット、電車の利用申込も企業が自由に拒否できることになります。これは天下をゆるがす大事件です。
しかし、この天地をひっくり返す事件はおかしいと異議申立ての裁判を起した私たちに対し、法の番人であるはずの裁判所がろくに審理もせず、判決で、ゆうちょ銀行は原告の口座開設申込に対し、理由を一切示さなくても自由に拒否できるとお墨付きを与え(>東京高裁判決)、「人権の最後の砦」とされる最高裁も、一昨日、この高裁判決でよろしいとお墨付きを与えました。それが冒頭の書面です。
これにより、私たちの生活は、いつ、銀行口座はもちろんのこと、電気やガスや水道や電話、ネット、電車も利用できません、とストップをかけられても文句が言えない前代未聞の異常な法律ルールの世界に突入したのです。もし三権分立の代表民主主義社会が異常事態の発生・暴走に対応できない時、どうするのか。その時、この異常事態の発生・暴走を食い止めるのは主権者の私たち市民しかいません。
そこで、私たち市民の出番です。以下の説明を読まれて、この異常事態はおかしいのではないかと思う方は、異常事態の是正のために主権者の市民が声をあげる最初の一歩としてこのオンライン署名への「参加」をお願いします。
2、ゆうちょ裁判のこれまでの経過
(1)、この裁判は、2年前、ブックレット「わたしたちは見ている:原発事故の落とし前のつけ方を」を一人でも多くの人に知ってもらいたくて、支援者を通じてブックレットの拡散、支援者からの本代の送金、送金の記録をおこなう会を立ち上げ、会の名前で新しい振替口座を開くために、最寄りのゆうちょ銀行に口座開設の申込をし、必要な書類等をすべて準備し、受理されたのに、その後、本部から口座開設を拒否しますと連絡がありました。ビックリした私たちはその理由を尋ねたところ「答えられません」の一点張りでとりつく島がなかったため、やむを得ず、口座開設拒否の真相について公平な第三者の立会いのもとで説明責任をはたしてもらうしかないと考え、ゆうちょ銀行相手に1円の損害賠償訴訟を起しました(以下がその時の声明。訴状>こちら 詳細は>裁判の公式ブログ参照)。
これは決して単なるちっちゃな出来事ではありません。或る日突然、私たち市民の活動に「マネー・ローンダリングやテロ資金の関係する組織」というレッテルを貼られ、私たち市民の活動に必要な血液(お金)を回すための心臓(ポンプ)みたいな役目をする銀行口座が開けなくなり、活動停止を余儀なくされる――だれもがこのような目に巻き込まれる可能性があることを今回の一件は示したからです。
それは、決してささいな問題ではありません。今回の口座開設拒否は、市民が私たちの社会を自分たち自身の手で運営し、統治するための基本的な市民活動、この自己統治に対する重大な規制だからです。人権でいうと、憲法21条が私たちに保障している「結社の自由」に対する理不尽な規制だからです。
(2)、一審の東京地方裁判所は、一方で審理の中で原告が主張した法律問題には一言も応答せず、他方で、審理の中で一度も議論しなかった未知の理由付けを不意打ちに持ち出して、結果的にゆうちょ銀行すら想定しなかった徹底した隷属(一言も説明せずに口座開設を自由に拒否してよい)を原告の市民に課した判決が言い渡されました(>地裁判決全文)。
この不意打ち判決に対し、二審の東京高等裁判所は、私ら原告が「今まで一度も審理していない一審判決の理由づけについてきちんと審理して欲しい」とささやかな要求をしたのを無視、一回で審理終結を強行して一審判決にお墨付きを与えるだけの判決を言渡しました(>高裁判決全文)。高裁の比類のない強引な訴訟指揮ぶりに、これは憲法が市民に保障した「裁判を受ける権利」(32条)の侵害ではないかと、裁判官の忌避を申立てざるを得ませんでした(>その報告)。
このような経過を経て、最高裁に対し、ゆうちょ裁判の集大成ともなる上告受理申立て書を提出(>その報告)。それはこの事件に対する一審・二審の判決が単に、原告の口座開設の拒否という小さな出来事にとどまらず、日本社会の市民生活の根幹を根底からひっくり返す一大事件であることを明らかにして、その異常事態の正常化の必要性を説いたものでした。この書面を提出した時、もしこれに正面から応答(対話)する判決が出て負けるんだったら、それならしょうがないと思った。
(3)、しかし、昨日届いた書面は2行だけの数秒で完成する書式通りの紙切れでした(冒頭の書面)。これは応答(対話)を完全に拒否した書面。異常事態の正常化の必要性を可能な限り解明しようとした上告受理申立て書に対し、応答(対話)する必要もないという説明すらない、ただ蹴散らしただけの書面。
これが何を意味するかーー裁判所の自殺だと思う。近代社会で国家機関の中になぜ裁判所というものが存在するのか。その最大の理由は、裁判所は自分が出した結論を「証明する責任」を負う機関だからです。では、なぜ裁判所にそのような重い責任を課したのか。それは、近代社会は、歴史的な経験の中から、社会が健全であるためには裁判所に結論を「証明する責任」を課す必要があると考えたからです。だから、裁判所がその証明を果さないとき、それは裁判所の存在理由を自ら否定することであり、裁判所の自滅行為=自殺と呼ぶほかないものです。
今回の書面もそうです。
裁判所に課せられた、結論を「証明する責任」、それは厳しく、重い責任です。しかし、その厳しい重い責任を果せないとき、その裁判所は自滅行為により自然淘汰されるほかありません。そして、その判定をするのは主権者である私たち市民です。だから、今回の書面で裁判所が自殺したのかどうか、主権者である私たち市民が見極めるために、裁判所はおのれの結論を「証明する責任」を果せ、という以下の呼びかけに署名することで応答して欲しいのです。
これがまず第1の署名の呼びかけです。そして、第2の呼びかけは>こちらです。
最高裁は国民と真摯に「対話」せよ。市民活動を財政面から侵害するゆうちょ銀行口座開設拒否裁判の上告受理申立て理由に応答せよ。
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2026年9月5日に作成されたオンライン署名
