強引に島の学校をなくさないで!福山市内海町の小中学校を存続させてください

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広島県福山市の内海町(うつみちょう)から、2つの小学校と1つの中学校、3校全てがなくされようとしています。わたしたち、内浦内海保育所保護者会は、福山市が住民の意思を尊重し、現在の再編案を検討し直して「内海町の学校を残す」ことを求めて、このキャンペーンを立ち上げました。ぜひみなさんの力を貸してください。 

<困っていること>

福山市教育委員会から、内海町の学校を本土に統廃合する案が出されたのは、2015年8月のことでした。それから何度も、地域役員や保護者を対象に説明会や意見交換会が開かれましたが、その度に内海町から学校がなくなることに反対する声がたくさんありました。

また、保護者が自分たちでアンケートをとったり、地域住民が要望書を提出するなどして、内海町に教育環境を残してほしいという住民の思いを伝えてきました。

当初、教育委員会は、住民の合意のないままで再編はしない、と言っていました。これは、文部科学省もはっきりと示しています。(※2 「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」 平成27年1月)

しかし、もう一方では、教育委員会は再編の期限を決め、合意したかどうかは、教育委員会自らが判断するという考えを示しました。地域住民の合意とは何を指しているのでしょうか。このような教育委員会の態度に、この問題に長くかかわっている人ほど、次第に疲弊していき、諦めに似た気持ちを抱くようになってしまいました。

「あれもこれもしたけど、いつも同じことを返されるだけ」
「もう向こうは、再編ありきで考えているから仕方ない」
「意見交換会と言いながら、実態は一方的な説明会だ。こんな会に参加したくない」
という風に。

 

しかし、「学校がなくなるのは仕方がないことだ」という方ともじっくり話をしてみると、本当は仕方ないなんて思いたくないということが伝わってくるのです。

誰だって辛いことや先の見えないことは、進んで考えたくないものです。仕事である教育委員会と、そうではないわたしたち地域住民では、この問題にかけられる時間や費用にも差があります。それでも、これまで学校を残すように訴え続けてきたのは、内海町にとって学校がなくてはならないものだからです。

 

福山市教育委員会は、内海町にある学校を全てなくす理由を以下のように説明しています。

1.「少人数では多様な意見に触れられない」
2.「少人数では社会性が育たない」
3.「少人数では文部科学省が定める新しい学習指導要領にある『主体的で対話的で深い学び』ができない」
4.「校舎の老朽化や教員が不足しており、財政的に人数が少ない学校を残すことは難しい」
5.「地域の活性化と学校は別である」


これは果たして本当でしょうか?

 

<内海町と学校の紹介>

内海町(うつみちょう)は、田島・横島の2つの島からなる町で、人口は2400人ほどです。2003年に、人口約47万人の広島県福山市と合併しました。合併当時、約3000人だった内海町の人口は、合併から17年が経ち、4分の3ほどになりましたが、住民主体で様々な取り組みをしています。

例えば、2012年から空き家を活用し、子育て世代や若者世代を優先に、移住をサポートしてきた結果、これまでに35世帯(100人)以上が移住しました。(しかし、学校の再編案が計画されてから、問い合わせは激減してしまいました。)

現在、内海町の小中学校には79人の子どもたちが通っています。多くは地元の子どもたちですが、中には本土から内海町の学校を選んで通ってきている子どもたちもいます

 

■海で囲まれた島の学校、小さい学校ならではの学び

例えば、内海中学校にはアサリが生息する浜(通称、学習の浜)があり、自分たちで掘ったアサリを売って部活動の部費にあてています。地元の漁師たちも協力して浜を良い状態に保つ活動も行っています。

総合学習では、海の生き物や環境保全について調べ、自分たちの暮らしと海がどうつながっているのかを学んでいます。年に1回、学習の成果を報告する小中合同の発表会には、地域の方も多く訪れ、子どもたちの姿から大人も多くのことを学んでいます。

また、少人数だからこそ一人ひとりが活躍できる場があります。内浦小学校には30年以上続いてきた「うしお祭」という学校行事があり、地元の歴史を題材にしたオリジナルの劇を全校生徒で演じます。毎年町外からもファンが来るほど見ごたえのあるものです。

内海小学校では、活動を休止していた伝統ある金管バンドを3年前に復活させ、3年生から6年生までの全児童が参加して、教え合いながら腕を上げています。地域の行事だけでなく、町外で開かれるコンサートにも地元の人たちが駆けつけ、温かい声援を送っています。

 

■子ども・保護者・先生・地域の顔が見える関係性

学校の規模が小さいので、子ども同士や親同士、また地域とお互いに顔が見える関係性ができています。子どもたちは、学年を超えて一緒に遊んだり通学したりしながら、時にはぶつかり、お互いのいいところも悪いところも認め合うなど、しっかり社会性を育てています。 

子どもに揉めごとが起こっても、親同士の関係性の中で、見守りながら子どもたちに解決させることも多く、先生が間に入ることはほとんどありません。内海町の学校に赴任してきた先生たちはいつも驚くそうです。

また、地域の人たちも、子どもたちの顔と名前がお互いにわかっているので、日頃から「おはよう」「こんにちは」と声をかけ合うのが日常。放課後に外で遊んでいたら、「○○さんとこの子がいるな」とさり気なく見守ってくれています。 

こうした関係性の中で過ごすことで、子どもたちは安心して過ごすことができ、自己肯定感(※1)を持って育っていくことができるのではないでしょうか。そんな学校で働いている先生たちも、一人ひとりの子どもと向き合うゆとりがあり、とてもいきいきとしているように見えます。

 ※1 自己肯定感とは、自分のありのままの存在を肯定できる力のこと。(「自分には(人と比べて)能力がある」と思える自己効力感と混同されることがありますが、異なるものです。)

 

このような環境で育っている内海町の子どもたちには、様々な年代の人たち、様々なバックグラウンドを持つ人たちと交わり、多様な考え方に触れていますし、社会性も育っています。

 

                                                                                                 

<教育を“効率”で考えることへの違和感>

市民の暮らしを守るために、なんとかするのが行政ではないのでしょうか。

小規模の学校だからと、数字だけで判断してしまってよいのでしょうか。内海町は、人口が徐々に減っているとはいえ、様々な年代の人たちが暮らしていて、各世代が役割を担い、縦・横・ナナメのつながりを持って暮らす、昔からの共同体の姿を残した地域です。子どもたちは、その中でいろんな考えに触れ、社会を学び、伝統や文化も受け継がれています。こうした暮らしは、「古くて新しい」暮らしなのではないでしょうか。(※3)

こうした地域から学校がなくなれば、子育てをする世代が暮らしづらくなり、定住・移住は減り、共同体の循環が壊れ、町の衰退につながることは容易に想像できます。わたしたちは、地域から切り離された学校は望んでいません。

(※3 古くて新しいとは、かつては当たり前で古いとされてきたことが、現在の時代に改めて考えてみると、却って時代に合っている、ということを言います。)

 

わたしたちの島に学校がこれからもあってほしいという願いは贅沢なのでしょうか。

これまで、内海町の人たちがお金がかかる無茶な要求をしてきたことがあったでしょうか。草刈りも、移住サポートも、空き家対策も、漁業振興も、いつだって住民たちが自らやってきたことばかりなのです。

都市と田舎は持ちつ持たれつで、バランスをとって共存しています。都市だけが住む場所として残ればいいのでしょうか。豊かな自然環境だけを享受して、その場所で暮らしている人が安心して住み続けられるようなサポートはしてもらえないのでしょうか。

 

 

これは、広島県の小さな島で起こっていることですが、全国でも同じように、小さな地域でこれから暮らしていこうとしている人たちが直面している問題だと思っています。学校の問題に限らず、みなさんの周りではどうでしょうか?

 

内海町は、子どもたちにとっても、わたしたちにとっても、たくさんの可能性があると感じて住んでいる場所です。そしてこれからもずっと住み続ける場所です。教育長は「責任はわたしが全て取ります」とおっしゃいましたが、その地域に住んでいない、立場も流動的な行政の人が、ずっと住み続ける地域住民に対してとれる“責任”とは何なのでしょうか。

この先ずっと、誰かを恨んだり、誰かのせいだと思いながら住み続けるのは本当に不幸なことですが、このままでは本当にそうなりかねないと感じています。そうではなくて、いろんな人たちに感謝しながら暮らしていきたい。そういう思いで、こうして頑張っています。

内海町に、素晴らしい学校がこれからもあり続けることができるように、ぜひみなさんの力を貸してください!