男女平等の徹底を!高裁に久保木愛弓被告の死刑判決を要求します!

男女平等の徹底を!高裁に久保木愛弓被告の死刑判決を要求します!

2016年9月、入院患者3人の点滴に消毒液を入れて殺害したとして、殺人罪などに問われた元看護師久保木愛弓被告(34)が、死刑回避となりました。
ジェンダー平等が叫ばれて久しいこのご時世に、横浜地裁は性差別を肯定すると捉えられかねない挑戦的な判決を下しました。看護師の立場を利用して患者を最低3人、多くて50人殺した女が「更正の余地がある」として無期懲役判決となったのです。
(※同病院では3か月で高齢者が50人が亡くなっています)
今の日本では、「2人殺せば死刑の可能性が出てきて、3人殺せば確実に死刑」と言われています。
それと比べたとき、「3~50人殺したのに無期懲役」というのは明らかにおかしな判決です。
被告はASD(発達障害の一種)や鬱でしたが、それを理由に責任能力を否定されることはありませんでした。だからこそ、完全責任能力を有する3~50人連続殺人鬼に対して死刑を回避するというのは異常な判決です。
また、東京新聞などは
- 小6まで茨城のアパートで育った。幼稚園時代は「1人でいるときが多かった」と述べているがアパートの子どもたちと遊ぶことがあった。「片付けができない」と母親にしかられることが多かったと話している。
(中略)
3年時、作文コンクールで入賞して喜んでいたが、担任から「普段目立たない人を選んだ」と告げられ、逆に傷ついたと。周囲からほめられることは少なく、喜んでいたが自分の実力で選ばれたわけではないと知ってしまったから。
(中略)
高校でもほとんど友人はできなかった。入学してしばらくするとグループができ、入りそびれてしまった。
(中略)
専門学校でも友人は全くできなかった。
(中略)
具体的には患者とうまくコミュニケーションが取れない。観察記録が書けない。これは紋切り型のものはできるけど、患者の状況に応じたものができず、しばしば指導を受けた。そういうストレスがあったためか過食になった。
(中略)
障害者の病棟に移ると、点滴のルートをとるのに手間取り、患者の家族になじられた。本人にとって辛い体験だった。老人ホームに異動後、夜勤中に患者さんが亡くなった。本人ではなく、同僚が家族になじられるのをみて精神的にショックを受けた。同僚の姿をみて、精神的に追い込まれた。自分だったらどうしようと体調を崩した。(東京新聞)
など、ASDを出汁にして、被告への同情の余地を一生懸命に探していました。
ここでは引用しませんでしたが「被告ではなく社会の仕組みが悪いんだ。被告に罪を背負わせるのは違う」と主張する記事も東京新聞にはありました。
東京新聞の、「発達障害者なんだ!健常者より大変なんだぞ!同情してやれよ!」という意図が見て取れます。
この署名を立ち上げた私もASD(加えてADHDも。等級は2級。障害者枠でしか働けないので被告よりも重いのは明らか)なのですが、こうやって、刑罰を軽くするために障害を理由として出してくるのは、個人的に許せません。
もし、健常者の方から、
「ASDはずるい!」
「ASDは人を殺しても死刑にならない!」
と言われたら、私は「優遇されてごめんなさい」と謝ることしかできません。
私は、私と同じ障害を持つ犯罪者が、障害を理由にして同情を誘い、減刑を引き出すのが許せません。
そういった「ズル」が、健常者からの偏見や嫌悪を招きます。
普段平等を求めるくせに、都合よく「障害者だから甘やかして!」なんて言ったら、嫌われて当然です。
だからこそ、私は同じASD患者として、久保木被告の死刑判決を望みます。
そして、東京新聞の「障害者だから可哀想」みたいな報道に、健常者のヘイトをあおり、障害者差別を間接的に煽る報道であるとして、断固反対します。
また、3人以上死者がいて、殺人罪を含む罪状で死刑を求刑されたもので、心神耗弱が認められなかった裁判で、死刑以外の判決となった裁判を、私は知りません。
これは、被告の性別、障害の有無などに基づくギャップではないでしょうか。
本能的に、男性は女性を護ろうとしてしまいます。そうした野生の本能が東京新聞の記者や裁判員、地裁裁判官にも働いて、「女性の被告だから、なんとか死刑を回避できないか」と頑張ってしまった可能性が否定できません。
私は、男女平等の時代、性別を理由に減刑の努力をするのは間違っていると思います。同じ考えの方、どうかこの署名に賛同をお願いします!