「旧海軍大社基地遺跡群」を国指定史跡にして消滅の危機に瀕している滑走路を保存して欲しい

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発信者:大社基地の明日を考える会 事務局 宛先:出雲市教育委員会教育長

 「旧海軍大社基地遺跡群」は、1945年3月から6月のアジア・太平洋戦争末期に、地元住民・国民学校の学童までも動員し、本土決戦に備えて斐伊川支流の新川廃川跡に急造された海軍航空基地です。

 島根史学会・島根考古学会・戦後史会議・松江の3団体は、大社基地およびその関連施設の学術調査・文化財指定と保存・整備・活用を出雲市および島根県と文化庁に要望していますが、現在、主滑走路部分は開発による消滅の危機に瀕しています。

 私たち「大社基地の明日を考える会」は、その活動を支援しています。

     大社基地の明日を考える会ホームページ

       https://www.taishakichi.com/

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大社基地遺跡群はどんな遺跡?

①大社基地遺跡群は、飛行場の全容を伝える国内屈指の戦争遺跡です。

 大社基地遺跡群は島根県でも最大規模の戦争遺跡ですがそれだけではありません。「主滑走路」周辺には、爆撃機「銀河」の掩体(えんたい。格納所)、掩体と滑走路を結ぶ誘導路、爆弾庫・魚雷庫・通信壕、作戦本部とされた民家や兵舎などの基地施設の遺構のほか、基地設営隊が本部とした旧出西国民学校の校舎も残されています。

 第2次世界大戦は“飛行機の戦争”でした。そのため、旧陸海軍は国内に約250カ所(国内外合わせて500カ所以上)の飛行場を建設しました。しかし戦後76年の今、原状をとどめるものは大社基地遺跡群以外にほとんどありません。大社基地遺跡群の保存状態は国内屈指なのです

②大社基地遺跡群の「主滑走路」は、実戦で使われた長大な滑走路が残る、国内でも数少ない遺構です。

 「主滑走路」は大社基地遺跡群の中心遺構で、約10m×5mの型枠づくりコンクリートブロックで舗装されています。そのうちの長さ約600m、幅約60mが、今も建設当時のままで残されています。また、既に売却された区域を含む残り約900m分も含めて、滑走路の舗装部分1500mの全容を今も確認することができます。これは、兵庫県加西市の鶉野(うずらの)飛行場(旧海軍姫路航空基地)とともに貴重な例です。

③大社基地遺跡群は、戦前に陸海軍によって造られた軍事用飛行場の建設の歴史を知る上で、学術的価値が高い遺跡です。

 大社基地遺跡群に残された海軍航空基地大社基地は、陸海軍が建設した約250の飛行場のうち、最後に建設された飛行場の一つです。陸海軍の陸上飛行場は約30年に及ぶ歴史がありますが、その最終的な形を良好に残す学術的価値の高い遺跡です。

 例えばこの飛行場は、3か月余という短期間で造営されたこと、自然地形を最大限利用したこと、施設を分散秘匿したこと、資材投入を抑制したこと、多くの施設は隧道を掘るなどして地中に造ったこと、地域住民への依存度が高かったことなど、この時期に造られた陸海軍飛行場の特色をよく示しており、軍用飛行場の歴史を知る上で極めて重要な歴史的価値があります。しかも基地の建設に従事した設営隊の、「第338設営隊戦時日誌」が1945年3月から7月までの5か月分残されていますので、戦況が悪化し、本土決戦を目前にしながら突貫工事で造られた飛行場の建設の経過も明らかにすることができます。

 また大社基地遺跡群は、基地と周辺住民との関係や、基地が周辺住民に与えた影響など、住民と基地とが深く結びついた、戦時体制下での地域社会の在り方を具体的に知ることができる貴重な遺跡群です。

④大社基地遺跡群は「生きた教材」です。

 「主滑走路」は新川廃川跡を利用して建設されました。そして、その建設には周辺の学童や多くの地域住民が動員されました。こうした建設の経過を見ても、現在残された地下壕などの各種の遺構を見ても、大社基地遺跡群には、戦局が悪化して追い詰められた日本の状態が如実に反映されていて、戦争がどのようなものであったのかが伝わってきます。そして平和について考えることができます。

 

大社基地遺跡群の保存はなぜ必要?

①大社基地遺跡群が極めて重要な戦争遺跡だからです。

 「大社基地遺跡群はどんな遺跡?」で述べたように、大社基地遺跡群は、出雲市にとっても、島根県にとっても、日本にとっても極めて高い価値を持つ、かけがえのない文化財です。

②大社基地遺跡群が戦争を考える「本物の場」だからです。

 戦争についての見方、考え方は人によって異なります。戦争の記憶のされ方も様々です。しかし大社基地遺跡群と言う戦争にかかわる「本物の場」に立ち、戦争の実態に触れ、それを直視することで、立場の異なる人も一緒に考えることができます。

③戦争遺跡がこれからの平和学習の拠点だからです。

 戦争を実際に体験された方は確実に減少しました。戦争を後世に伝える手だては、「生存者による肉声の語りを聞くこと」から、「戦争を想起できる場(戦争遺跡)で学ぶこと」へと変わらざるを得ません。戦争遺跡は、戦争から学び、平和の重要性を考える、学習の場の中心です。

 

 大社基地遺跡群を「最後の戦争遺跡」として保存し、「戦争のない未来を創る資源」として活用しましょう。「主滑走路」はここにしかありません。100年後の子供たちのためにも、大社基地遺跡群で歴史を伝え続けることは、今を生きる私たちの大切な役割ではないでしょうか。

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